見出し画像

裁判所への意見書(統一教会解散命令請求に対して)

2023年12月12日
             主の羊クリスチャン教会牧師
                      中川晴久
                   
1.はじめに

 私は横浜市磯子区にて牧師をしています。活動は、主に東京キリスト教神学研究所の幹事として中世神学思想の研究会を毎月開催したり、Web上のオピニオンサイト『SALTY』にて牧師や学者ら(9名)のチームで情報発信したりしています。
 世界平和統一家庭連合(以下「統一教会」)を調べるようになったのは、私が牧師になる前で27歳の時からです。今現在、私は53歳なので26年前のことです。以降、アンチの立場から統一教会問題を見続けてきました。ですから25年以上批判し続けてきたことになります。
 最初の15年ほどの間は、統一教会関連の資料を調べ、アンチ側で中心的な全国霊感商法対策弁護士連絡会(以下「全国弁連」)の集会に参加したことも、『やや日刊カルト新聞』の鈴木エイト氏と連絡を取ったことも、反対牧師が主催する被害者の会に出たことも、実際に統一教会に潜って調べたこともあります。
 この度、私は統一教会に対する解散請求に対する反対の「意見書」を裁判所に提出することになりました。大きな理由は、私の見てきたものと世間で語られている情報の偏りがあまりにも多いことです。また政府の解散請求にあっては語られてないことが多すぎるからです。統一教会に対する悪い印象が数十倍に膨れ上がり吹聴されています。特に、キリスト者は異端を嫌います。異端に対しては強い嫌悪感を持ちやすく、統一教会批判に同調して統一教会を悪く言えばすぐにも賛同が得られます。恥ずかしい話ですが、私も気持ち半分、そのようにして統一教会という異端勢力が抑止できているのだという打算もあったと思います。しかし、政府までもがそれに乗っかる事態に至ってはそれでいいはずがありません。
 統一教会問題で専門的に動いている反対牧師が全国にも「多く」いますが、「多く」といっても特殊な人たちで、キリスト教界全体からはごく一部です。普通の牧師は自分の教会の働きが第一で、このような問題には携わりません。そのため、統一教会問題での情報発信は限られた組織になります。特に、全国弁連と、『やや日刊カルト新聞』の主筆鈴木エイト記者からの情報提供に頼らざるを得ないのが実情です。世間が知る統一教会問題の情報の多くは、一つのグループの一つの意見が多数の口で語られています。その中でも『やや日刊カルト新聞』は「カルト」とみなした団体を「いじる」「おちょくる」を有効な手段として発信することを自称自認しています。ですから、彼らからの情報をそのまま受け取っていたら、かなり偏った情報となります。それでも統一教会の動きをチェックするには私も『やや日刊カルト新聞』を見ます。そのため私自身は彼らの情報を3割は差し引いて理解していました。3割差し引くとはつまり、ブラックプロパガンダでやっているように思える部分もあるからです。ところが安倍晋三元総理の殺傷事件以降、そのような情報がワイドショーで拡散され世間に加減無しに受け入れられていきました。とはいえ私は、世間も時が経ち冷静になって現実が見えてくれば、さすがにこんな行き過ぎた話には気づくようになり、大きく軌道修正されるだろうと思っていました。ところが、止まるところを知らずに、ついに政府までそれに乗っかり、統一教会の解散命令請求にまで至りました。

2.統一教会に対する私の認識の変化

 私が統一教会に対する認識を大きく改めたのは、2013年です。この時、私はすでに牧師として立っていました。私は実際に統一教会の中の様子を知るために潜入取材を敢行しました。何度か試行錯誤した結果、統一教会の横浜家庭教会を直接訪ね「自分も、何か人生に教えがあって生きたほうがいいと思うのだけど、ここはどんな教えでしょうか。」と入っていったのが、思った以上に成功しました。そこからは「今、私は横浜家庭教会に通っています。」と言って、他の関連施設なども計20回ほど訪ね、信者に取材をすることができました。
 なぜ潜入までしたかといえば、ずっと疑問があったからです。統一教会からの自然脱会者(自然に信仰から離れた人)と世間で語られる話がまるで違うのです。自然脱会者の多くが悩むところは統一教会内で良い体験もあったことです。脱会して後、統一教会を否定したくても、その良き想い出をどう処理して良いか分からずに悩むのです。そのような人に対して、私は部屋のインテリアとしてある収納棚の話をします。「1つの棚には別々のものがそれぞれの場所に収納されている。でも全体で綺麗に収まっているから美しくインテリアにもなる。これは《良かった》これは《ダメだった》と整理してそのまま人生の棚に収めておけばいい。」と話すと自然脱会者の心には届きやすく、それで多くは解決します。そのように伝えている中で、実際に潜入取材して初めて、自分でもその言葉がなぜ伝わるかの理由が理解できました。統一教会には信者同士のつながり、絆のようなものがあって、とても良い交わりが存在するのです。信者がお互いに励まし合って、助け合いながら真面目に信仰生活を送っています。そこから統一教会に対する私の中の問題もほぼ解決しました。  
 それを機に私自身、統一教会に対する関心が薄れていく実感がありました。教祖の文鮮明氏がすでに亡くなった(2012年)こともあります。しかし今思えば、実際は2009年の統一教会の『コンプライアンス宣言』以降、統一教会が大きく組織改革を進め、社会問題となる話題がなかったことが大きいな理由だったからだと思います。統一教会の改善努力が消費者庁の相談件数などの数字になって出ていることに気づき、その部分での評価を含めてさらに大きく認識を改めたのが、この1年の間での出来事です。そうであれば、私がアンチである理由は「キリスト教の異端」だからという、いわば教派争い的な宗教枠内の問題でしかありません。

3.「もう半分の真実」

 ハンス・キュンクというカトリックの第二ヴァチカン公会議の神学者が「半分の真実は半分の偽りである。」と語っていました。その言葉のとおり、統一教会問題には「半分の真実」はあっても「もう半分の真実」が全く語られていません。そうであるならば、キュンクの言うようにそれは「半分の偽り」です。
 ここで明瞭に伝えねばならない事実こそ「もう半分の真実」です。それは全国弁連が統一教会信者を拉致監禁する組織と連携していることです。全国弁連が執拗に統一教会を潰そうとする背景には、多くの拉致監禁被害者たちの存在があります。統一教会側はその数「4300人」と言いますが、実数はもっと多いはずです。警察機能が働かなかったので拉致監禁グループはやりたい放題でした。
 拉致監禁にはキリスト教の牧師が関わっています。拉致監禁の犯罪行為の実態がいつしか白日の下に晒されては困るはずで、だからこそ彼らにとって統一教会は「極悪非道」でなくてはならないし、潰さねばならないのでしょう。そのためにも統一教会に対する悪口雑言は喧伝されねばならないということになります。特に最近では、Yahoo!ニュースでよく取り上げられるアンチ統一教会記事を見ると、記者が「〇〇〇〇」とあります。彼は12年5ヵ月も拉致監禁された後藤徹氏に対する監禁下での脱会説得を手伝った実行犯の一人です。キリスト教界でも、現在異端カルト問題で中心的な役割をしている人たちの中には、かつて荻窪栄光教会の宮村峻氏と一緒に「保護説得」と称する拉致監禁脱会説得に手を染めていた人もいます。つまり、この拉致監禁問題はメディアも取りあげず警察機能すらマヒしていたために、今でも関与者は野放し状態なのです。

4.全国弁連の集会にて

 私が2011年9月に全国弁連の集会に参加した時に、その集会には何人かの拉致監禁に手を染めている牧師も集っていました。集会後の懇親会では中心となっていた山口広弁護士が閉会の締めにて「文鮮明は地獄に堕ちろ!」と叫ぶと、会場は「おーっ!」と応答して懇親会を閉じたのでした。統一教会に対する憎しみが異常なほどに大きいのです。
 その当時、私はまだ全国弁連が拉致監禁グループと深く連携しているとは思っていませんでした。懇親会の会場にて〇〇弁護士に、かつて知り合ったK大学の元統一教会信者の学生の話をしました。その青年はキリスト教神戸真教会の高澤守牧師に監禁され脱会したのですが、監禁中に高澤氏に「あなたは647人目(674人目?記憶が定かではありません。)だ。あたなの他にも今6人監禁している人がいる。」と言われた話です。すると〇〇弁護士は「そんな、監禁した人の数を数えるなんて、高澤さんはやり過ぎなんだ!」と怒って言いました。それで私は〇〇弁護士が拉致監禁に反対しているものと思い込んだのですが、後々「監禁した人の数を数え」ていたことに対して怒っただけなのだと気づかされました。拉致監禁の事実を分かっていたのです。

5.拉致監禁の実態

 拉致監禁をする牧師たちは、信者の親に統一教会の恐怖を徹底して伝え、自分の教会に来て学ぶように勧めます。親が子を脱会してほしいという状態になると、親を前面に立てて拉致監禁をします。「子」といってもすでに成人した「大人」です。それに、反対牧師たちはボランティアでやっているのではありません。手間賃や費用、謝礼などが親から出ます。脱会すれば親も子も自分の教会員にすることができます。たとえ拉致監禁されたとしても、子は親を訴えることができません。親子の「愛情」が利用されるのです。親も子に対する愛情をぶつけるように指導されます。キリスト教の牧師たちによって拉致監禁の理論や方法をレクチャーされた親が「愛情をもって」子に襲いかかるのです。子も親の「愛情」が分かるので苦しみます。それはどうあれ親と子との関係に大きな傷と深刻なダメージを残すことになります。 
 私が直接会って取材した人は、S牧師に拉致監禁されました。S氏は脱会屋で有名な牧師です。拉致監禁された人は2日間両手足を縛られ、トイレ時に履物を下ろすなどは親がしたといいます。親とはいえ屈辱だったようです。そのようにして最初に心を折って抵抗する気力を削いでしまうのが作戦だそうです。しかし、これで棄教したとしても、どうあれ
親子関係に深い傷が残るはずです。
 当然、普通の親は絶対に子に対してそのようなことをしません。裏で親にそれをやらせた人間がいます。心が折られもう抵抗しなくなった段階でようやく牧師が説得に登場します。そして脱会するまで解放せず、脱会に至れば次に本当に棄教した証しとして「マインドコントロールされていた!」と裁判に訴えることになります。その段になると全国弁連の弁護士達を紹介するわけです。そういった「フォーマット」があるのです。キリスト教の牧師も法律的に守ってもらえる保証なしにやりません。前面に立てられるのは親、その裏にキリスト教の牧師、さらに彼らの後ろ盾として弁護士達が控えています。牧師たちや弁護士がボランティアでやっているのではありません。脱会させるために親は牧師に謝礼を払い、裁判になればその費用を用立てねばなりません。そのようにして、お金は牧師や弁護士に流れます。

6.自然脱会者と「加害者」

 私が「フォーマット」というのは、拉致監禁から「被害者」として裁判に訴えるまでの流れだけではありません。実際、拉致監禁されて棄教した「脱会者」が「自然脱会者」と明らかに違うのです。何かを意識に注入されたかのような思考の型(フォーマット)を感じます。
 キリスト教界には統一教会からの脱会者は多くいます。30年以上前、私が最初に通った150人くらいの大きなプロテスタントの教会には今でもパッと名前が出る限りで、元統一教会の人が3人いました。人は経験を重ね思考の深みを得て、組織を離れる判断をする人もいればそこに残る人もいます。どうあれ様々な経験が人生の教訓となり、それを通してそれぞれが様々な色彩で自分のことを<今このように生きている。>と語ります。
 ところが、拉致監禁によって棄教した人たちは突然「統一教会の被害者」になり、統一教会に関しては全否定で全国弁連の主張を展開します。だから「被害者に寄り添うべきだ。」と言われるときに、どうしても私はその「被害者」という言葉に一歩立ち止まります。両手足を縛られたり不自由を強制されたり「棄教せねば解放しない」と脅迫されたりしながら長く拘禁され思想改造教育を受けた人の証言を、そのまま受け入れていいのだろうかと。何か別の力が働いてしまっているように思えるのです。拉致監禁にあっては、その中で自殺した人もいれば、レイプされた人、逃げる時に背骨を折った人もいます。またPTSDの後遺症で苦しんでいる人も多い。ところが、棄教した人は統一教会の「被害者」として全国弁連の証言者となります。そんな現状であっても、世間では拉致監禁問題が顧慮されず、拉致監禁に関与した者達が野放しで、世論を扇動し、ついには政治家や政府までも動かしたのが現状です。

7.献金について

 高額献金が問題になっていますが、献金する人たちの心の想いはその人それぞれでしょう。私自身、収入の多くをキリスト教会に献金として献げてきました。でもそれは教会を通して神に献げたのであって、過去に私が去った教会に対しても返還を求めたい気持ちはありません。その時は、その教会の人たちが兄弟姉妹として家族だったわけです。家族に自分の稼いだ収入を出すのはむしろ普通です。私のような信仰者は、神が「あなたの想いはちゃんと受け取ったよ。」と言ってくださるのであれば、それで満足で感謝なことです。信仰者は余ったお金で贅沢に生きるより、もっと神の御用のために用いられることを喜びとします。だから、統一教会とは教義から何から違うとはいえ、そのスピリットは理解できます。
 ただもし、拉致監禁されて信仰を失った元信者が、現役の信者だったときに信仰心によって行った献金について、監禁実行犯らの指導の下に、「意に反して献金させられたから返せ」と主張したとして、それが通用する世の中になるのだろうか。宗教者であり信仰を持つ立場として、政府の解散請求によって起こっている出来事を前に、最後の砦である裁判所が信教の自由にあって宗教の存在を守ってくださらねば、今後どうなってしまうのかという危機感とともに、裁判所にすがる思いでいます。

8.最後に

 私は統一教会が全く問題の無い組織だとは思いません。過去、社会問題化したのは、実際に、そのような事実があったからだろうと思います。ただ、私が潜入調査した限りでは、そこに集う人達は、皆社会を良くしたいと思う気概に溢れた人達でした。また、特に2009年以降、裁判件数やクレーム件数等は、目に見える形で改善がなされているように思います。その評価が一切されていないのは、むしろ問題だと考えています。
 私たちキリスト者は基本的にみな統一教会が嫌いです。こういった時でも感情的に「潰れてしまえ!」くらいに思っています。ただ、やはり一人の宗教者として、25年以上統一教会を横目で見て歩んできた者としては、公平に証言せねばなりません。
 解散命令請求が出され、彼らは本当に途方に暮れていますが、すでに改善改革が進められ一宗教の枠内に留まり14年も経っている今、解散させなければならないほど悪い教団とは思いません。私の教会とは教義から何から違うのですが、彼らには守りたい大切な価値があることは分かります。そして、2009年以降、改善努力してきたように、その真価を発揮しつつ活動していくならば人類普遍の価値に貢献できるとも考えています。
                     以上


いいなと思ったら応援しよう!