母の夢と、わたしの目標

わたしの母には少しばかりメルヘンな一面があったように思う。

例えば手持ちの洋服、小物などには小ぶりながらも必ずフリルやリボンがなければ不満であったしマイホームを建てる際にも請け負ってくれた地元のおじいちゃんたちがやっている小さな工務店に対して"ヨーロッパの石畳の町並みに映えるようなレースのなみなみカーテンを吊り下げるとかわいい出窓"を要求し非常に困惑させた。母の好み全開に作られた庭には薔薇のアーチが鎮座している。ちなみに母考案、わたしの名付け第一候補は「エリザベス」だった。

かくいうわたしもいまだ洋服などロリィタ趣味から抜け出せておらず人のことを言えた立場ではないのだが、正直これに関しては母の影響もあるのではないだろうかと思っている。母の影響といえば、全く関係ないがわたしに初めてBL漫画を勧めてきたのは(たぶん無自覚な)母だ。おかげでこの通りガチガチに活きのいい貴腐人が爆誕してしまった。

そんな母が「将来の夢」を何度か口にしていたことがある。

近所の空き地(他人の土地)にレモンティーカフェを開くこと。


レモンティーカフェとはなんぞや?

母の構想では、自分はカフェの目玉であるたくさんの花が咲き誇る庭の手入れをメインとして働き、お客さんとなるお友達と談笑を楽しむ。レモンティー作りについては恐らく未来永劫未婚であろうわたしを案じて与えられた仕事であり、あんまりメニューを増やすとめんどくさいためレモンティーのみで勝負をするつもりだという。

自分がかなりのマザコンであることは重々自覚しているが、正直この話をはじめて聞いたとき「わたしのおかんかわいいな…」と真剣に思った。

よくベランダからカフェ予定地(他人の土地)を眺めているなとは思っていたがまさかそんな少女のような夢を抱いていたとは予想もしなかったからだ。チラシの裏にカフェの外観を絵にしつつ楽しげに話してくれた母の表情と弾んだ声音がいまだに脳裏にぴったりとしみついて忘れられない。


そんなかわいい母の三回忌を昨年済ませた。母を亡くして三年目を迎えようとする我が家は、いまだにお墓を建てる決心もつかず納骨もできずにいる。あの辛いという言葉では表現しきれない絶望を、家から遺骨がなくなることでまた経験しなければならないのではないかと離れがたく思ってしまっている。

お坊さんやお墓の営業さんが「本当に決心がついたらでいいし、なんなら今はお墓を建てない人もいる。供養の形は人それぞれだ」と咎めるようなことを言わずにいてくれるのが幸いだ。

自宅供養を続けるならば、何年先になるかはわからないが母の夢を引き継いでみるのもいいかもしれないと最近考え始めている。空き地(他人の土地)の確保はとりあえずあとにして、まずは母が喜んでくれるような花畑を作るための知識をつけるところから。

生きるための希望を見いだすことが、今後のわたしの人生の目標である。



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