津軽の「〃」はハッピーターンの粉
青森の西に位置する津軽地方は、言うまでもないが津軽弁を話す地域である。一口に津軽弁と言っても、言葉や話し方は地域によって異なる。まだ中泊町に移住して10カ月しか経っていないが、津軽弁の地域差を感じるようになってきた。中泊町のなかでも小泊地区と中里地区の津軽弁でも違う。
中里に住んでいて気づいたことといえば、他の地域よりも濁点「〃」が多い事である。もちろん個人差があり一概に中里の特徴とは言い切れないが、北に行けば行くほど「〃」が強くなる傾向があるらしい。
津軽を極めた達人たちは、隙さえあれば「〃」を入れてくる。空白の余地はこの奥津軽には残されていない。「んだっきゃ(そうだよね)」は「んだぎゃ」になる。
「中里」という地名も、なかさととは発音しない、「なかさど」という。しかし、中里をさらに極めた人は「な゛がさど」というように、「な」にも濁点が付いているように聞こえる。な行に濁点を付ける発音は素人の私には真似が出来ない。津軽生まれ、津軽育ちの達人にしか発音出来ない職人技である。
たかが「〃」は侮ってはいけない。「〃」が付くだけで印象だけではなく、言葉の意味も変わってしまう出来事があった。
中里で宮越家の受付の仕事を慌ただしくしていた時。とっさにボランティアの方に
と言われ思いついたのは
そう、文字通り「画板」。
「えっと、画板...画板...」と探しても近くに画板は無かった。
するとその光景を目の当たりにしていたもう一人のボランティアの方が私の方に来て
と優しく私の肩を叩いて慰めてくれた。
がばん...バック... かばんのことか!
かばんの「か」にも濁点が必要なのか!
隙さえあれば「〃」が入るという事実を痛感した出来事であった。
それでも、「がばん」のほうが「かばん」より心地の良い響きである。「かばん」と聞くと丁寧に聞こえるが、丁寧過ぎて距離があるように感じる。
しかし「がばん」という響きはさっぱりとしていて、対等な関係で話しかけられている印象がある。
とっさに意味は理解出来なかったけれども、個人的には「かばんを取ってください」よりも「がばんとってけ!」と言われる方が嬉しい。
「〃」には人と人との距離をぐっと近くする力があると思う。
津軽出身ではない私は残念ながらこの「〃」のニュアンスを完全に理解すること難しいが、もし「〃」が津軽から消え去ってしまったらと想像すると悲しい。
もし中里がなかさとになってしまったら...
もし「がばん」が「かばん」になってしまったら...
「〃」が無い津軽というのは、ハッピーターンにあのおいしい粉がかかっていないのと同じくらい味気無い世界である。
もし、この世界の全ハッピーターンから粉が無くなってしまったら...と想像してほしい。もちろんせんべいの部分も十分おいしいけれども、でもあの粉がかかっていなかったらそれはハッピーターンでは無い。
神奈川に帰省した際に家族と話していて何か足りないと感じたのは、「〃」が無かったからだ。「〃」が無いとさらっとし過ぎて、面白味が半減する。
粉がいっぱいかかったハッピーターンを食べてから、粉が付いていないハッピーターンを食べたような気分だった。
文字では表現するのが難しいが津軽の音。いくら文字にしても、伝えることが出来ない「〃」の響き。生きた津軽弁を聞いてこそ津軽弁の魅力を感じることが出来ると思う。あずましい津軽の「〃」をより多くの人に知ってもらいたい。
ぜひ中泊町に来て、ハッピーターンのあの粉が沢山かかった津軽弁の音を聞きに来てほしい。
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