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街の本屋さんの閉店に思う
東急自由が丘駅前にある不二屋書店が、来月に閉店するらしい。創業102年の老舗だが、時代の波には勝てないということだろうか。
私は大学時代、隣の九品仏駅近くに下宿していたので、この本屋さんにもよく行った。品ぞろえが確かで大好きな店だったし、最近、自由が丘に行く用事があったときも、やはりここに立ち寄って文庫本を買った記憶がある。青春時代の一ページが終わってしまうようで、さみしいものである。
あれは、かれこれ40年近く前のことになるだろうか。大学から下宿への帰り、不二屋書店で雑誌だったか文庫本だったかを立ち読みしていたときのことだ。「あれ、粟野君!?」と声がしたので振り向くと、その頃にチェロを習っていた先生が、ちょうど楽器を持って店に入って来られたところだった。驚いてどきまぎしたが、何だか嬉しかったのを、はっきり覚えている。
そう言えば、先生のご実家はこの近くにあったはず。子供の頃はお兄さんと一緒に、私が通っていた大学で遊んでいたとお話を聞いたことがある。仕事帰りにご実家に寄られたのかもしれない。
そのとき、先生とどんな話をしたのかは全然覚えていない。だが、その後、レッスンなどで、先生がことあるごとに「粟野君は読書家だからねえ」と仰った。読書家というのは言い過ぎだが、確かに本を読むのは好きだ。先生にそう言われて、悪い気はしなかった。
その先生も、ついこの間亡くなられてしまった。先生と偶然出会った懐かしい不二屋書店も、あと一か月でなくなってしまう。そして、自由が丘の街自体、再開発に向けて、大きく変貌を遂げようとしている。これが時の流れというものなのか。
そう言えば、今私が住んでいる街の本屋さんが閉店してからもう三年ちょっとが経ってしまった。ちょっとした本を買うにも、隣町か、大きな書店のある街に行かねばならないのは、はなはだ不便だが、新しい店ができる気配はまったくない。
街からどんどん書店が消えていく。その勢いは止められないようだ。
だが、何もかも「時代の流れ、仕方ない」と受け流してしまうのはさみしい。近ごろは、三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』のベストセラーなどを通して読書の良さ、効能が見直されてもきた。「街の本屋さんを元気にして、⽇本の⽂化を守る議員連盟」という、鼻をつまみたくなるくらいにダサい名前の議連もできた。かつてのような賑わいはなくても構わないから、「街の本屋」が、サオだけ屋と同じようにつぶれずにやっていける世の中になってほしいと切に願っている。そのためにも、本はなるべく、リアル書店で買おうと思う。
閉店までに、また不二屋書店に行こうか。