好きで創作してるのに評価を求めるな問題

※全て個人の見解です。

クリエイターに付き纏う創作意欲承認欲求との付き合い方。
ツイッターでも後述の議論が度々起こるぐらいに根深い問題です。
僕も人より遥かに承認欲求が強い分、悩まされた時期も長かったです。
そんな僕が今のところ折れたり病んだりせずに創作を続けられている考え方を、一例として紹介します。

承認欲求

創作をやっていると、度々自分の中にある承認欲求と向き合うタイミングがやってきます。

「閲覧数や再生数が伸びない」
「感想がもらえない」
「拡散してもらえない」
などなど、自分の作品が思うような評価を得られず、歯がゆかったり悔しかったり悲しかったり、ネガティブな感情に苛まれる経験をしたことがある人は多いでしょう。

これはそこそこ厄介な問題で、「誰にも感想が貰えないので続けても意味が無い」と筆を折ってしまう人も少なくありません。
ちなみにこの「筆を折る」って音楽関係のクリエイターの場合どう表現するんでしょうね。
「ギターを折る」とかでしょうか。ロックすぎる。

逆に、推しのクリエイターが筆を折り、「好きだったのに!」と嘆くファンの姿を目にすることもあります。
そしてツイッターなどでよく起こるのが「推しには感想を伝えろ」といった主旨のツイートのバズりです。

評価されたい vs 評価は関係ない

「推しのクリエイターには感想を伝えろ。筆を折ってからファンだったなどと言われても、クリエイターは喜ばないどころか、何故作品を出した時にそれを言ってくれなかったんだと恨めしく思うだろう」
こんなニュアンスのツイートが度々バズっており、僕のタイムラインにも流れてくることがあります。

しかし、それが話題になった時、カウンター的に起こるのが「好きで創作しているのに評価を求めるのか?」という議論です。

「感想を伝えるか否かは受け手の自由だ。感想を伝えたくなるような作品を作れなかったクリエイターが悪い。そもそも好きで創作してるはずなのに評価を求めるのが間違っている。本当に創作が好きなら評価を気にせず創作に没頭しているべきだ」
先述のツイートに、こういった反論が出てくるのです。

正直クリエイターも人間であり精神性も千差万別なので、どちらの論も当てはまる人、そうでない人、沢山いるでしょう。
正誤の答えは永遠に出ず、同じ議論が繰り返され続けることになると思います。

三つの「欲」

はじめに述べたように、僕自身は承認欲求が異常に強く、作った曲は沢山聞いてほしいし、感想もほしい。
そのために宣伝は惜しみなく打つスタイルでいます。
なので、「クリエイターは評価なんか気にせず創作に没頭すべき」という考え方が世間的に強かった時期には、「作品を評価されたくて宣伝を沢山する自分はクリエイターとして相応しくないのではないか」と悩んだこともあります。

そういった悩みを解消するためにも、一度しっかりと自分の「欲」を分析してみました。
創作に関して、自分の中にある「欲」は何で、いくつあるのか。

まず一つ目。
僕は音楽をやっているので、何かメロディを思い付いたとき、その完成形を自分で聞きたいという「欲」が出ます。
これが「創作をしたい」という「欲」です。

二つ目。
曲が完成したとします。
すると僕はその曲を多くの人に聞いてほしい、あわよくば良い評価がほしいという「欲」が出ます。
これが「作品を評価されたい」という「欲」です。

三つ目。
曲を作り、公開して、評価を受けて、「あいつすごいな」と言われたい、という「欲」も出てきます。
これが「自分自身が評価されたい」という「欲」です。

「欲」を満たすための「行動」

それぞれの欲を満たすためには、それぞれに即した「行動」が必要です。

まず「創作をしたい」という欲を満たすための「行動」はもちろん、創作をすることです。
完成まで頑張りましょう。

次に「作品を評価されたい」という欲を満たすための「行動」ですが、これは作品の宣伝が該当します。
評価してほしい作品の魅力を策・情熱の限りアピールしまくりましょう。

最後に「自分自身が評価されたい」という欲を満たすための「行動」です。
これについてはこれまでの実績をアピールすることが該当するのではないかと思います。
今までどんな作品を出して、それぞれの作品がどういった評価を得て、すなわち自分はどんな作品を作り出すことができる人間であるのか
そこを評価してもらおうと言うのですから、難易度は一番高いと思われます。
人によっては、創作活動そのものを欲を満たす「行動」としているかもしれません。
「作品を評価されたい」と似ていますが、別物なので欲を満たす「行動」の選択には注意が必要です。

時間軸の違い

ここまでの分析で分かるのは、そもそも「好きで創作をしている」というのは欲を満たす「行動」で、「作品を評価されたい」というのはまだ「欲」の段階であるということです。
つまり、この二つはそもそも比較対象として段階が揃っていないのです。

これを揃えようと思えば、前者を「創作をしたい」の欲に戻すか、後者を「作品を評価されたいので宣伝する」と行動に進める必要があります。
いずれにせよ、段階を揃えて比較する場合、この二つはそもそも時間軸が異なっていることが分かります。

の段階に揃えて考えてみましょう。
順序としては「作品を評価されたい」欲は、「創作をしたい」欲が満たされた後になってはじめて発生します。
作品が無いことには評価のされようがありませんから。

「最初から評価されるために創作をしている人もいる」と反論があるかもしれません。
しかし、先の項目で述べた「欲」がもう一つあることを思い出してください。
このタイプの人は「自分自身が評価されたい」欲を満たすための行動をしていると分類されるのです。別物ですよ。

以上を踏まえて、改めて「好きで創作をしているのに評価を求めるのか」を振り返ってみましょう。

  1. 好きで作ったものが

  2. 評価されてほしいと思うようになる

すっっっっっごい普通のことじゃない?

好きで作った作品が気に入ることも多いでしょう。
気に入った作品が評価を得られると嬉しいのは当然だと思います。

心が楽であること

長くなってしまいましたが、概ねこんな感じのことを考えている内に「好きで創作しているのに評価を求めるのか?」と言われれば「はい」と答えられる程度には精神が図太くなりました。そらそうよと。

もちろん、理想と現実は違います。
僕自身、作品を公開して宣伝しても、思うような評価を得られない場合は多々あります。
(評価してくれる人はいます。それについては感謝してもし切れません)

ただ、そんな場合にも「好きでやってることだから悔しがったり不満に思っちゃ駄目だよな……」みたいに自分の感情を抑え込んで病んでしまう、ということも、もうしていません。
むしろ「この作品最高だから評価されてえ~!」と堂々と表に出すなり、宣伝に力を入れるなりすることに抵抗が無くなりました

別に「欲」が満たされないことに不満を持っても良いんです。
他者への攻撃などで迷惑をかけたり法を犯したりしなければ。
自分の心を無理に抑え込んで病んだり折れたりしても、「好きで創作をやってるんだから評価を求めるな」と言ってきた人は責任を取ってはくれません

自分の心が楽であること。
それを実践できれば、末永く創作とも承認欲求ともバランス良く付き合って行けるのではないでしょうか。

これ話纏まってるかな?

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