宵の明星、地下5mの水脈【 #教養のエチュード賞 応募作品 】
夕飯までの少しの時間、私は娘をつれて公園まで散歩に出掛けることにした。もうすぐ冬至、まだ16時前だというのに随分と太陽は西に傾き冷たい風が頬に触れた。外はさむい。それでも「今日は自転車に乗りたいの」と言う娘は出がけ前に手袋をさがしだす。
まぁそんな時に限ってなかなかみつからないのだが。
出てこない手袋にすこしがっかりした様子の娘だったがそれでもめげず、素手でハンドルを握ると、ひょいと元気よくサドルにまたがった。
「あんまりスピード出すなよ。」
言いつけを守り、ゆっくりと進む自転車。
それに並走するように、わたしは小走りでついて歩く。
少し急な坂道に差し掛かるころ、きっと重くなったのだろう。ペダルを漕げなくなった娘が地面に足をつけた。
「一緒に押して坂道をのぼろうか」
わたしは腰を曲げ、ちいさな自転車のハンドルをちいさな娘の手ごと握った。お互いの冷えた手が重なり合う。あと二つ坂を登れば公園だ。
坂の上の公園には鉄棒とすべり台と砂場があり、そこにはすでに男の子二人の先客がいた。小学生くらいだろうか。6歳の娘より頭一つ分ほど背が高い。そんな彼らだったがよくよく観察するとプラスチック製のスコップで砂場を掘って遊んでいるようだった。
たのしそうだね。
興味を示したのか娘も穴掘り遊びに参加しだした。
男の子二人の遊びに突然娘が合流した形になった為、もしかしたら仲間外れにされるんじゃないかなと心配したが、弾かれることなく遊び始めたので一安心する。
しばらくするとそこには子供がおもちゃのスコップで掘ったにしては深い穴が出来上がっていた。私は不思議に感じた。何よりもその遊びが不思議だったのは砂で何かを作ることなく、ただ穴を掘るだけの遊びであったことだ。何をしたいのだろうか?落とし穴というわけでもなさそうだった。
不意に男の子が「粘土質の層にぶつかった」と言った。プラスチックのおもちゃではこれ以上掘り進めることができない層に達したということだろうか。
指で揉むとグニグニする土の触感に子供たちが色めきだつ。
「これって焼いたら皿になる土じゃない?」娘が嬉しそうに問いかけると男の子は「そうかもしれない」と答えた。
たしかにここは窯元がある土地だから焼いたら、その土は皿になるかもしれないなぁ。おかしさで口元が緩む。それにしても会話の流れが面白い。このあたりの子供は体験学習の一環で窯元にて皿を焼いてもらうそうだから、こんな話題になったのだろう。
子供たちの言葉の投げ掛け合いはさらに加速する。
「このまま掘っていけば地下水がでてくるよ、きっと」
「えー、5mは掘らないと水は出てこないんじゃない?」
とここまで来て、私はその男の子の知識の深さに驚いた。
普通なら『もっと深く掘らなきゃ』くらいのニュアンスで返せばいいところを、即座に5mという数字を持ち出してくるところに知識の輝きを垣間見たのだった。この場合その数字が正しいかどうかは別に問題じゃないだろう。一つの基準を客観的に相手に伝えられる尺度として持っているということが素晴らしい。
そういえば先程からの会話ものっけから『粘土質の層』という単語も出ていたし、もしかしたら、この子のお父さんは学者さんだったりするのかもしれない。
静観の態度を貫くよりも、この少年への興味が上回った私は、素直に訊ねてみることにした。
「君のお父さんは学者さんだったりするかい?」
その少年は見知らぬ私の問いかけにしばらく沈黙したのちに「いえ、学者ではなくて、シンリンに関する仕事をしています。今は十津川にいます。」と丁寧にそう答えた。
「シンリン、、森林か。林業、お山の仕事だね。」
まさか子供の口から森林という言葉が発せられると思ってなかった私は、はじめシンリンという言葉の音が森林にうまく結びつかなかった。十津川のくだりでようやく森林を思い描くに至った。
十津川か。遠いところだ。
同じ奈良県内といえばそうだがここから車で四〜五時間はかかる南部の秘境だ。
となれば彼の父親は単身で赴任している可能性も高いな。そしてきっと地質などにも詳しい教養のある人なのだろう。
「ありがとう。よく分かったよ。」私は礼の言葉をかけると再び静観の態度に戻った。
少年の横顔を覗き見る。心なしか一瞬寂しそうな表情をしたように見えた。
ざくざく、、
スコップで掘り進めるその先に少年は何を見ているのだろうか。もしかしたら5m先にあるかもしれない地下水脈を見ているのかもしれない。だとすればそれはおそらく少年の父親が教えたであろう知識だ。
そして彼はその知識を信じてこうして遊んでいる。
立派な息子さんだ。
そのあとも公園の砂場ではこどもの笑い声とざくざくと砂が擦れる音がしばらく鳴り響いた。
落葉した枝の先に赤くなった空の光が差し掛かる。もうすぐ陽が沈む。みんな帰ろうか。
それぞれが家路につく時間。
みんなバイバイと手を振る。
小高い坂の上の公園から娘と二人で見渡す夕焼け空には一つだけ明るく星が輝いていた。
「夜じゃないのに明るい星が見えるね」
「あぁそうだね。キラキラの一番星だね。」
きっとあれは金星。
宵の明星ってやつだろう。
ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー