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備忘録#7 [倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙]

世田谷美術館で倉俣史朗の展示を見てきた。

ほとんどのエリアで撮影禁止だったので、展示風景・概要はこれ読んだらいいと思う。

倉俣史朗は「引力に逆らいたい」という無重力への憧れ・願望があり、それを作品に反映させているというようなテキストが並んでいた。

彼の作品を今までしっかり見たことがなかったんだけど、たしかに浮遊感のある作品が多い。

個人的には、展覧会をぐるっと1周見てみて、また展覧会で取り上げられていた彼の過去の文献などからの引用分を読んで、彼が真に興味を持っていたのは「時間」だったんじゃないかなと思った。

アクリルやガラスなどの透明な素材は、家具と空間の境界線を曖昧にしていき、そこにぼーっと漂うような雰囲気を醸し出す。
それ以外の素材でも、浮遊感や揺らぎのあるようなデザインを用いてそのようなことを実現したかったんじゃないかな。オバQランプとかまさにそうだよね。

時間というものに興味があり、作品を重力から解放して空間に漂わせることによって、平穏でゆったりと進む時間を見せていると考えると、彼の作品や発言が個人的にはすごく腹落ちする。

なんだったかな、
写真撮影NGだったから記憶曖昧なんだけど、展覧会中に
「子供の頃、庭掃除をしている時に日陰の葉っぱの裏とか、石の横に時間が止まったような空間を見つけることがあった。この空間は陰鬱なものではなく、さわやかな時間が流れていた。自分から見つけようとすると見つからないのだ」
みたいな内容の過去の発言が引用されていた。

幼少期に戦争を体験して時間≒生死を強烈に感じていたことや、彼の作品のインスピレーションが幼少期に受けた感覚を元にするものだという趣旨の発言からも、そこまで的外れじゃかもな。

無重力状態で空間に浮遊する物体からは、清涼でゆったりとした時間を生み出す。

それは平和を意味し、幼少期に体験した幻想的で甘美な雰囲気と重なるんじゃないかな、などと考えた。

世田谷美術館、建築自体も綺麗で好きだな。

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