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自己紹介

はじめまして、手術看護認定看護師の中村昌夫(なかむらまさお)と申します。
あまり詳しく自己紹介をする機会がないので、noteに書いておこうと思います。

生い立ち

僕は1986年(昭和61年)に、名古屋で生まれました。小・中学校は地元の公立学校に通い、部活はずっと陸上部。高校はスポーツ推薦で地元の県立高校に入学したので、高校3年間も陸上部でした。高校卒業後は、これまた地元の看護専門学校に入学しました。

看護師としてのキャリア

看護専門学校を卒業して、実習病院でもあった名古屋の日赤病院に就職。第一希望はICUだったのですが、第3希望の手術室に配属に。ところが新人オペ看時代はとにかく麻酔が面白くて、ほぼ毎日麻酔関連の参考書を読み漁っていました。

看護師2年目ではじめて『学会』なるものに参加。3年目は膝・肩の手術にどハマりし、肩関節学会やJOSKAS(現在は分裂してしまいましたが)に医師とともに参加するようになりました。

そんなこんなで時は過ぎ、2017年。看護師10年目になる年、僕はマンネリ期に突入しました。どうしてもマンネリから脱したかった僕は、1年間で周術期管理チーム看護師資格の取得と4回の学会発表をしました。とにかくがむしゃらに行動し続けていたかったんでしょうね...。

ただ、この時の発表がきっかけとなって、大腸内視鏡手術の執筆依頼を頂くことができました。

その翌年、認定看護師資格を取得するために兵庫医科大学へ入学します。この時既に看護師10年目。実は、認定看護師にはもっと早いタイミングでなりたかったし、看護部にもお願いしたのですが、「まだ早い」と断られた過去があったんですね。

僕としては認定看護師というキャリアは捨てていたのですが、年末に看護部長に呼ばれ、認定看護師を取りにいきなさいと言われ、急遽入学試験を受けることになりました。

大学では人生最高の仲間や先輩に巡り合い、無事に修了し、認定審査を経て認定看護師資格を取得することができました。この頃から、体温管理や周術期褥瘡関連の企業さんにお声がけをいただき、ほぼ毎年セミナーをさせて頂いております。

2023年、思い切った決断をしました。15年働いた日赤を辞めたのです。ちょうど日赤病院は「Rプラン」という給与・賞与制度の大きな改正を行うタイミングで、細かいことは説明しませんが、僕はキャリアに大きな影響が出ると判断しました。

日赤に止まれば間違いなく管理の道を進むことになる。いろいろとモヤモヤしていたのですが、タイミングよく複数の方に声をかけられました。ひとつは知り合いの整形外科医。人工関節専門のクリニックを立ち上げないか、と。ふたつめは、母校の主任教員から。教員として認定看護師教育をやらないかと。

最終的に僕が選んだのは、臨床での実践。整形外科単科病院への移動です。というわけで、現在は名古屋の人工関節専門クリニックで働いております。

noteに綴っていきたいこと

このnoteは、仕事のこと、プライベート、日記など、全てを書いていきたいと思います。

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