[短編小説] 僕らのボス
私は考えていた。この案件をどう処理するか。
安堂さんは自分の仕事で手一杯だとこの前嘆いていたばかりだし、西宝さんは明日から出張だ。
そして、ボスは相変わらず昼から酒を飲んでいる。
「ボス、どうしたらいいですかね」僕はダメもとで声をかけてみる。
「もうあれから三ヶ月だろ。まずは一人でやってみなって」案の定これだ。
ボスは、路頭に迷いかけていた僕を拾ってくれた。
とても良い人なのだが、あまり仕事については教えてくれない。いつもこんな調子で「まずやってみな」と言い、案件を終えると「な?やればできるだろ」と自慢げに言うのだった。
僕は立ち上がり、ボスに向かって「ちょっと出てきます」と伝え事務所を後にした。
いい天気だ。いい天気すぎてうんざりする。
まあ雨は雨で、体調が悪くなるから嫌いなのだが。
もうすぐ夏になるぞ!という強い意思を感じる日差しを浴び、喫茶店に向かう。
「アイスカフェオレ一つ」
僕はブラックコーヒーが飲めない。
コーヒーをブラックで頼む人はなんだかカッコいいし大人って感じがするので少し憧れる。
「えーあんたもう彼氏できたの?この前別れたって愚痴ってたばっかじゃん」
隣の高校生の会話が耳に入る。
高校生はこういう恋愛の話が大好きなようだ。
「いやあ、今度の人こそ運命だと思うんだよね。だって通学の電車でって漫画みたいじゃん」
うむ、確かに恋愛漫画の典型だな。
なんて思っているとカフェオレが運ばれてきた。
よし、高校生の恋愛話に耳を傾けている場合ではないぞ。と気合を入れ直し、仕事に取り掛かる。
夕方、事務所に戻る直前にポツポツしていた雨は、今ではザアザアと音が聞こえるくらいの本格的な雨に変わっていた。
「ボス、戻りました。お疲れ様です」と声をかけたが反応はなく
その代わり、机の上に一枚の紙切れが乗っていた。
なんだろうと不思議に思い紙切れに近づくと、レシートの裏に何やら文字が書かれていた。
「なになに…ユーガホテル、ロビー、十七時」
とても急いでいたようでギリギリ読めるくらいのミミズのような文字だった。
いつも呑気で何事にも動じないボスらしくないなと思いつつ、ソファに腰掛け、伸びをした。
気がついたらウトウトしていたらしく、外の雨は更にひどくなっていた。
なんとなくスマホを開きネットのニュースを見てみる。
——ボスが死んだ。
スマホ画面に映し出された名前には見覚えがあり
「これは事実なのか」という考えがまず頭に浮かんだ。
とりあえず事務所のテレビをつけ、ニュース速報を見た。
「えー、私は今、ユーガホテルの前におります。警察、消防、報道陣が多く、現場は騒然としております。規制線が張られ、中の様子は不明です。また、動きがありましたら…」
「こちら現場に来ておりますが…」
「まだ詳しい情報は入ってきており…」
どのチャンネルに変えても結果は同じだった。
その時スマホが震えた。
「もしもし」
「お疲れ様。ニュース、見た?」と、明日から出張予定の西宝さんだ。
「はい、今見たところでよく分からないんですが、一体何が…」
「私もよく分からなくて、でももしかしたら…。とにかく明日からの出張は中止よ。今から事務所に行くから」と電話は切れた。
「ねえ、本当にどうなってるの」
忙しなく事務所に入ってきた西宝さんは事務所の扉をバタンッと閉めた。
僕は「お疲れ様です」と声をかけ、ひとつ質問をした。
「そういえば、安堂さんからは連絡ありました?」
「うん、ここ来る途中に電話あって、あの子もこっち来るって」
「そうなんですね。よかった。連絡ないから、もしかしてボスと一緒だったのかと」
「だから、とりあえずあの子きてから色々話すわね」と言ってお茶を入れ始めた。
同じような中身のないニュースを、ボーッと飽きるほど見ていたその時だった。
「お待たせしました。すみません道が混んでいて」と勢いよく扉が開かれた。
「お疲れ様。そうだよね、事件あったからこの辺一帯混んでるってニュースやってた」
僕も一応「お疲れ様」とだけ声をかける。
「あ、そうだ、お茶入れ直すね」
「西宝さんは座っててください。私が入れます」
「悪いわね。ありがと」と言い僕の隣にドカッと腰を下ろした。
ボスが死んだというのにこんなに呑気にお茶なんて飲んでていいのかと思いながら「で、さっき電話で言いかけてた、もしかしての続き」と話を促した。
約一年前、ボスは少し厄介な依頼を受けたのだという。断っても地獄、引き受けても地獄という大変なものだった。
結果から言うと、ボスはその依頼を上手く、穏便に片付けたという。
西宝さんや安堂さんも詳しくは知らないが、裏稼業の方たちの依頼だったそうで、当時は断ろうとボスに訴えていたそうだ。
「それがなんで今になって?」
「それが私も分からなくて、ただそのことが関係してるかもってだけ。もしかしたら全然別件かもだし」
「そうですよね。ボスあの依頼からは本当に簡単な地域の依頼しか受けてこなかったし、こんな事件になるようなことって…」と言い二人とも黙り込んだ。
「そういえばこちらになんの連絡もないですが、ボスってご家族とかいなかったですよね?」
俯く西宝さんをチラリと見た。
ボスには身内がいないため、何かあればこの事務所に連絡が来るはずだ。
この前、どこかの道端で飲み潰れていた時も、唯一事務所にいた僕が対応したのだった。
「そうね。ただこういう生死に関わる事件ってなると話は別ね。私たちの場合は特に…」
そんなものなのだろうかと首を捻りながらも
「そうですか…」と小さく答えた。
「まあとりあえず、新規の依頼は受けずに、今ある依頼だけをしっかり片付けましょう」
「はい。私ももうちょっとで終わりそうなので、先に済ませます」
呑気に仕事を優先させようとする二人に少し困惑しながらも、確かにお金は貰っているし、相手は皆、急ぎの案件だ。しっかり仕事は遂行せねばと心を奮い立たせる。
翌日、僕は事務所で目を覚ました。昨日あの後二人は普通に仕事をし、そのまま帰宅した。
いつもと変わらぬ日常を見ている気がして、事件なんか僕の夢だったのではないかと思っていた。
今後僕はどうなるのだろう、この事務所はどうなるのだろうと思っていると事務所の電話が鳴った。
「朝日探偵事務所さんですか?」と僕が何か言う間もなく話しかけてきた。
「はい、そうですが、今は新規のご依頼を受け付けておりません」
「いえ、こちらHNラボの堤と申します」
ラボ?研究所か何かか?
胡散臭い電話に警戒しつつ先を促した。
「今そちらに西宝さん、もしくは安堂さんは…」
「もうすぐ出社すると思いますが、どういったご用件で?」
「今回のB1021の破損についてご連絡した次第で、出社されましたら折り返しお願いできますか」とこちらが返事をする前に電話は切れた。
なんだか忙しない人だったなと思いながら、すぐにネットでHNラボについて検索するが目ぼしい情報はなく、二人の出社を待つことしかできなかった。
あの電話から二時間ほど経った十一時過ぎ、西宝さんはコーヒー片手に出社した。
「おはよ。いい天気だねー」と昨日のことなんか無かったみたいにコーヒーを啜る。
「おはようございます。九時ごろにHNラボの堤さんからお電話ありましたよ。B1021?の破損がどうとかって」
と報告をし
「なんなんですかその胡散臭い会社は」と少し文句を言う。
「ああ、思ったよりも早かったのね。」
「折り返し電話欲しいって言ってましたけど」
「了解。今からかける。ありがと」と言い残し隣の部屋に消えていった。
「ちょっとくらい説明してくれても良いじゃないですかー」と背もたれに目一杯背を預け言う僕の声は届かなかったみたいだ。
結局西宝さんは電話を切った後すぐに事務所を出てしまい、なんの電話だったのか分からず終いだった。
その上、安堂さんも出社する気配はなく、
終業時間を迎えた。
今日はちゃんと家に帰ってゆっくり休まなければ、
今後ボスのことで何かあるかもしれないし。
なんだか肩も凝って調子が悪い気がする。
翌日、十一時ごろに出社すると既に誰か来ているようで事務所の電気がついていた。
「おはようございます。今日は早いんですね」
と、凝った肩を揉みながら扉を閉める。
「おはよう」と言う西宝さんと安堂さんの後ろには何やら男性がいる。
「あれ、そちらの方は…」
「紹介するわね、こちら新しいボスよ」
ゆっくりと振り向いた顔はどこか懐かしさを感じるような、どことなくボスに似ているような、そんな男性だった。
「初めまして…で良いのかな?これからは気持ち新たにここのボスとしてやっていくよ。よろしくね」
「あ、はい。よろしくお願いします」
なんだ、対応が早すぎないか。
それにこの男はどこから来たんだ?
結局ボスはどうなった?
葬儀や保険についての連絡はあったのか?
僕には何も教えてくれないのか?
いろいろな疑問が頭の中に湧いてきたが、
新しいボスに失礼かもしれないと思い
後で西宝さんに聞くことにした。
「あ、そういえばこの前の案件はどうなった。ちゃんとひとりでできたのか?」
といきなり目の前の男から今進めている仕事について振られたため、もう既に引き継ぎができているなんて、と驚いた。
「えっと、はい、なんとか進めてはいますが」
「おお、そうかそうか。な?やればできるだろ」
と新しいボスを名乗る男は背もたれにグッと背を預けた。
僕は言葉を失った。
——何故だ。何故ボスの口癖を?
ありきたりな言葉ではあるが、今のタイミングで初対面の僕にかける言葉だろうか。
疑問だけでなく、不安や不信感は募っていたが、
とりあえずその場ではなんともないフリをしていた。
その後、僕はすぐに西宝さんを呼び出し
「どういうことですか」と詰め寄った。
とりあえず立ち話もなんだし、ということで近くの喫茶店で詳しく話してもらうことになった。
「そうだよね。流石に異変、感じるよね。
いつかこのことに気付くんじゃないかって、いつか話さないとって思ってたの」
注文を取りに来た店員さんに、
それぞれコーヒーとカフェオレを頼み、話を続ける。
「まさかこんなに早く話すことになるなんてね…」
と呟いた西宝さんに堪らず
「このことって、ボスが死んだことも関係あるんですよね」と質問した。
「うん、そう。厳密に言うとボス、死んでないの」
僕は耳を疑った。
一体何を言っているんだ。どういう意味なんだ。
必死に思考を巡らすが自分を納得させる答えは出ない。
「お待たせいたしました」と飲み物が運ばれてくると
西宝さんの前にカフェオレ、僕の前にコーヒーが置かれる。
それをお互い無言で交換し、喉を潤す。
「えっと、どういうことですか?ドッキリとかですか?」
西宝さんはにこりともせず、真剣な表情のまま
「とりあえず驚かないで話を聞いてね」と言い、
もう一度コーヒーに手を伸ばし、再び話し始めた。
「実はボス、人間じゃないの」
「えっ…」
「所謂ロボット、ヒューマノイドなのね。この前のラボからの電話もボスの破損についてだったの。あの日、夕方からすごく雨、降ったじゃない?緊急の案件で、傘も持たずに飛び出してさ、ショート寸前で依頼人に会ったの。そしたらやっぱり例の裏稼業の方々で…。そこからは言わなくても分かるだろうけど」
果たしてそんな映画のようなことあるのだろうか。
うまく情報を処理し切れない僕を置いて西宝さんは続ける。
「だから中身は元のボスのまんま。仕事の事も全部把握してるし、話し方、仕草、癖、全部同じなの」
西宝さんは、もう自分の役目は終わったとばかりに冷めたコーヒーを一気に飲み干した。
冷めたそれはあまり美味しく無かったのか、
少し顔をしかめ「まだやり残した仕事があるから」
と僕を残し事務所に戻っていった。
僕は何も考えることが出来ず、テーブルに残された千円札と空になったコーヒーカップをただボーッと眺めていた。
あれから何時間経ったのだろう。なんだか今日は熱っぽいし体も動かしにくい、やっぱり体調が悪い気がする。ここ数日で色々ありすぎて疲れが出たのだろうか。とにかく帰ろう。
外に出るといつの間にか雨が降っていた。
——雨は嫌いだ。
どうしてだろう、何故嫌いなのか、いつから嫌いなのかも分からない。幼い頃の記憶があまり思い出せない。両親や兄弟との記憶、それすら今はうっすらとモヤがかかったようだ。
なんだろう…頭が痛い…頭が割れそうだ…。体が熱い…。
ふらふらとしながも足は家に向かっている。
——「あっ」と思った時にはもう目の前に車がいた。
「だ、大丈夫ですか!すぐに救急車呼びますから!」
運転手だろうか、焦ったその声を、妙に冷静に聞きながら僕は意識を手放した。
電子音が耳を刺激した。
どこか懐かしい、遠い昔、耳にしたような——
そして、思い出したかのようにゆっくり目を開けると、そこには清潔そうな白い天井が広がっていた。
何やら僕のすぐ側で若い男の声が聞こえた。
「あ、先生!B1022が正常に再起動したようです」
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