お盆と墓参り〜自分の残りの人生を意識するために、自分の現時点に今を刻み込むこと
お盆に久しぶりに実家に帰った。
墓参りは帰省のたびに行っている。
毎年、盆と正月のような混む時期を外して帰っているが
今回はザ・日本のお盆 という時期に帰った。
なぜなら4年ぶりに地元の花火大会が開催されると言うから。
花火大会もお祭りも良かった。何よりも運営をしている人たちの
一生懸命な顔がとても輝いて見えた。
その後、お墓参りに行った。
一緒に墓を掃除していた母が、墓に眠る祖母と叔母に向かって
「綺麗になったね、また来月も来るからね」と話しかけていた。
よくある光景。
だが、私ももしかしたら、母がこの墓に入った後、
同じようなことを話しかけながら墓参りするのだろうか、と考えた。
これは順番だ。
これは命をつむぎ、今ある命を、その前の命に感謝し、
今ここにいることを自覚させ、今という瞬間があと数えるほどしかないと言う事実を突きつけられる行為。
自分の歴史に、今この瞬間を刻み込む行為。
日常生活というふわふわしたものから目を醒まさせる。
お墓参りは先祖への感謝や挨拶でしかないと思っていた自分への
青天の霹靂。
今というものに満足感を持てず、とはいえ何か挑戦せずに
毎日を惰性で過ごしてしまっている現状に先祖から叱られたような気持ちになった。
そうか、お墓参りは、
今の自分の残り時間を意識させ、自分も大いなる順番の一つであり
いずれその順番を譲る時が来る、だから後悔せずに生きなさい、と
教えられることなのかもしれない。
そんなことを初めて感じたお盆だった。