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体調の変動について~自分編~

おはようございます。(夜中)

Twitterでのサルコーマ啓発月間にあわせてnoteを開始しましたがさほど綴らないままに期間が終了し自分のだらしなさに鬱々としております。

さて、啓発については母の治療の経緯や各薬剤の副作用などに触れていこうと思っているのですが今回はわたし=患者家族の体調変動についてまずお話したいなと思います。

注意点です。

①あくまで私のお話です。みんながみんなこうなる、この症状がでたらこれ!と決めつけるものではありません。

②おかしいなと思ったら躊躇わず病院に相談だ。

③体調変動とか被害者ぶりやがってお前ゴリゴリ元気だろ!というご意見ごもっともです。そっ閉じしてください。


1. 動悸

2011年に「子宮平滑筋肉腫」と診断された母は、初回の手術を地元の救急搬送された病院で行いましたがその後は当時大阪にいらしたT先生と地元病院とに連携いただき、再発予防的な抗がん剤治療をしていました。しかし強烈な肺炎を発症し抗がん剤はストップ。以後は無治療で経過観察となります。事態が動いたのは4年後、肺に気になる小さな影があると地元の主治医が焦り始めた時でした。小さいなら再発じゃないかもしれんし様子見すれば、と楽観的な思考回路のわれらが発言したところ主治医に「それで!!!!再発だったら!!!!どうするんですか!!!!!!!!むりです!!!!大阪に連絡します!!!!!!」と半泣きで怒られ、資料とともに一路大阪へ向かいました。

結果的に再発だったのですが、この時地元病院から帰宅した母に「再発かもしれない。ついにこの日が来てしまった。」と告げられてから大阪に向かう道中、わたしは突発的にドン!と後ろから背中をグーパンされるような心臓の跳ねに悩まされていました。いや悩んでないです、邪魔くさいなと思っていました。息がひゅっと止まる感覚が大変煩わしく、これまでそんな体験をしたことがないため誰にどう相談していいものか、母が大変なときにこの程度で話していいものかと考え特に周りに告げることはしませんでした。この症状はここから現在に至るまで継続しています。

わたしが一番はじめにこのドン!について相談をしたのはT先生でした。話を終えて両親が部屋をでたあと、わたしだけが残り先生に「心臓が跳ねるのがしんどい」とおもむろに言い始めたのです。先生は嫌がらずに、ストレスで負荷がかかっているのかもしれない。一度地元で診てもらっても良いのでは。とアドバイスをしてくださいました。ストレスか~と思いつつ部屋をでたわたしは、「ストレスなら別にそのうち解消するだろ」と思い、両親には話さずもちろん病院に行くこともありませんでした。

病院に行ったのは母が亡くなってからでした。就職活動をし、内定をいただいたはいいもののこの頃にはドン!の頻度が増え継続する時間も長くなり、手が震えたり頭がぐらついたり、しばらく蹲っていないとまともに動けなくなるほどでした。脈拍数は1分間に46~56を行ったり来たりしながら、そうかと思えば急に150以上に跳ね上がります。夜も眠れなくなり、胸痛に目が覚めては寝不足からのドン!、の悪循環にはまりこんでいたように思います。

近所のクリニックのすすめで母の主治医がいる地元病院の循環器内科を受診したところ、結果はよくある心房細動(不整脈)でした。薬剤で抑えながら、外科的治療も酷ければ視野に入れましょう、というお話でした。

処方された薬を飲みながら働きに出てみたものの、結局のところまだ自分の中で「そもそもなぜこの動悸が始まったのか」を落としこめていない部分が多大にあったのを自覚しています。

ただ息が苦しく、ただ胸が痛く、ただつらいだけ。

そんな状態で続くわけもなく、職場をすぐに辞めてしまいました。


2.  うつ症状 強迫性障害

引きこもりに舞い戻ったわたしは日々不整脈とタイマンをはりながら母の祭壇の前でただぼんやりと泣いている時間を過ごしていました。その間、続けて冬に祖父、おば(ともに母方)を亡くしました。あんなにみんなで旅行にもいった、あんなに季節のイベントごとに祖父母宅にみんなで集まった家族がどんどん減っていく、会えなくなっていく現実に耐え切れなかったのかもしれません。

そのころから、ひどい噛みしめ(口のなかの荒れ)、足の爪を剥ぐ、指の皮を無理に剥ぐ、腹部や太ももの隠れる部分を痣になるまでつねる、引っ掻く、髪が大量にぬける、不眠の症状が目立ちはじめます。

同じく父にも不眠や無気力などの症状があり、自発的に心療内科に通い薬をもらっていたようでした。(それでもわたしが引きこもるので、働いてくれていました。頭が上がりません。)

わたしは特に病院にはいかず(循環器内科のみ)、自分の体調をとくに不整脈やもともとあったもの以外おかしいと思えず、また再就職しようと転職活動に踏み切ります。

無事内定をいただき仕事を開始して業務が本格的になり始めた頃、ついにおかしくないか?と思う症状が出始めました。

病的な確認行動。

とくに自宅で意識せずに行っていたのですが、リビングの窓閉め、台所の窓閉め、母の祭壇の線香やろうそくのチェック、冷蔵庫の閉め直し、ガス点検、玄関のドアの閉め直し、鍵のチェック、電気のチェック、父の寝室の窓閉めチェック、置いてあるアイロンなどのコードが入ってないかのチェック、廊下の小窓をしめる、弟(別居)の部屋の窓閉めチェック、エアコンが動いてないか三回見て確認、コンセントがささっていないか確認、以上のルーティンをこなさなければ自室の布団に入ることができなくなっていました。どこかひとつ忘れてしまうと気になってまた最初からやり直しです。

これが自覚のない自宅だけのクセなら良かったのですが、仕事に支障が出始め上司に指摘されてしまうことになります。業務の中でも「これを確認しなければならない」という強迫観念にとらわれ、見逃したり不安になればまた最初から確認のやり直し。効率が下がるどころの話ではなくなっていきました。

この仕事むいてないんだ、わたし仕事できないんだ、またニートになるんだ、という負の感情ばかり生まれていき、足やお腹に傷ばかりついて口内炎も増え眠れなくなっていきます。それにより動悸もひどくなる一方で、ついに体調不良で会社を休んでしまいました。

そのときに、はじめて心療内科を受診します。

結果はうつ症状と、強迫性障害。

先生からは「お母さんのことのショックから、常に不安を抱えたままになっている。ゆっくり解消していきましょう。何をまちがえたっていいんだから。」と言われました。


◎.  現在

心療内科で抗うつ薬、抗不安薬。

循環器内科で不整脈の薬。

この三種を服用しながら、まだまだ症状がなくなったとは言えませんが確認行動を抑えていくリハビリを少しずつ行ってなんとか生きています。

不整脈も始まりをみればまずストレスからくるものの可能性が高く、精神的に興奮(確認行動やうつ症状など)が緩和されているときは異常なほどの自覚症状は感じなくなっています。(それでも胸痛や呼吸のとまる感覚は継続しているため、病院も継続です。)

母の病気に比べればなんてことのない症状ばかりです。たぶん、いま闘病している大事な家族をそばで見ている方もなにか不調を感じていても「こんなことで」と思い病院にかからない方が多いのではないでしょうか。

自分にかまける時間がない、そんな暇があるなら家族といたい、痛いほど気持ちがわかります。

ただ、その不調をどうかそのままにはしないでください。一度立ち止まってみて、これからも大事な人と生きていくためにいま、自分は大丈夫かな?と自分を労ってあげてください。

あとにひきずると、いいことなんてなにもありませんでした。






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