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肉の重みを噛みしめて

『 雪 』

冬の雪は嫌いなの。
仰向けで男を乗せた裸体のおんな。
したたり落ちる相手の汗を額にうけつつ、
蒼白の素肌を透かしてみた左手の位置を確認して、そんなことを考えた。

「冬ってね。
   なんにも感じなくなるの、あたし。
   それにね。
   毎年おんなじ悪い夢をみてしまうのよ」

   物憂げに話す女の髪のあたりで小さくとまり、眠るところで彼女の首筋から大に広がった綺麗な黒。
   彼女の視線はゆっくり揺らぎ、しろく凹凸のない天井にある。
   そんな彼女に不服な男。
「そんな事どうでもいいじゃないか」
    つれない態度。
    女の上で必死に上下運動。
    冷めた女の感情に自分の意欲が竦まぬようにと心にかけて声を荒げた。
   しかし女は男に構わず話を続ける。

「おじいさんが出てくるの。
   両足のない。
   戦争でなくなったって言ってたわ。
   自分の誇りなんだとも言ってたの」

   唇を動かすだけで人形的に無防備な女を玩具に弄んでいる男。
   ラブドールな彼女の素顔に、自分と一緒に楽しんでくれていない事が面白くない男に、女は語る。

「そのおじいさんには子供がいて、それが酷い息子なの。
   おじいさんに暴力ふるう乱暴者。
   でもね。
   息子は、 おじいさんの娘の夫。
   血は繋がっていないのよ。
   それに息子は娘の再婚相手。
   娘の前の夫には子供がいるの。
   その子供が、あたしなの」

「それが、どうしたって」

    男は女に、つれなくあたる。
    二人の肉体は生殖器をとおして一つに繋がっている筈なのに、息荒げな男にたいして女の肉塊に絶頂はない。
    女は男の責めにウンザリだった。

「言ったでしょう、あたし。
    冬になると感じないのよ。
    とくに、嫌いな男が相手だからよ」
    と告げるものの男は決して行為をやめぬ体位で拙速。
「なら何故、俺と寝ようなんて考えたんだ」
    きくと女は返答する。
「可哀想だったからよ」
    吐息まじりに呟いた。

「・・・可哀想?」

「おじいさんと一緒なの。
   子供のあたしも。
   みにくい貴方も・・・」

   だから同情なんかしちゃうのかしら。

   女は心の自分と話する。

    自分ではない。
    自分の心の中にあるもう一人の自分。

    いつしか彼女は目前の男を完全に無視して自分自身との会話を生みはじめていた。
    男は、只々自分の行為を続けている。

    彼女に相手にされない事を悟ったから。

    彼女は自分の中にある彼女の魂に言い聞かせた。

「だから同情なんてしちゃうのかしら」

   一人の女性から生まれた意志。

   彼女は二人の女性を想像した。

   まるで別々の人格を持った親しい友人同士が会社の帰り、ちょっと飲んでいかないって寄り道した何気ないクラブのカウンターで、マルガリータだのカクテルを喉で転がし、すこしずつ酒気をおびながら、心の底にある本心を少しずつ漏らして嫌な悩みは半減させる。

    人生の苦汁を忘れようと慰めあう。
    そんな感じで、変に真面目な会話をはじめた。

「そう、あたし。
    冬になると感じなくなっちゃうってのは理解できる気がするの。
    ほらっ。
    冬って氷柱とか凍傷とか凍てついたり動きがとれなかったりってイメージじゃない。
    だから感覚器官も機能停止。
    感じなくなっちゃうのよ」

    若々しく彼女は甘い媚びるような吐息を吹きかける。
    つぶらな瞳と団子っ鼻。
    男を惹きつけるのに充分な可愛らしさが引きたって、より美しい。
    彼女の髪形は長距離選手のように短かった。

    もう一人の女性は背中にまでかかる長髪で、尖った眉と形の良い鼻が印象的。

   両人共に美人であった。

「そうね」
    長髪の女は短髪の女性の声に優しく応えて、
「そうかもしれないわね」
    と肯定すると、短髪の女は幼い少女の顔に回帰して、
「屹度そうよ。
そうに違いないわ」と決めかかって一つの答えを強調する。

「だって、あたしがそうだもの」

    自分のグラスを見つめて一口あじわう長髪の女は、短髪の少女を気にかける。 少女も自分のグラスを見つめていた。 まだ唇もつけてはいない。 女は少女に、

「あなたの事、きかせてくれる?」

    大人の女性が興味をもた特別な異性に近づくときに、ただその為だけに発せられる妖艶な艶めかしさを純な科白にひそませた彼女の微笑。

「どう言ったらいいのかしら。
    何を言えばいいのかしら」
    とは、突然の女の問に少女は悩み、悩みながらに語を繋げる。

「あの・・・

    おじいさんがいたんです。
    おじいさんはいつも義理の息子に虐められて、抵抗さえできないの。
    だから、虐められるだけ。
    実の娘である母さんは、いつも義父の肩ばかりもって、なされる儘のおじいさんを見て見ぬふり。
    だからおじいさん思ったの。
    自分の味方は孫だけだ。
    自分の味方は、ちっちゃい手をして自分の身体にしがみついては、お話をしてと強請ってくる十歳にもならない孫だけだって」

    少女は、女の表情を覗きみて、彼女の感情を探りだそうと試みる。

    女がグラスを握ったため、グラスの氷が音をたてたのが、少女の耳に入ったため、
「退屈してる?」
   と口にした。
「いいえ」
    女は宥めるように優しく答え、少女は「よかった」と話を続ける。
「それでね。
   ある日のおじいさんが、あたしに向かってこんな事を言ってたの」

    女はグラスを喉の奥へとそそいだが、少女は気にしていなかった。
    話の核心の切り出しを自分で崩したくなかったからだ。

「お前の本当の父親は、あの男に殺されたんだ。
   お前の母親が大事にしているあの男に殺されたんだって。勿論、本当かどうかなんて分かりはしないわ。
でもね。
    おじいさんのあの虚ろな眼先で何を考えているか分からない恍惚とした感じ、十歳にも満たないあたしには忘れようたって忘れられない。
    だってショックだったんですもの」
    少女は語る。
    目前のカクテルを一気に飲み干しながら安堵を求めようと、カウンターの上にへたりこんだ。
    グラスを持った指が微かに震えていた。
    肩も微妙に震えている少女を見詰め、適度の興奮を味わっているんだわと、女は推察していった。
「それがあなたの知るおじいさん」
「いえ、あたしの見た夢の話。
    だけどまだ、この話には続きがあるの」
    少女は顎を軸にし頬から頬へと位置をズラして、顔を女に向きを移した。
「あたしの義父は、雪降る晩に自宅の裏にある枯れ木の下に、あたしの本当のお父さんの死体を埋めたんだって、おじいさん言ったの。
それで今でも夜に雪が降るのを義父が見つけると、彼は咲かない桜の木の下で、朝まで見張りを続けていたって・・・
誰かに見つけられるんじゃないかと見張りを続けているって・・・」
「そんな嘘を信じちゃったの」
    女は冷たく言い放つ。
    少女の瞳が一瞬くもった。
    それが女には見えていた。
    彼女はいつしか煙草を銜えて、一服。
    それで神経を整えてから少女に言った。
「なんてチートなのかしら。
    あなた、そんな事に悩んでいるの」
    女の声は男に対しては刺激的に甘美だが、少女にとっては酷くつらい言葉でもある。
    でも・・・

「可哀そう?」

    可哀そうね、あなた。
    あなたがずっと恐れてて、あなたがずっと怖がっていた夢の話。

    彼女には解って貰えなかった。
    そう。
    結局みんな他人で、あなたの味方じゃなかったのよ。
    そういう理由よ。
    だから、
「あなたも可哀そうなのよ」
    でもね。
    あなたの話を聞いていた彼女。
    私は彼女の事も聞いてみたいって思っている。
    屹度、あの女にも過去はあるのよ。
    私の知らない第三者が知ると馬鹿馬鹿しいようなチャチな悩みが・・・

                                                                                                』
「外へ出てみないか?」

    男の声。

    女はずっと天井を見上げていて、男が自分の肉体から離れたことにすら無頓着だった。
    彼女は肉体を捻って男の仕草を視野にいれる。
    電灯の灯りがやけに眩しく視界に映ると、彼女は思い出したかのように窓の外に眼をやった。

    雪。

「冬の雪は嫌いなんだってね」

    先程の女の話を思い出し、放ってあった服を回収する男は、彼女の無表情に無気力になり、同様に感情の失せた男はもう彼女に何の期待も持っていない。

「そうでもないわ」

    は女の声。

    他人を嘲り自嘲する褥の陰険さは微塵もない。
    清々しさ。

    彼女の姿は、そこにはなかった。

    彼女の姿は霊魂が天に舞いのぼるように、モヤのように霞ながら、ゆっくりと幽かに、闇に溶けていく・・・

   不思議な現象と見詰める彼を見おろして、夜は静かに越えていった。

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