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M先輩の思い出 6

子どもが産まれてからは、ますますM先輩との付き合いは遠のいた。
M先輩どころではなくて、映像学校時代の友人、知人とも縁遠くなった。

彼ら、彼女らは、卒業してから、それぞれ、撮影現場や制作会社へと散っていた。
毎日、赤ん坊の世話をしている私には、皆がまぶしく映った。

急に家庭を持ち、慣れない赤ん坊の世話に明け暮れている私には、同期生はまるで別世界の住人だった。

友人の一人に、いかに子育てが大変か訴えたこともあったが、
最後には「でも、幸せでしょう?」と締めくくられて終わりだった。

夫も新しく働き始めた会社に慣れるのに苦労して、私の辛さを分かろうとはしてくれなかった。

私は、赤ん坊をひとり抱きながら、涙を流す日々が続いた。
完全なる〝育児ノイローゼ〟になっていた。

あの頃の私は孤独だった。
世界でたった一人ぼっちのような気持ちに陥っていた。

この頃の体験をつづった小説「冬の旅」より

守るべき小さな命を前にして、四苦八苦していて、
自分のことは何も出来ずに、ホッと一息つくこともままならなかった。

少しでいい、自分を取り戻せる時間さえあれば・・・と感じていたが、
赤ん坊は、私を捕らえて、一瞬たりとも離してはくれなかったのだ。

あの当時、私に必要なのは、同じような悩みを抱えた、ママ友だった。
しかし、これまで創作の世界にしか身を置いていなかった私が、
突然、すべてを忘れたかのように、一般人の顔をして、公園でママ友を作るというのは、とてつもなく高いハードルに思えた。

〝フツー〟を嫌っていた私が、今更どの面下げて、〝フツー〟の人たちに交われるのだろうかと。

そんな屈折した気持ちを抱えながら、それでもママ友を求めて、私はベビーカーを押しながら、ひとり公園をさまよっていた。

新しい環境に、必死になじもうとしていた私に、M先輩から連絡が入ったのは、ちょうどそんな時期だった。

先輩は、いつもの明るい調子で、「ナカるんが、出産したのだから、お祝いしなくっちゃね!」と言うのだった。
それで、ある日、ウチに来てもうことになった。

私としては、真昼間に、全身黒づくめの、やたらと声のでかい若い男を家に上げるのは、近所の手前、恥ずかしかったが、赤ん坊がいては出かけられないので仕方がなかった。

私は顔色が悪かったのだと思う。
悩み事がこれでもかというほど降りかかり、ほぼノイローゼ状態で、学生時代のように、〝おカマ〟の先輩とふざけ合うということが出来なかった。

彼がいくら、楽しい会話を持ち出しても、もうすでに住む世界が違うという気がして、心から笑う事ができなかった。
とっくに彼は、私にとって、星の彼方の住人だったのだ。

かつては、そこに私もいたが、今では地上に降りてきて、
夢を語ることも、将来の希望も何も見い出せなくなっていた。

私は、ひたすら、日々の生活をつつがなく過ごすことだけに、腐心していたのだった。

私たちの会話は長くは続かなかった。
すでに目指すところが違っていたのだ。

先輩はつまらなく思ったのか、それとも、私の態度がすでにその世界を受け付けなくなっていたのか、お茶をお代りして飲み干すと、「赤ん坊のために何か買ってあげる」と言って立ち上がった。

私は、固辞したが、どうしてもと言って聞かなかった。
それで、仕方なく、赤ん坊を連れて、駅前のスーパーへ行くことになった。

私は、M先輩におごってもらうのは気が引けた。

なぜなら、B型肝炎になるくらい、生活が困窮している先輩に、今では曲りなりにも家庭を持ち、生活には何不自由のない私が、おごってもらうのは、何だか違うと感じていたからだ。

出来ればそのお金を、コーラじゃなく、何か栄養のあるものを買って食べて欲しかった。

けれど、先輩は、「いいから、いいから、遠慮しないで」と言い募るのだ。
それで、私は迷いながら、そのスーパーで出しているプライベート・ブランドの紙おむつを買ってもらうことにした。

紙おむつはいくらあっても足りなかったから。

本当は、いつも、スーパーのこの商品ばかりなので、たまには、〝パンパース〟とか、〝ムーニー〟といったブランド物の紙オツムを使ってみたかったけれど、先輩の懐事情を十分過ぎるほど分かっている私には、そんなことをとても言い出せなかった。

「本当にいいの?」と訝しがりながら、先輩は、スーパーの安い紙おむつを買ってくれたけれど、渡すときには申し訳なさそうに、
「本当はもっといい物を買ってあげたかったけど・・・」と言うのだった。

そうして、私達は、駅で別れた。

別れる時に、私は少しほっとした。

夫でもない男と歩いている姿を、近所に人に見られたら、どうしよう・・・という心配もあったし、第一、もうM先輩は、私にとって、遠い人になりつつあった。

私は完全に、映像学校時代を忘れて、子供を育てるために何食わぬ顔で、世の中に溶け込んでいかなければならなかったのだ。
もう夢みたいな、〝脚本〟やら〝映画〟のことは忘れなければならないと思っていた。

彼らは私の中では、完全に過去の人であり、出来事だった。

今の私は、世間という得体の知れない大きなものに、夫と二人して、全力で立ち向かっていかなければならなかったのだ。子供を抱えながら・・・。

だから、雑踏に消えゆくM先輩の後ろ姿を見送りながら、この人と会う事はもうないだろうと、そんな事を考えていた。

もう二度と・・・。

それくらい、二人の道は、別々になっていたのだ。


つづく

この当時の気持ちを「冬の旅」という小説にまとめました。
育児ノイローゼに罹った若い母親の話です。
私にとっても初めての小説でした。

えっ!?
今見たら、なんと、3万円の値がついていました~!
ギョギョですね~。(;´∀`)

確かに、市場にも出回っていない本なので、ご希望の方は、ぜひコメント欄からお申込みください。

初めて子どもを持つ母親には、共感必須です。💚