母とサルコーマ++2話目++
前回
地元クリニックから総合病院に救急搬送された母。わたしと父は車であとを追いかけました。
余談ですがわたしの地元は救急車がサイレンを鳴らして走っても平気で横切ったり停車して道を塞いだりしてくる輩がわりと目につくことが多い土地です。それまではうわ~…と横目で見ている程度だったのですが、やはり救急車に乗っているのが家族だと俄然憎しみが違いますね。救急車がきても止まる習性のない方へ、見ず知らずの誰かから恨み憎しみを浴びせられていることに気づいてきちんとマナー、ルールを守ってくださいね。よろしくお願いいたします。
病院に到着して母の待つ救急外来に駆けつけると、周りで看護師さんがばたばたしている中ベッドで母がにこにこして手を振っていました。
あ、なんだ、やっぱお母さん大丈夫なんや。
そうわたしが安心して手を振っていたときでした。駆け込んできた当日救急担当のお医者さんから一喝されます。
「なんでもっと早く連れてこないんですか!心臓がとまる寸前ですよ!」
わたしと父、そしてにこにこしていた母もめちゃくちゃびっくりして「えっ」としか言葉を返せませんでした。
驚いている間に、輸血ののち緊急手術をするとのことで母とはオペ終わりまで離れることになります。
このときはまだ皆が子宮筋腫だと思っているわけで、筋腫でこんなに大変なことになるんだなぁとどこかぼんやり楽観的に構えていました。
ただひとり、救急担当のお医者さんだけは「肉腫の可能性」について頭に入れていたとオペ終わりに伺うことになります。まさかとはおもう、だけどそうだったときのことを考えて最善を尽くす。そう考えた先生のオペのおかげで、母は無事にこの時の危機を免れ、またきちんとした診断で平滑筋肉腫が判明することとなります。
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母の場合、子宮と周りとの癒着がかなり広範囲でした。
当時肉腫の手術というのは見えない腫瘍まで取り除く意味でも広範囲で行われることが多かった、と認識しています。
肉腫の可能性を疑っていた先生はとりあえず子宮と癒着している周りのもの全てを取り除く判断をしてくださいました。目に見える範囲では子宮外に腫瘍はなし、子宮平滑筋肉腫ステージ1の診断となります。
取り除いた子宮を実際に見て、触りました。
ソフトボールより大きかったように思います。こんなに腫れ上がった子宮をお腹の中にいれて、出血しながらわたしや弟のごはんを作ってくれて、朝は起こしてくれて、自分がしんどいのに私たちが熱を出すと必死に看病してくれた母。今思い返しても申し訳なさと、自分の鈍感さ、気づかなさ、大人げなさに情けなくなります。
後日先生から母に話があり、手術後に継続して抗がん剤をやることになります。
(抗がん剤の日まで、わたしや弟は母と父から肉腫であることを隠されていました。)
ドセタキセル+ジェムザール。
ここから母と抗がん剤との長い付き合いがはじまることになります。
つづく。
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