罪悪感からカフェ巡り代を「外食費・娯楽費」から「食費」に変えてみたら、思わずハッとさせられた話
導入からめちゃくちゃ長いタイトルですみません。
なんのこっちゃ、訳わかりませんよね。笑
でも最近一番ハッとさせられた出来事だったし、おそらく気付かないうちに私と同じ思考になっている人もいるかもしれないと思い、思いきって書いてみようと思いました。
事の発端は、以前住んでいた広島県廿日市市の短期講座「暮らしのことゼミナール(通称 ことゼミ)」です。
「ことゼミ」こと「暮らしのことゼミナール」。
私たちの暮らしを今よりも「ちょっとだけ豊かにする」ために、仲間と学びあい、小さく、楽しくやってみる場。
4〜5年住んでいたまちだったのに、地域との関わりはほとんどゼロ。
引っ越した今は「廿日市って本当に住みやすいまちだったなぁ〜」と私は心から思っています。
その廿日市市が主催のことゼミは、今ある暮らしを見つめ直し、ちょっとだけ暮らしを豊かにしようと、自分の生活リズムや価値観、気になっていることを洗い出しながら、小さな一歩を実践・発表する講座でした。
外食費・娯楽費だったカフェ巡りを”食費”に変えてみた
私は「おいしいものを食べることは大好き。でも家事がキライ。その中でも献立を考えるのが本当にストレスだ」というテーマで受講しました。
で、結局どうしたかと言うと。
私はカフェ巡りが大好きで、お店の雰囲気はもちろん、色とりどりの小皿が並べられているカフェ飯を見るといつもワクワクするんです。
だから「カフェ巡りついでに店員さんに作り方を教えてもらい、我が家のレシピに取り入れてみよう」というプランを実践することにしました。
「いや、それぐらい簡単じゃない?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、これが私にとってはなかなか勇気がいる一歩で…。
「お金を払って食べているのに、そのレシピを聞くなんて、失礼じゃないかな…?」
「そんなに仲良くもないお店でレシピを聞いて、断られたらどうしよう…」
「一人で聞くのも勇気がいるけど、何をきっかけに声をかけたらいいんだろう…」
などと、めちゃくちゃ不安だったのです。
そしてこれを実践しようと思ったきっかけは、カフェ代への罪悪感も払拭できると思ったから。
これを読んでくださっている方の中にも、カフェ巡りが好きな方はいらっしゃると思います。
でもそのカフェ代って、家計簿でどんな風に分類していますか?
私は家計を預かる主婦として、「外食費」や「娯楽費」として計算していました。だって家で作ればもっと安く済ませられるし、生活で絶対に欠かせない出費かというと、ある程度節約しないといけないお金かなと思っていました。
(外食費が多くなってしまった月は「今月は外食しすぎたなぁ〜」と反省することもしばしば。。)
だから、「カフェ巡りをしながらレシピを知ることができる」というこのプランは、カフェ巡りに対する罪悪感をゼロにしながら、堂々とカフェタイムを楽しめるという、まさに一石二鳥のプランだと思ったのです!!!
いざカフェへ!
そしてプラン実践当日。
この日は昨年ことゼミを受講された先輩にも同行いただき、なんとかレシピを聞き出すことに成功!
しかも偶然来店されていたおばさま方(一般客)も「私たちも献立に悩むから、お店で聞いたりするよ〜」と言っていただき、その言葉で私は「こんなベテラン選手の主婦だって悩むんだ。それなら私が悩んでいることだって、私が”ダメ主婦”だからじゃないのかもな」と安心したのを覚えています。
(聞いてみたらどれも作り方は簡単で、勇気を出して聞いて本当に良かった…!)
そしてその経緯を講座最終回で発表し、無事ことゼミは修了。
「講座で発表するから」という名目のおかげで一歩踏み出せたので、これからはもう少しハードルを低く、お店の方に質問できそうです。
罪悪感はどこからくる?
そして先日、ことゼミの別イベントでお話しさせてもらう機会があり、同じように私のプランについて発表しました。
するとそれを聞いていたある大学の先生が、全体のまとめとしてこんなことを言われていました。
「今回の発表の中で”罪悪感”という言葉が何回か出てきましたが、それはどこからくるんだろうということに、すごく興味を持ったんです。というのも、その”罪悪感”の裏には『カフェ巡りなど自分の楽しみにはお金を使ってはいけない、でも生活に必要なものにはお金を使ってもいい』という考えがあるんじゃないかと思うんです」
その先生は続けて、
「これは日常にもよくあると思っていて、仕事のために行く飲み会は良いけど、自分のために飲みに出かけるのはダメなのか。仕事のためならOKで、自分のためならNGなのか。
でもきっとそんなことはないはずで、『自分のことよりも仕事や家庭のことが優先されるべき』という価値観が、自然と世の中に広がっている気がするんです」
とも言われていました。
これを聞いた時に、私は衝撃を受けました。
もう何も言い返せないぐらいその通りで、図星とはこういうことを言うんだと思います。。
私はいつの間にか、本当に自分でも全く気付かないうちに、自分の暮らしをものすごく低いポジションに置いてしまっていた、ということに気づかせてもらいました。
もっと日常を豊かにしたいと思いながら、真逆の優先順位で物事を判断していたようです。
無自覚に形成された価値観
もちろん言うまでもなく、お金を稼ぐことも家族のために家事をすることも、とても大事なことです。
でもそれらに囚われて”自分”が蔑ろにされていることに、気付いてさえいなかった私は、その無自覚に形成された価値観にものすごい恐怖を感じました。
いろんな考えで生きている人がいてもいいと思うし、これを読んだ方々も皆さんそれぞれのバランスで選べばいいと思います。これはあくまで私の気付きです。
でも私は、もっと暮らしを大事にしたいと思ったし、今回の出来事は一生忘れたくないと思うものでした。
もう住んではいないけど、最後にとても大事なプレゼントをくれた廿日市には、感謝の気持ちでいっぱいです。
またいつか遊びに行ける日がやってきますように。