海の見える電車を待つ人々


日記。
火曜日の朝だ。習慣になっているラジオ番組を聴く。ソファに座って、radikoをかける。
今回は夏にまつわるエピソードを募集した回で、多くの人たちの恋の悩みや、友人、家族との想い出が送られてくる。
一通りそれらを聴き、わたしは閉じていた目を開けて、座っていたソファから立ち上がる。カップの底に薄く残ったままのコーヒーを置いて、車のキーを握って外に出る。


恋愛をしている人の話を聞くと、乗りたい電車を待っている人たちはいいな、と思う。彼らはどこかに行きたがっている。何かしらの変化を求めている。
あるいは、変化せずこのままの関係性でとどまっていたい、と思ったりする。でも後者は8割くらいウソだと思う。本当はもう少し違った理想の形を、こっそりと追い求めていると思う。

彼らには乗りたい電車がある。行きたい場所がある。観たい景色がある。会いに行きたい人がいる。
走る電車の窓から外の景色を何気なく眺めて、学校だったり住宅だったり湖だったりが流れていくのを見て、あの人に会いたいな、と思ったりする。つまらない景色を見ても、そこに美しい景色が広がっていても。
うらやましいことだ。

私はその間、布団に横たわってただ天井をじっと見ているだけだ。動きもしないし、落ちてくることもない。


恋愛の醍醐味は、いくつになっても片想いだ、と思う。30代でこんなことを口にするのは憚られるが、でもそう思う。懊悩だ。好きになった相手の幻影が落とす影だ。それらがわたしたちを一喜一憂させ、体に刻まれるように苦しみが深まるのだ。正気を失ってからが本番だ。


そんなことばかり考えていると、うまく相手と向き合えなくて1人になってしまうよ。でもわたしは密かにそう信じている。薄く残ったコーヒーを飲む。
1ヶ月半ぶりにタバコを吸った。なんだか暴力的な罪悪感に襲われて、3口で捨てた。たぶん私の健康を少し殺したのだ。

Kindleを開き、読みかけの小説に戻る。そこでは無益な殺人が行われ、多くの人が命を落としていた。