中泊町文化観光交流協会

青森県の北津軽に位置する中泊町、奥津軽にはまだ知られていない魅力があふれている。ディープな津軽の文化を津軽弁たっぷりにお届けします。

中泊町文化観光交流協会

青森県の北津軽に位置する中泊町、奥津軽にはまだ知られていない魅力があふれている。ディープな津軽の文化を津軽弁たっぷりにお届けします。

マガジン

  • 地域おこし協力隊覚張の津軽体験記

    中泊町地域おこし協力隊覚張の中泊町に暮らしていて感じた小さな事柄を紹介します。 月に1回か2回更新予定です!

  • なかどまりの人 ことばで出会う旅

    北津軽にある小さい町には日本海と田園に囲まれた美しい風景があります。この町の一番の魅力はこの美しい風景を支えるあたたかくてユニークな町民。遠い中泊町に簡単には来れないけど言葉を通してなら人と出会うことが出来ます。このマガジンでは遠く離れた読者にも中泊町の人と出会うための記事をお届けします。

最近の記事

「あ、めえし」と思われる店にしていきたい。 吉田チャンコ食堂 吉田文義さん

津軽鉄道津軽中里を降りて左手の「駅ナカにぎわい空間」の中に「チャンコ食堂」があります。 もともとチャンコ食堂は中里町で個人商店として店舗を持っていましたが、火災で店舗を失い、2020年に津軽中里駅「駅ナカにぎわい空間」でオープンしました。 今回はチャンコ食堂の店主 吉田文義さんにお話を伺いました。 チャンコ食堂の長男として 実家は中里でチャンコ食堂を営んでいて、18才まで賑やかだった派立通りで育ちました。 その後6年間東京に住んでいたこともあって、でまた地元に帰って

    • 津軽の「〃」はハッピーターンの粉

        青森の西に位置する津軽地方は、言うまでもないが津軽弁を話す地域である。一口に津軽弁と言っても、言葉や話し方は地域によって異なる。まだ中泊町に移住して10カ月しか経っていないが、津軽弁の地域差を感じるようになってきた。中泊町のなかでも小泊地区と中里地区の津軽弁でも違う。 中里に住んでいて気づいたことといえば、他の地域よりも濁点「〃」が多い事である。もちろん個人差があり一概に中里の特徴とは言い切れないが、北に行けば行くほど「〃」が強くなる傾向があるらしい。 津軽を極めた達

      • 「おら昔っこ語っている時が一番幸せだ」 語り部 対馬てみさん 

        青森県北津軽郡金木町(現五所川原市金木町)出身の小説家太宰治が津軽地方の土地や人々を描いた小説「津軽」で物語の終盤かつて自分の子守をしていた女性「タケ」と約30年振りに再会する場面があります。 この場面で二人が再会を果たしたとされる中泊町小泊地区に平成元年『小説「津軽」の像』が設立され、隣接する『小説「津軽」の像記念館』では小説「津軽」の詳しい紹介を写真や年譜等で紹介しています。 記念館では毎月二回、語り部の對馬てみさんが太宰治の小説や昔話を語っています。 今回のインタ

        • 中里の憩いの場でコーヒーを飲んでゆったり「カフェ&バル田家」佐藤るり子さん

          中里の憩いの場でコーヒーを飲んでゆったり「カフェ&バル田家」佐藤るり子さん 中里駅を降りて派立通りをまっすぐ10分程歩き、郵便局を左に曲がり、その先の坂を少し上がったところに田家はあります。 「田家」・代表の佐藤るり子さんは、長年東京で教員として勤めた後、生まれ育った地元中里にUターンし、カフェ&バル田家を始めました。今回のインタビューでは店主の佐藤るり子さんにお話を伺いました。  介護をしながら、カフェを開く  向町という場所で生まれて、中学校1年生の時にここに引っ

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        • 地域おこし協力隊覚張の津軽体験記
          4本
        • なかどまりの人 ことばで出会う旅
          11本

        記事

          ベトナム女子がバサマ純度100%の温泉に入ったら津軽の洗礼を受けた話。

          私が住んでいる奥津軽、中泊町。近くに津軽鉄道の駅「津軽中里駅」があるものの、二時間に一本くらいしか電車が走らずアクセスが良い場所とは言えない。 しかしこのような不便な場所にもベトナムから働きに来ている技能実習生が住んでいる。 平均気温が27度と一年を通して温かいベトナムから来た彼女たちにとって奥津軽の冬の寒さは尚更厳しいものであろう。地吹雪の日も出勤し懸命に働いて心と体は冷え切ってしまっている。しかし津軽にはゆっこ(温泉)というものがある。 私が津軽に来て驚いたこととい

          ベトナム女子がバサマ純度100%の温泉に入ったら津軽の洗礼を受けた話。

          「村の産土神社がおらにカメラを持たせてくれたんだと思う。」 アマチュアカメラマン、農婦 外崎令子さん

          アマチュアカメラマンの外崎令子さんは手に持っているカメラで、平成元年から宮野沢の風景を残してきました。 外崎令子さんは60歳のときに12年間の景色をまとめた写真集「わたしのふるさと みやのさわ」を自主出版しました。 その後「グラフ青森」で6年間の連載を始め、子供の頃からのことや中泊町の古老たちから聞いた昔話を書いた『振り返れば懐かし』が「グラフ青森」から出版されました。 今回のインタビューでは外崎令子さんに写真を撮り始めた原点、そして故郷への思いについてお話を聞きました

          「村の産土神社がおらにカメラを持たせてくれたんだと思う。」 アマチュアカメラマン、農婦 外崎令子さん

          「自然に関わって働けることがモチベーションに」 登山ガイド、農家 野高健司さん

          8年前に長野県から中泊町に移住してきた野高健司さんは、登山ガイドそして農家として自然に携わるお仕事をしています。 2021年の4月から中泊町の農業法人でも働き始めた野高さんに、移住者としての中泊の生活についてインタビューさせていただきました。 (記事の最後に野高さんの登山ガイドのサイトを掲載しています) 山が見える場所で生まれ育った神奈川県の小田原という丹沢とか富士山とか結構山がきれいに見える場所で生まれ育ちました。 だから小学校とかでも自然に触れる機会がけっこうあっ

          「自然に関わって働けることがモチベーションに」 登山ガイド、農家 野高健司さん

          「わ車さ例えれば、バックのギアねえんず。」米農家 長利謙二さん

          中泊町の中里地区の特産品はお米で、秋になると町中が黄金色の稲で埋め尽くされています。 今日は下豊岡という場所で米農家を営む長利謙二さんにお話を聞きました。 ほれぼれするような字生まれ育った場所だべ。下豊岡。生まれてからずーっと58年間。 家の前に川が流れている鳥谷川っていうのがあるの。その沿線に村がずーっと連なっているの。川の両側に道路がある場所。 今はちっちゃい川だけど昔はずっと大きかったの。20年くらい前だったけな。道路を改修したわけ。 元々はずっと広くて田んぼ

          「わ車さ例えれば、バックのギアねえんず。」米農家 長利謙二さん

          こころを満たしてくれる治療院 小野治療院こころ to からだ 院長小野永一さん

          青森市にある小野治療院こころ to からだの院長小野永一さんは毎週木曜日中泊店で施術を行っています。 小野さんはカイロプラクティックと選択理論心理士の資格を持ち、心も体も健康にする治療を行っています。 今回は治療家としてだけではなく八戸や五所川原でセミナーを行い講師としても活躍される小野永一さんにインタビューしました。 (小野治療院についての情報は記事の一番下に記載しています。) 心のありようが体にあらわれる――小野さんはどのようにして治療家になられましたか。 生ま

          こころを満たしてくれる治療院 小野治療院こころ to からだ 院長小野永一さん

          町の歌って踊って喋れる女王 加藤則子さん

          加藤則子さんは「なにもささ」保存会、中泊町陸上協議会、宮越家ボランティアガイド、地元の演歌歌手など多岐にわたって活躍されています。 そんな活動的な加藤さんは地元の人に「歌って踊って喋れる女王」というあだ名までつけられているそうです。 今回は津軽中里駅の中にある駅ナカ賑わい空間にて加藤則子さんにインタビューしました。 水のきれいな所——加藤さんは中里生まれ中里育ちですか。 宮越家の近くの尾別で生まれて育っております。 実家は農家で小さいころは畑や田んぼも手伝ったりした

          町の歌って踊って喋れる女王 加藤則子さん

          小泊でのちょっと贅沢すぎる暮らし  小泊漁協で働く伊藤竜太さん

          中泊町は内陸の中里地区と海沿いの小泊地区に分かれています。中里から車で運転すること約三十分、日本海に面した小泊地区があります。 今回のインタビューは小泊漁協で製氷業とマツカワガレイの養殖を行っている伊藤竜太さんに、小泊での暮らしについてインタビューさせていただきました。 良いですよ、小泊の海は。 ――伊藤さんの生まれ育った場所について教えてください。 私の生まれ育った場所は、 青森県中泊町の小泊です。漁師町ですよね。漁業が盛んに行われていて、 主に津軽海峡メバルやマグロ

          小泊でのちょっと贅沢すぎる暮らし  小泊漁協で働く伊藤竜太さん

          命がけ! ばさまのおつかい・冬 ~しなやかに生きる力強さ~

          ニュースを見る度に「今年は異例の大雪」と報道されどうなってしまうものかと思ったが、ようやく立春まで生き延びることが出来た。 最近は雪の降り方も穏やかになってきて、少しずつ暖かい春へと向かっている。 ここ奥津軽・中里は平野なうえ、一面が田んぼで日本海からくる強い風をさえぎる物がない。 強風は積もっている雪を吹き飛ばし、雪が降らない時でも地吹雪をおこす。更に冷たい風は道路に積もった雪をつるつるに凍らせるのである。 強風のとき凍った道を歩けば20代の私でも転びそうになる。し

          命がけ! ばさまのおつかい・冬 ~しなやかに生きる力強さ~

          酒飲んでバカ話できる居酒屋 「くつろぎダイニング哲。」店主 中畑哲也さん

          津軽中里駅を降りてまっすぐ歩くと十字路にぶつかる。そこを左に曲がったすぐのところに居酒屋「くつろぎダイニング哲。」はあります。 お店を開いて今年で14年目の「くつろぎダイニング哲。」には地元の人だけではなく、名物のメバル膳やトマト海鮮ラーメンを求めて町外からも多くの人が訪れています。 今回は「くつろぎダイニング哲。」の店主である中畑哲也さんをインタビューしました。 あの時良かったな――中畑さんの出身、育った場所について教えてください。 中里の宮野沢に実家があって。ずっ

          酒飲んでバカ話できる居酒屋 「くつろぎダイニング哲。」店主 中畑哲也さん

          「なんもねぇ町」にも誇れるものを 宮越寛さん

          中里から車で10分ほど離れた場所には小川三知のステンドグラスが残る離れ「詩夢庵」があります。 大正9年宮越家9代当主正治がイハ夫人33歳の誕生のために建立したと伝えられます。大正浪漫あふれる空間は夫妻が詩歌を詠む場所として「詩夢庵」と命名されました。 今回は12代目宮越家当主であり、宮越商店を営む宮越寛さんにインタビューさせていただきました。 こっちの人は対等なんですよ ――宮越寛さんの生い立ち、学生時代について教えてください。 ここ(尾別)で生まれで中学までここで育

          「なんもねぇ町」にも誇れるものを 宮越寛さん

          冬のつがるで見つけた奇跡のじさまたち

          去年の10月から地域おこし協力隊として赴任してから早いことでもう三か月。とうとう本格的な冬真っ只中である。 当たり前だが青森の冬は私が育った関東よりもずっと厳しい。 寒く、吹雪で前は見えなくなる。家や車に雪が積もりしょっちゅうおろさなくてはいけない。雪が邪魔して道は狭くなり、道路は冷たい風で凍りツルツルガタガタに。 ただでさえ慣れない車の運転なのに、冬は一層のこと神経をすり減らす。 地元の人と話をしていると 「土手から落ちて車が一回転した」 「吹雪で前見えねえくて

          冬のつがるで見つけた奇跡のじさまたち

          「ありがたいね」が口癖の福助女将 小野美智子さん

          津軽中里駅から歩いて約5分 駅から派立通りを歩いて左の小道にまがったところにある落ち着いた雰囲気の建物が福助旅館です。 「なかどまりの人たち」第2回目は旅館福助の食堂で女将の小野美智子さんにインタビューをしました。 (旅館の情報は記事の最後に記載しています) ―― 女将さんはいつから中里に住んでいますか。 私は「旅館福助」の娘だからずっと中里に住んでいる。わたしでもう三代目だ、長いね。 福助は創業約80年、それ以上かもわからないかも。 ―― 小泊と中里が合併して中

          「ありがたいね」が口癖の福助女将 小野美智子さん