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【エッセイ】25歳8ヶ月、引きこもりのわたしの生態。
25歳も残り僅かだ。カウントダウンとまではいかないけれど、4月からは年度が変わるし、そしてそろそろ、「何歳ですか?」の質問に対しては、『今年26になります』と答えるようにしていかねばならぬだろう。そういう微妙な時期。8ヶ月って。
そんなわたしはいま、引きこもりだ。コンビニやスーパーには行く、食べなきゃ死んじゃうし、ストレスはほとんど食べることでしか発散できないわたしだから。でも社会的に見れば、引きこもり。人生3度目の引きこもりである。3度目となればもうプロだ。
1度目は高校1年の1学期。おっ、トリプルに1が並んでる。2度目は21歳の8月〜24歳の3月。そして3度目は25歳の12月〜現在。いままでの引きこもり遍歴。
わたしは引きこもりたくて引きこもっているわけではないけれど、どちらかといえばインドアなタイプだから、外に出られなくてつらい、みたいな感情はあまりない。でも、やっぱり外には出たい。ショッピングモールにだって行きたいし、映画館にも行きたい。引きこもりたくて引きこもってはいない。ただ、外に出るのが怖いのだ。
わたしには不安からくる怖いものが沢山ある。イヤホンは、外の音が聞こえなくなるのが怖くて片耳しかつけられない。車や電車やバスは密室になっているのが怖い。テレビでYouTubeは観られない、緊急地震速報やニュース速報に気付けないから。
家にひとりで居るのも怖い、いつ自殺しそうになるかわからないから。
普段は寝て過ごしている。SNSを主食としている。あとは、短歌を考えたり、川柳を考えたり、こうやってエッセイの文章を打ち込んだり。また寝たり。食事を摂ったり。また寝たり。テレビは家族が帰ってきてから一緒に観ることが多い、ひとりだと楽しくないから。
今日はエッセイを一冊読み始めた。星野源さんのいのちの車窓から2。そしてネプリを出力した。湯田かにさんの「海を目指して」。
なにかしらのモニュメントのようになっている積読エリアから、エッセイなら読めるかなと手に取った。いまわたしは、活字があまり頭に入ってこない時期を過ごしている。自分が言葉を綴る分には思考を解き放っているだけで楽なのだが、小説、特にミステリ小説などの伏線を感じながら読まなければならないものを読めるほどの気力と体力を失ってしまっている。
好きな人の文章ならすらすら入った。読みやすさと相性も、もちろんあるだろう。湯田さんのネプリは、彼女の言葉たちが大好きなわたしにとっては非常に栄養価の高いエッセイだった。人柄がよくわかる。源さんのは、1節ずつ読み進めていく。長く楽しむために。
でもこれらは本当に現実逃避でしかなくて。わたしが片付けなければならない問題は、片付けられないわたしのデスクよりも山積している。バイト、どうすんねん。
昨日、職場の上司(であるところの母)と、少し話をした。いま配属されている店舗から離れて、所属部署の単発勤務だけに戻してもらい、他の日は家の近くのドラッグストアで、一昨年取得した登録販売者の資格を使って働きたいと思う、と。わたしは会社には出社しないスタイルのバイトスタッフなので、話してみるわ、と上司(母)に託しておいた。それが、あまりにも早くさっぱりと返事が返ってきた。
ええんちゃいますか。と。寛容な本部長。
だからあとはわたしが、踏み出す勇気さえあれば。店長に店を離れたいという相談をして、働きたいドラッグストアに応募して、面接をしていただいて。でも面接も受かるかわからない。精神疾患もある、持病もある、どこまでオープンにして就労をするかは考えなければならない。
ほーら、山積している。問題が、山積みだ。
できればしあわせを山積みにしたい。返ってくることはわかっていても、少し自らの手から離れた問題が返ってくると一気に重たくなる現象の名前はなんだ。苦しい。苦しくなる。
明日が来るのが急に怖くなる。引きこもっている間は、良い意味でも悪い意味でも平穏だ。外的要因のしんどさはあまりなく、どちらかといえば内省を深め過ぎて自らしんどくなる道へ進む。でも、しんどくなれば考えることを放棄すればよくて、わたしはそれを寝ることでリセットしていた。
嫌なことなど早めに終わらせたい。今晩にでも。明日にでも。でもひとりは不安だ。だから、同居人が帰ってきてからにする。依存しているわたしはまだひとりでは立てないわたしだ。これが生態。引きこもりのわたしの生態。がんばれわたし。