だれにもみえない日記
友達やらフォロワーやら、わたしをネトストしてる元カレやらが、この日記を読んでるのかどうかわからないけど、書くぜ。暇だからな。あと、言葉を扱うことがわたしは好きだからな。
わたしは体を濡らすことが嫌い。これで生活上、よく困っている。なぜかわからないが、髪や、顔や、体を濡らすことが不快でたまらないのだ。びたびたと水や化粧水で濡れた肌が、ひやっとした空気にふれたときのあの感じ。一生乾いていたいのに、と思う。(チッ)
もちろん風呂も嫌い。毎回シャワーで済ませる。シャワーすら浴びたくないけど、清潔でないと外出はできないし、人にも会えない。体を洗わないと痒みもひどくなるので、そこは諦めて風呂に入っている。でも、可能ならばどんどん軽やかにスキップしたい。
朝の洗顔やスキンケアも嫌い。顔を洗って濡らし、拭き、また化粧水で濡らして、美容液、乳液、云々………なんて酔狂だと思う。イライラしてしかたない。なにより、顔が濡れて乾くまでの時間が苦痛だ。前世がネコか何かだったのかもしれない。
料理はかろうじて好きだ。不思議と、手を洗うことは嫌いではないのだ。手を清潔に保つことは大事だ。それは濡れるのが嫌な気持ちよりもギリ勝つ。手を濡らしてでも美味しいものが食べたい。
しかし、フルーツを食べるために手が濡れること、あれはかなり嫌いだ。いや美味しいんだよ、フルーツは!!!でも味わうまでの過程に、「手が濡れる」が組み込まれているのが嫌すぎ。
たとえば桃とか。桃。私がこの先の人生で食べる桃は、全部他の人が剥いてくれ。美味しいけど、あんなに剥くのがめんどくさいフルーツ、あるか???手がベタベタになるんじゃ。
ぶどう。一粒の皮を剥くたびに、指があふれる果汁でてらてらと濡れる。しかも爪の間に皮のカスが入って色がつく。嫌だ。
この小さな粒を味わうために、ここまで指を濡らす……?と思うとめんどくさい。顔をしかめながらぶどうの粒を口に運ぶ。おいしいけどさ。
あとりんごと、梨も正直ちょっと。剥くのめんどくさいっスね。そんなに濡れないけど。
つまり、わたしの濡れることが嫌いな性格は、めんどくさがりであることに密接に結びついている。
あ〜それと、皿洗いも嫌い。あ〜〜。水回りの掃除は永久に終わらないのでめんどくさい。それでも泣きながらやっている。泣いたらほら、また頬が涙で濡れる。
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週末に家族と海に行くのですが、前日と前々日はかなり雨が降る予報なので、砂浜は濡れているかもしれない。
水を吸った砂浜にスニーカーで踏み出せば、ずぶ、と足が沈むかもしれない。
そのままわたしの脚は、お腹は、腕はみるみる砂浜の中に引き込まれて、首から上の頭だけが砂浜に出ている状態になる。
さっき口に入った砂がざりざりする。吐き出したい。波がここまで押し寄せてきて、海水を浴びたらどうしよう。わたしは濡れるのが嫌いだとあれだけ言ったのに。
そのうち、どこからか現れたファミリーがスイカ割りで遊び始める。わたしの頭はスイカと間違われて、長い棒でぱかんと割られる。
血や脳みそが吹き出すかと思ったら、あらら、ジューシーでつやつやしたピンクの、スイカの果肉の破片が舞う。カールした前髪の女の子が、一つわたしの果肉を手に取って齧る。じゅわりと溢れ出すわたしの汁は甘くて、その香りは彼女の脳に、「夏の匂い」として永遠に記憶されるのだ。
そんな夏の終わりだったらいいのに。