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同性婚についての私見

皆、同性愛者の恩恵を受けている

 私はネットワークの技術者の端くれなので、コンピュータの恩恵にあずかっている人間だ。コンピュータの原点、ACE(Automatic Computing Engine) を設計したのは第2次大戦中、エニグマ暗号を解読したアラン・チューリングだった。エニグマの解読は戦争を最大で4年間短縮させ、多くの犠牲を減らし、英国に勝利をもたらしたが戦後、英国政府は彼の業績を機密情報として1970年代まで封印した。
 彼は自らが同性愛であることを警察に告げてしまい、1952年当時の英国では同性愛が違法であったために(同性愛が違法って結構えぐい!)、わいせつ罪で保護観察処分になってしまう。刑務所に入る代わりに、エストロゲンで性欲の減退を行う科学的な去勢を受けることを同意する。同性愛ということで逮捕され非人道的な「去勢」をさせられたチューリングは、1954年6月7日失意のうちに41歳の生涯を閉じた。
 私は、LGBTQの方たちが「生産性がない」という議論には賛同しない。チューリングのように社会に多大な貢献をした人も多くいる。よって同性婚を制度化することには反対ではない。しかしそのことによる社会の混乱という課題に目を背けることはできないと考えている。


憲法と同性婚

憲法は意図せず同性の婚姻を認めていないといえる

 令和5年3月6日、立憲民主党と社民党は、個人の性的指向や性自認を尊重し婚姻の平等を実現しよふと、同性どうしの結婚を法制化する民法の改正案を衆議院に提出した。この立憲民主党および社民党の案は「婚姻の届け出を定めた民法739条を婚姻は、異性または同性の当事者が、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずると改め、同性どうしの結婚を可能とする」などとしている、とあるように憲法24条を改正することなく、民法の改正で実現しようとするものだ。さぁ皆さんはどうのように考えるのだろうか?僕の結論は同性婚を実現するためには憲法改正を行うべきといふことだ。


たらいまわしの上、戸籍法はみとめていないようにおもえる

第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
② 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

日本国憲法

 この文章をじっくり読んでみよう。両性の合意のみという記述の両性とは現在の常識では(少なくとも僕の)間違いなく男性と女性であろう。「夫婦」という漢字の意味も婚姻した男性と女性だ。
 但し、第24条は男女の婚姻可否を目的とした条文ではなく、親や親戚、一族の承諾ではなく、二人の意志こそが唯一の条件で、さらにその関係が平等であることを前提で法制化する必要があるよ、といっている条文なので憲法では同性婚を肯定も否定もしていないようにおもふ。
 英文原案を作成したベアテ・シロタ・ゴードンもきっと同性婚は頭の片隅にもなく、婚姻は男女でするものという当時の当たり前の認識なので「両性」と書いた。もっとも英国では同性愛は違法なのだから米国も違法でなくとも同性婚という発想はないと考えられる。よって条文では明確に両性といっているのだから憲法は婚姻を意図せず「男女異性でするもの」と規定しているようにおもえる。
 すると同性婚は自由権の問題ではないかということになる。立憲政府としては、国民が自由を保障しなければならないと要請しているのだから、自由を保障する法制化が必要になる。立憲政府に人権保障を強いた条文がある。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

日本国憲法第14条第1項

 法の下の平等を規定した14条を準用すれば同性婚を認めないのは憲法に適合していないようにもおもえる。というよりむしろ同性婚を明確に認めていない現行法がむしろ違憲状態ともおもえてくる。では現行法も確認してみる。

第七百三十九条 婚姻は、戸籍法(昭和二十二年法律第二百二十四号)の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる。
2 前項の届出は、当事者双方及び成年の証人二人以上が署名した書面で、又はこれらの者から口頭で、しなければならない。

民法

 民法は性について何も規定されない。念のため戸籍法も参照してみる。

第七十四条 婚姻をしようとする者は、左の事項を届書に記載して、その旨を届け出なければならない。
一 夫婦が称する氏
二 その他法務省令で定める事項

戸籍法

 たらいまわし感が凄いが、民法で婚姻の効力が発生する条件を規定して、その条件は戸籍法で定め、具体的には省令でとなっている。どこにも性の条件は規定されていない。当然である、憲法の条文で「男女」が婚姻するものとなっているからだ。
※省令はリンクでどうぞ。
 強いていうならば、戸籍法では夫婦という文言が使われていて、先の通り夫婦は婚姻した男女という意味なので、少なくとも戸籍法は婚姻は男女でするものと憲法24条を参照している。
 立憲民主党と社民党が提出した案は民法739条を改変するものなのでそうすると、戸籍法からも夫婦という文言を削除する必要がある。すると説明した憲法24条の解釈と少しずれる気がする。ということで結論としては同性婚を実現するためには憲法改正が望ましいと考えている。
 僕は同性婚を争点とした改正案を提示して国民投票を行えば過半数が賛成すると考えている。だからそれをすべきところ、立憲民主党と社民党は民法の改正という曖昧模糊とした改正案を提示して得票を伸ばしたいだけだと考えている。
 本気で同性婚を実現したいのであれば、憲法審査会で議論すべきところ、令和5年の通常国会では、立憲民主党と共産党が幹事懇談会に出席しないという「審議拒否」をしている。
 立憲民主党、社民党、共産党などは本気で同性婚を実現したいのであれば、護憲などといわずより良い憲法改正を主張するべきではないだろうか。


苦難を乗り越えられるか!

同性婚両親は子供を育てられるか?

 僕は新憲法を提案していて、その憲法案では同性婚を制度化している。そこで課題にしているのは子供をどうするかだ。
 普通に(今、僕が)考えて同性婚では両者の間に両者の遺伝子を持った子供が生まれることはない。同性婚の両者が子供を持つときは養子縁組の制度を利用することになる。こういう態様が一般的になるまでには多くの同性婚家族が実現しても10年単位の時間をようするだろう。
 幼少期縁組をして3歳か4歳くらいに保育園や幼稚園に通うことになる。発表会等で両者が揃って観に行くこともあるだろう。大人はそうゆうものだと思うかもしれないが、異性婚の子供はそうはいかない。そのような子供達の無邪気な偏見に同性婚の両親と子供はしばらくは戦う必要がある。
 さらに養子縁組の子供も同性婚の両親にこう聞くだろう。「なぜうちはほかのうちと違うの?」周りの異性婚の子供達からいろいろいわれた同性婚養子縁組の子供はどのような心境だろうか。「普通の家に生まれたかった」こういうかもしれない。10年後には「普通」かもしれないが、制度が始まったときには「普通」ではない。このような状況を乗り越えられるだろうか。


人間の欲望は限りない

 養子縁組ではなくその子供が血縁であればできるかもしれない。だが同性婚では先にもいった通り、血縁の子供はできない。すると更なる要求が現れる。血縁を子供を造る権利だ。男性同士の同性婚であれば、精子を他の女性の子宮をかりて出産すること、女性同士の同性婚であれば、他の男性の精子を借りて出産することで血縁の子供をつくることができる。
 人間の欲望はすぐにそれらをビジネス化してより頭のいい精子や子宮、身体的や外見的に優勢の精子や子宮を提供してくれるだろう。さらにともに育てたいという提供者も現れるだろう。これらの両親が離婚したときの対処、さらに離婚して再婚したときの対処…、と考えていくと、その態様の制度化、社会性、倫理性等々、議論は尽きない。最終的には遺伝子操作でコピー人間を造るようになるかもしれない。
 異性婚の夫婦のときでさえ、子供への虐待や殺人のほか、子供の非行など複雑化した問題が山積で、政治はおろか科学でさえ答えが見つかっていない。同性婚の子供の問題はまだ科学的な研究さえ出来ていない。乗り越えた先の社会はどのような態様なのか想像すらできない。それが望ましいのであれば積極的に実現すればよいだろうが僕は否定的だ。
 よって同性婚はよいが、同性婚の両者が血縁の子供を持つことには反対だ。実現できて養子縁組までだ。がしかし最新テクノロジーで実現できることを「してはいけない」とすることができるかどうか。人類は大きな課題をかかえることになるだろう。


 結論は「これからの家族のかたち」は「今のままがよいのでは」になる。

#これからの家族のかたち

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