「誰にでもある?淡い思い出」
こんにちは。
ナカエるです。
私が、月に一回、地元の南海日日新聞社さんに寄稿しております、
「紬エッセイ」が今朝の新聞に載りましたので、紹介いたします。
⇩南海日日新聞社さんは、コチラから。
私が今回、選んだテーマは、「パストライブス」です。
観た方もいらっしゃると思いますが、
〝初恋の淡い思い出〟の事を書きました。
どうぞご笑覧ください。(^^;)
「誰にでもある?淡い思い出」
『パスト ライブス/再会』という韓国映画を観た。ソウルから12歳の時にカナダへ移住する少女と、幼馴染の少年との出会いと別れを描いた作品だ。24歳でフェイスブックで再会し、36歳で実際に会うが、すでに彼女には夫がいた…。だが、ある時期を一緒に過ごし、青春の悩みや苦しみを共にした相手には、特別な感情を抱くものなのだろう。
帰り道、一緒に行った友人から「誰にでもこんな相手はいるよね」と言われ、「いるかな…?」と頭を悩ませていると、「ああ、そうだ、彼がいた!」と思い出した。
あれは、私たちが小学校を卒業しようという頃。中学へ上がるために、男子は全員丸坊主にしてこなければならなかった。卒業式が近づくにつれ、教室では、1人、2人と坊主が増え、照れくさそうに頭を撫でていた。これまで好きな髪型で良かったのが、急に坊主頭になり、男子たちは戸惑っているようだったが、女子の私も戸惑った。何故なら、坊主にすると、皆、同じ顔に見えたから。かくも髪型というのは、大事なものだなぁ…と思った。
そんな中、1人だけ頑なに、坊主にしてこない男子がいた。いつも前髪を伸ばしていた○○君だ。ついにクラスで彼1人が残されてしまった時、無情にも先生からこうお達しが出てしまった。「月曜までに坊主にしてきなさい」と。
週明け、坊主にしてきた彼は涙目だった。先生は「うん、格好よくなった!」と言っていたが、私にはどう見ても、前髪のある方が格好よかった。そうして、半泣き笑いの彼に同情してしまったのだ。あの頃、大人になる前の儀式のような、一律、無機質にされてしまうような体験が、彼を私に忘れられない人にしたのだった。
しかし、40年後、私は再会した。前髪がそっくりなあの頃の彼に。息子さんなのだろうか、あまりにも似ているので驚いてしまった。島ではこんな事がよくある。角を曲がれば懐かしい顔に会う事が。
そっくりさんの笑顔に「ああ、元気にしているんだな」と救われた気がした。これが、私の中の淡い思い出と言えば、そうかもしれない。
※皆さまのお住まいの地域では、坊主文化、まだ残っています?
私たちが、子どもの頃は、坊主当たり前の時代だったので、
こういった大人への洗礼はありました。
なんだか、切ないですね。
私はいまだに、クラスメートだった〇〇君のあの半泣き笑いの顔が
思い浮かびます。
恋?というよりも、同志と言った様な気持ちですね。
あの辛い時期を、お互いよく乗り越えたね、といった感じです。
同級生の皆さん、お元気だといいのですが。
まあ、まだまだ若い?ので、
きっとどこかで元気でお過ごしでしょう。
そんな事を思いつつ・・・。
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