無意味だった大人たちのおどし
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不登校だった、と書きましたが、実は私は幼稚園時代からすでに登園拒否を始めていました。
当時、幼稚園の先生が母に「幼稚園は通わなくても済みますが、小学校はそうはいきませんよ」と話していたのを覚えています。
やがて小学生になり、私は最初の数ヶ月でとても登校できなくなりました。すると、周囲の大人たちが、「小学校は行かなくても何とかなる。でも中学校からはそうはいかない」と言いました。
また、「みんな行きたくなくてもがんばって学校に行っている。いつまでもそんなわがままが通るものじゃない」ともよく言われました。
中学校に上がる頃には、不登校という言葉も世間に定着し、無理に登校させようとする大人は周囲にはいなくなりましたが、「学校にも行けないで将来どうするんだ」と暗に脅してくる大人は珍しくありませんでしたし、面と向かって「そういう病気(不登校)は何とかしてもらわないとねぇ」と言われたこともありました。
中学を卒業する際には、就職か進学かで迷い、当時住んでいた市内に通信制高校があることを知って進学を選びました。自分が全日制に通うことができないことは承知していました。
通信制高校に通うということは、少なくとも当時のその地域では、落ちこぼれの証明のようなものでした。「普通の高校に通ってる子が羨ましくないの?」とずけずけ訊いてくる大人もいました。私にとって進学は自分にとって最良の選択をしただけのことでしたが、ほとんどの人はそう思わないようでした。
高校2年生になって、それまで経済的な理由で諦めていた大学進学が叶うことになり、予備校に通い始めた頃のことは他の記事でも書きましたが、これまでの人生であの頃ほど笑いものになったことはなかったと思います。
幼稚園に行けなかったときも、小学校に行けなかったときも、中学校に行けなかったときも、あれほど皆と同じように登園・登校をするように脅かしてきた大人たちが、「大学へ行きます」と宣言したとたん今度は無理だ無駄だと笑い始めたわけです。
ここで言う大人たちというのは、特定の成人を指すわけではありません。生活の中で関わる不特定多数の大人たちです。
はたして私は現役で外大の、当時では学内で最も偏差値の高かった学科に合格し、単位を落とすこともなく良好な成績で卒業するに至りました。
大学生活が順風満帆だったわけでも、満足のできるものだったわけでもありませんが、結果として私の最終学歴には中堅大学の名がつくことになりました。
そして社会に出てみると、人が見るのはその最終学歴だけで、誰も私を落ちこぼれ扱いしなくなりました。誰も私が幼稚園や小学校、中学校にちゃんと通ったのかどうか確かめたりしませんし、高校が通信制だったのか定時制だったのか全日制だったのか訊かれることもありません。
現役で外大を出ているんだから、当然幼稚園も小学校も中学校も高校も通ったに決まっていると思われているのです。
そう思い込まれるのは好都合でもあり、不本意でもあります。
高校を卒業するまでの十数年間、脅され、笑われ、蔑まれたのはいったい何だったのか。
何でもなかったのです。
私を真剣に心配するふりをして、良識ある大人の顔で脅してきた大人たちの言葉ほど、無意味で虚しいものはありませんでした。
そして今も日本中で、当時の私と同じように、あるいはもっと過剰に脅されている子どもたちがたくさんいるのだと思います。
息苦しく、不安で、恥ずかしく、怒りのやり場のない思いをしている子どもたちに、直接語りかけるすべを今の私は持っていません。
ただ、私の経験したことを文字にすることが、いつか誰かのささやかな救いや安堵になればと思います。