二十一年間貫き通した懺悔と許し-菊池寛の『恩讐の彼方に』②
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10月第2作目には、菊池寛の小説、『恩讐の彼方に』を取り上げます。
『恩讐の彼方に』は江戸時代の僧侶・禅海の実話をモデルとして、菊池寛が生み出した創作小説です。
禅海は危険な橋から民の命を守るため、後に青の洞門と呼ばれるトンネルを30年かけて開削した人物。
菊池寛は、言わずと知れた『文芸春秋』の創刊者で、芥川賞・直木賞の創設者でもあります。
『恩讐の彼方に』とは、「情けや恨みという感情をを超えた先に」というあたりのイメージです。
(「恩」は情けを、「讐」は恨みを表す言葉なので、「恩讐」は「情けと恨み」)
主人公の市九郎は、罪を犯して絶え間ない後悔を感じながら生き、やがて救いを得ていきます。
『恩讐の彼方に』……二十一年間貫き通した懺悔と許しの物語
菊池寛(1888~1948)
【書き出し】
市九郎は、主人の切り込んでくる太刀を受け損じて、左の頬から顎にかけて、微傷ではあるが、一太刀受けた。
※あらすじの前編は前回の記事をご覧ください。⇓⇓
【あらすじ】(後編)
(※前回より:自分の犯した罪への償いとして二百間以上(約350~400メートル)の絶壁を掘り抜いて道を通そうと決意した市九郎。)
しかし、現実的でない事業への勧進に、だれも耳を貸してくれない。
市九郎は独力で成し遂げようと心に決め、一人槌を振るった。
一年、二年、三年とたつにつれ、市九郎への嗤笑(ししょう)は脅威へ、そして同情へと変わっていった。
九年もたつと、里の人はその事業に期待を持ち、人手を寄進することもあった。
だが、しばらくすると、進展の遅さに達成への疑いを感じ、
「たぶらかされた」と言って去って行った。
その三年後にも同じことがあった。
しかし、十八年目の終わり、市九郎が岩の半分を穿った(うがった)ことが分かる。
すると、中津藩の郡奉行が巡視にやってきて、里の石工三十人が協力してくれることになった。
すでに杖なしでは歩けず、視力も衰えていた市九郎に、みなは休息を勧めたが、市九郎は頑なに断り、今まで通り寝食を忘れて槌を振るった。
その頃、かつて市九郎が殺した主人の息子・実之助が、親の敵(かたき)を探していた。
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