群集とワイドショー
ワイドショーの本質は、自分たちに都合の良い情報を流すことだ。
特にコメンテーターは是か否かの立場でコメントを求められる。反対か賛成か。感想や個人的な私見だとしても、TVを通すとあたかもそれが客観的事実のように写ってしまうのだ。
意見やコメントには、主観が伴う。なぜなら、確証がない事実に対して意見を求められているわけで、あくまでも個人的な見解だとしもて、コメントは編集されあたかも有識者の見解として出されてしまう。
普通、聡明な専門家であればそんなところに出ることは無い。自分の意見を捻じ曲げられ、総意として発信されてしまうからだ。
前置きしても無駄だ。編集されてしまえば、それでおしまい。
また、余計なことを言わない専門家が番組にとっては都合がいい。
番組側の意図を理解し、その意図に沿ったコメントを言ってくれる専門家をブッキングする。
だから、ワイドショーに出てくる専門家やコメンテーターはだいたい同じ人だ。あれは専門家ではなく、タレント。
俗物化した専門家など、価値に値しない。
わきまえている人たちはゴシップやワイドショーなど見ない。
しかし、群集はそうした情報やスキャンダルを欲している。需要があるから、供給も生まれてしまうのだ。彼らもまた群集のレベルに合わせて情報を発信しなければならない。
群集は、情報の検証などしない。受け取った情報は彼らにとって真実なのだ。たとえ、事実と違っていたとしても、疑うことはない。
ワイドショーを見る世代は、ある程度限られている。そしてその世代は、純粋な日本人と言ってもいい。義務教育を受け、学校の先生が言うことを聞くことが正しかった世代だ。
彼らにとって情報は常に与えられるものであり、疑うことは無い。
考える力がないと言ってもいい。少し考えればわかりそうなことですら、信じてしまう。それが群集心理だ。
そして、思考力を持たない群集は恣意的の歪められた情報を受け取って、コントロールされる。
ワイドショーに限らず、専門家と言われる人が出ている番組は疑ったほうがよい。そこには、必ず群集を喜ばせようとする恣意的な意図が隠されているからだ。