母とサルコーマ++序章++
わたしの母は、子宮平滑筋肉腫という病気と闘っていました。
最期まであきらめず、血圧が60台にまで下がり飲み込む力が弱くなってもなお「次の抗がん剤がきっと効くから」とわたしたちに笑いかけてくれて、手を握ってくれた姿が今も脳裏に焼き付いて毎日のように思い出されます。
「家族のために生きる」
手帳に力強く記していた、そんな母の闘病記録です。
#1 予兆?~クリニック入院
母に不調があらわれたのは40代最後の年だったと記憶しています。まだ閉経を迎えていなかったため月経は周期どおりにきていたのですが、前々から「子宮筋腫」とは言われている状態でした。一度もう出産もしないだろうし筋腫とっておくかと病院で言われたそうなのですが、べつに病気でもないのに切りたくないと(母はかなりの痛がり)断っていました。
そんなとき、ある日を境に全く下血が止まらなくなります。少し生理が長引いているのかな?と最初は考えていましたが、1ヶ月も量が減ることなく止まらないとなるとさすがにおかしな話です。
このとき毎日のように母の着用していた衣類や履いていたスリッパには血か付着しており、かなりの出血量でした。
かかりつけの産婦人科クリニックへ行き診ていただいたところ、先生は「閉経前の症状だから、閉経してしまえば出血しなくなる。閉経を早める薬を毎週打ちましょう。」と言いました。下血が止まらない、というと一番に思い起こされるのが正直悪性腫瘍ですが、その不安に対して先生は、
「あるとしたら肉腫という珍しいがんであるケースがないとは言えないが、まあ99.9%ない」
と笑いながら答えたそうです。
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正直最初はこのクリニックの先生のことを相当恨みました。ただ、のちに母の手術をしてくださった先生や地元の主治医たちも全員が「教科書でみたことはあるけど」と言っていたのを聞いて、本当に稀なんだなあ…と再認識するに至りました。もちろん最悪を想定だけはしてほしかったんですがね!
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週に一度閉経を早める薬を注射する。
投薬を開始して数ヶ月粘りましたが、出血が止まることはありません。
あまりに体調も悪く当たり前の話ですが貧血も酷くなる一方のため、クリニックに入院させてもらうことになります。
ただ入院といっても先生は「閉経程度で大げさに…」といったかんじであまり真剣に向き合ってはくれません。病室のベッドもすぐに血みどろになり、母が歩く廊下には点々と血の道ができるほど。
さすがに血を流しすぎじゃないか?大丈夫なのか?輸血とか必要じゃないですか?
そんな焦りしか出てこず看護師さんに訴えますが、「大丈夫よ~」と言われるばかりで取り合ってもらえず。
ここでは不安だと漠然とした焦燥感にかられた父が、「でっかい病院に転院する手筈を整えてほしい」と依頼しました。何度も何度も頼み込んで、先生が紹介状を書いて救急車を手配してくれたのは夜中頃。
たいそう迷惑だったことと思います。でも、このときに搬送できていたことで母の命は繋がりました。
つづく。