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失敗の本質を踏まえて最近の日本を考えた。

第二次世界大戦での大日本帝国軍の組織的欠点を議論している、失敗の本質を読んでいる。そもそも、物資の正常力が数倍も違う敵に対して、戦争を挑んだ自体で敗北が運命付けられていた戦争ではあった。しかし、その運命に向かって自分を加速させるような行動がたびたび見られた。それぞれの行動は、パッとみなぜそうなるのか意味がわからないものも多い。所々、爆笑できるポイントがありコントを見ているようにも感じる。戦後から70年以上たち、僕たちは記述されるような行動はとらないし、日本全体としても組織的弱点は克服してるのではないかと正直思いたい。でも、最近のコロナ、オリンピックへの対応を見ていと、似たような匂いを持つ行動が見られる。

コロナへの政府の対応は終始、目的が見えない。とりあえず、感染を抑える的なメッセージは出しているが、それも曖昧だ。経済と感染防止をできる限り両立させるという目的のもとにさまざまな戦術があるのが良いと思うが、とりあえず何かしなきゃといった感じで対応している感覚が拭えない。当時の戦争もそうで、戦争の目的は日本軍の兵力を見せつけ、連合軍を降伏させるといったもので、米国の日本本土に上陸し、降伏させるまで打撃を与えるといったものに比べ具体性も欠けているし、的を得ていない。目的が曖昧だと、戦術も曖昧になる。最悪、目的に反した戦術もとられたりする。栗田ターンのように。緊急事態宣言も、なんのために出すのか曖昧だ。

オリンピックの開会式では一つの目的は世界に向けて日本の文化を発信するがあるが、開会式後の電通やら小池さんと火消し協会のやりとりをみると、人間関係の維持が目的より優先されている。結果が、一貫性のなく、海外のジョンレノンの曲を流すといったよくわからない何かが生まれた。戦時中も、個人の面目を保ち彼の主張を通すために、敗北に繋がったケースが多々あった。その事がはっきりうかがえる言葉としても「戦略は可否ではなく、血の通った情緒により判断されなくてはいけない」がある。現代だったら Twitterで支離滅裂な発言のコラが作られていそうだ。

もしかして、私たちは戦後70数年何も学んでいないのか、はたまた変えられない根深い要因があるのか。平時では、コントのように見える行動も、緊急事態になると当然かのように現れてくる。今回のコロナ、オリンピックは再び敗戦したくらいに気持ちで、真剣に分析し今後の反省にしなければならないのではないだろうか。


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