「うす味」は誰もハッピーにしない
こんにちは!日本塩分管理支援協会、チーフクリエイターのこたきまりこです。コロナデイズ、いかがお過ごしですか?わたしはたくさんレシピを作り貯めたりしているところ「です。毎日何かしらを超本気で作り続ける」っていうのもなかなか無い体験なので、ここぞとばかりに真剣に取り組んでみています!
さて突然ですが、数値化できないものってたくさんありますよね。
例えば、感情とか。
ワクワクする感情も、心の傷の深さも、未来への希望や過去の重みもぜんぶ、数で表すことはできません。
「眠れないくらいワクワクする」とか「えぐられるような辛さ」とか「光に持ち溢れた未来」とか「思い出したくもない過去」だとかを「自分の中に存在する大きさ」に合わせて表現することはできても、表現をする側と受け取る側ではその大きさは異なるので数字では表せませんね。
さて本題です!
「うす味」って、みんな共通だと思いますか?
やみくもな減塩を始めると、「塩分を減らせ」とどの本にも書いてあるのでとりあえず減らします。すると当然のごとく、「味が薄い」とか「物足りない」となるわけです。
これは、当たり前ですよね。
だっていつもの味から塩を減らしてるんだら、そりゃそうです。塩味が濃くなるはずがない。
よって、これは本人にとっての「薄味」になります。そして案の定物足りないので、食事の満足度が下がる。結果的に「減塩=おいしくない」という方程式が出来上がるのです。
こうなると減塩をしたい人が居なくなるわけです。いま、「めちゃくちゃ減塩したいな〜!」とは思われませんでしたよね、あなたの感情は正しいです。
おいしくないものを毎日食べ続けないといけないなんてもはや苦行です。食べたいものは我慢、お味噌汁は飲まなくなり、なぜか「酸味」とか「だし」を多用するよう促され、今まで感じてきていた「おいしい!」から程遠くなり、家庭の味が崩壊します。そして「何でも食べられたあの頃が幸せだったなぁ…」と思うのです。
次に味覚の観点から考えてみたいと思います。
「同じものを食べても人は違う感想を持ちますよね」という話です。例えばカツ丼を例にしてみましょう。
近所の食堂でAさんBさんCさんの3人が同じカツ丼を食べたとします。
Aさんは「しょっぱい…」と感じ
Bさんは「わ!最高にうまい!」と感じ
Cさんは「味がもの足りないなぁ…」と感じるわけです。
口ではみんな「おいしいね〜」と言いつつも、本音の部分でちがう感想を持っていると思います。みんな、おいしいの基準も感じ方もそれぞれ違うから。
さて、この3人が総じて「減塩」に取り組んだ先には、何があると思いますか?みんな「いつもの味から塩分を減らしたものをひたすら食べる」という全く同じ行為をしたとして、どのようなことが考えられるでしょうか。
共通して挙げられるのは「みんな従来よりも塩味を減らしたものを食べている」という点です。うす味ですね。
いや、
それほんとうに、うす味ですか?
カツ丼のことを思い出してみましょう。そもそもの「おいしい」の基準が1人1人違うので、「減塩でうす味にしてる〜!」とは言っても、それはもはや個人の基準の中でしか通用しないんです。
Cさんは毎日20グラムの塩分を取り込んでいましたが、15グラムにしました。これはもうまさしく立派な減塩ですね。
しかし毎日10グラムで過ごしていたAさんからすると、15グラムは減塩ではありません。Cさんにとっての「うす味」は、Aさんにとっての「しょっぱ〜い!」なのです。
「うす味」という言葉は、みんなに共通しないのですね。
というお話でした。おしまい
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