見出し画像

いつかは東京タワーの見える家に


いつかは東京タワーの見える家に住みたかったね。

新幹線の座席にもたれる。平日の11時、下り、秋田行き。当然のように空いている。隣には誰も座ってこなかった。今日だけはそのことを心底ラッキーだと思う。
のびやかな車内チャイムが流れる。乗ったことのない人には説明が難しいのだけれど、秋田新幹線の車内チャイムには独特ののどかさがある。わたしはこのメロディが好き。耳にすると、旅の始まりの時はいつもわくわくするし、旅の終わりの時にに聞くとほっとするのだった。子供みたいだから誰にも言ったことはないけど。


3週間前、仕事を辞めた。東京にいて鬱病を発症し、さらにこじらせて双極性障害と診断されたわたしの20代後半は、そりゃもうひどいものだった。仕事の勤怠はガタガタで、3日に1日は会社を休み、残りの2日は遅刻、なんて週もザラにあった。お金遣いは荒く、給料日がいつだったのかも把握できていなかった。性的逸脱のエピソードにも困らないほど。(ここでは書かないけどね)
実は平日でも2日に一回しか頭を洗えないが、それで会社に出勤していたくらいに心が蝕まれていた。だらしないから、で片付けられるレベルではないほど、わたしにとって生活は苦痛だった。何に蝕まれていたのだろう?おそらく、東京での生活に、だ。

(このあたりの描写は当時を詳細に思い出すと苦しいので、乱雑になってしまう。)

当然、そんな生活も勤怠も乱れているわたしを会社が看過するはずもなく、わたしにとっては意味があるのかないのかよくわからない休職期間もあっという間に過ぎた。(人によっては休職することで回復するケースもあると思います。もちろん)

そして2020年の初夏に、もうこれ以上は休めないし休むなら会社を辞めないといかん、という局面を迎えた。当時の会社のことはそこそこ好きだったし、同僚や先輩のことも、仕事内容も気に入っていた。でもだめなのだ。東京で一人暮らしをしながら、会社に通勤して仕事をする、たったそれだけのことがわたしには恐ろしくできない。
勤務時間中に上司に時間をとってもらい、ビルの高層階のフリースペースに座って話をした。体調を整えるため、仕事を辞めて、地元に帰ろうと思う、と。上司は親身に話を聞いてくれて、めぐるさんが決めたことなら、と背中を押してくれた。目に見えない何かが大きく前に進んだ瞬間だった。
新宿の街並みが一望できることが自慢のオフィスの27階は、あまりにも眺めがよく、その日は馬鹿げたほど晴れていた。わたしには最初から不釣り合いな場所だったのだと、そのとき思った。

退職の手続きを進めないといけなくて、まずは退職願いが必要ってことで、近所の西友に白い封筒と便箋を買いに行った。そしたらなんと、退職願セットなるものが売っていた。便箋と、文字の見本?が書かれた下敷きがセットでついてきて、この通りになぞれば退職願、いっちょ上がり!ってわけ。ははん。

退職願いは無事に受理されて、よくわからんが色紙やプレゼントなんぞをもらってスムーズに退職し、鬱の体を引きずるようになんとか引越しの作業を終えた。荷物は全部実家に送り、空っぽのアパートの部屋だけが残った。
フローリングの床に座り込んで、わたしはなんのために東京にしがみついていたんだろう、と考えた。考えても答えなんかあるはずもなかった。
六畳一間の狭い部屋にベッドやら洋服やら本やらをぎゅうぎゅうに押し込めて。給料も安いし、貯金もろくにできなくて。ただ若さを食い潰しただけの28歳がそこにいた。なんでわたしって東京に来たんだっけ。


新幹線の車窓を眺めながら、でも、と思った。私は本当は東京タワーの見える家に住みたかったんだよな。あ、違うの、高級なタワマンに住みたいとか、そういうことではなくて。

高校三年生のとき、江國香織の「東京タワー」という小説を読んだ。本を選ぶ時の基準は色々あると思うが、わたしはまず、表紙に惹かれた。夜景の中にぼやけて浮かぶ東京タワーのオレンジの灯り。秋田ではまずお目にかかることのない風景だ。
夜寝る前にその本を読み始めたのだけれど、わたしはページをめくる手を止めることができなかった。夢中になった。ストーリーは、端的に言ってしまえば大学生の男の子と年上の人妻の不倫を描いたもので、とんでもなく不道徳なものだけれど、江國香織さんの使う言葉の美しさ、みずみずしさ、そしてそこに描かれている体験したことのない東京での生活に憧れた。洗練された世界(のように見えたの)だった。この本こそが、わたしが決定的に東京に憧れるきっかけになった。ちなみに結局本は徹夜で飲み、翌日の学校は起きられなくて休みました。笑。
親に東京にいくことを応援されたからとか、いろんな人やカルチャーが集まる街だから、とか、上京したかったのはそういう理由もあったけれど、あの本の影響が大きかったように思う。


わたしが東京を離れる3年前の話をしよう。当時付き合っていた男の子がいて、彼は港区に住んでいた。と言っても、ぜんぜん高級住宅じゃない安いアパートだったけど。わたしはその頃も鬱病で会社を休職していて、リワークくらいしか日中やることがなかったので、彼の家に入り浸っていた。読んだことのない少年漫画を読んだり、彼が煮込みうどんを作ったり、それをこたつで食べたりした。そのこたつの脇の床でセックスもした。ベッドの上ですればいいのに、と思ったけど、その時はまぁなんとなくそれがよかった。つまり、おままごとのような生活だ。

彼の会社の先輩が彼のアパートの近くに住んでいて、ある日先輩が引っ越すことになったので、いらなくなった雑貨や食器をを分けてもらえることになった。私はその先輩に会うのは初めてだったが、にこやかで優しい女性だった。
マンションの部屋(たしか5階くらい)に上げてもらって驚いた。大きな窓があり、広がる夜景の中に東京タワーがはっきりとあったのだ。
「すごい!!」
たしかに私ははっきり声に出して驚いたと思う。むしろ興奮していた。なんというか、決して高級でつんとした感じのマンションではなかったのに、感じが良く、温かみのある部屋で、それなのに広い窓のついた、東京タワーが見える部屋だったのだ。
わたしは一人で興奮して彼氏にその眺めの素晴らしさを説いたが、彼はいつもの表情の読めない顔で、少し笑っただけだった。先輩も笑っていたと思う。結局わたしたちは段ボールいっぱいに食器を詰めてもらって、彼のアパートに帰った。中にはディズニーのキャラクターが描かれたシュガーポットがあったと思う。6年前のささやかな記憶だ。


そう、わたしだって、あんな部屋に住みたかったんだよ。仕事から帰ってきて、疲れて、でも電気をつけずにカーテンを開けた時、東京タワーがそこにあってくれたら、どんな気持ちになっただろうか。なんて想像する。少しホッとするのかな。
鬱になって部屋で寝ていても、窓から見えるのが隣のアパートの壁や電線じゃなく、あかるい東京タワーの見える都会の景色だったら、少し気が紛れたかな。
あの時の彼、どうしてるかな。酷い別れ方をしてごめんね。結局何も叶わなかった。おとぎ話の生活。

彼のアパートに入り浸っていた時期に、ふと思い立って近所の図書館まで足を運んだことがあった。図書館に行くには大きい道路を渡らないといけなかったので、アイボリー色の歩道橋を渡った。気持ちよく晴れた日だった。なぜあの歩道橋の色までわたしは覚えているのだろう?
橋の途中、道路の方を向くと遠くに東京タワーが見えたので、しばらく見つめていた。橋のちょうど真ん中に立ち尽くして。橋の下では車がびゅんびゅん通り過ぎていった。都会の生活を感じて、なんだか少し嬉しかった。あの時わたしはたしかに微笑んだと思う。


そんなあの時のわたしが遠ざかる。新幹線のスピードで、ぐんぐん、ぐんぐん遠ざかる。ああいろんなことが叶わなかったね。また東京に住むことがあるだろうか。トンネルに差し掛かって窓の外が暗くなる瞬間、まだ何もわからないわたしは静かに目を閉じた。

#短編 #エッセイ