
日本音楽学会 第75回全国大会 見聞メモ
11/9,10の二日間、浜松でおこなわれた日本音楽学会の第75回全国大会に行ってきた。私は学会員ではないので一般エントリーなのだが、どうしても聞く必要に迫られた発表があったのだった。二日間にわたって学会員の方々の発表をみっちりと聞かせて頂いた。通常の発表(質疑応答合わせて40分)を13本、パネルディスカッションを2本、合計で750分(!)聞いたことになる。
発表内容は非常に多岐にわたるもので、中世から21世紀に至る(主に)西洋音楽について、最新の研究成果が数多く披露された。発表者やパネリストだけでなく、発表を聞く側にも、書籍・雑誌やメディア出演などでお馴染みの有名人も多数おられ、ミーハーな私はテンションが変になってしまった。
そんな私が、最先端をいく専門家の発表に対して何か述べるなどおこがましいのだが、端的に言って、実に面白かった。私が聞きたかった発表も含め、お題目からして興味をそそられる発表ばかりで、聞いた発表すべてで興味深く、示唆に富んだ話を聞くことができた。研究というのは、学問というのは、こうやって実践するのだと良いお手本を見せて頂けたし、一音楽愛好家としても知的好奇心を刺激されっぱなしだった。
印象に残った発表は以下のようなものだ。そのうちいくつかについては、このnoteでも私の感想などを書いていきたいと思っている。
1. 1968年ダルムシュタットとシューベルトのリアリティ(山口真季子)
2. パネル企画「音楽と音楽批評-日本・フランス・ドイツの事例を中心に」
3. 日本のチェロ教育におけるウェルナー教本の定着化について(松田健)
4.エドガー・ヴァレーズにみる打楽器の表記と実演例(中原朋哉)
5.ドイツ占領期(1945-49年)におけるヒンデミット受容の考察(藤村晶子)
6. パネル企画「ベートーヴェンの作曲法における楽器法の重要性」
7. アントン・ブルックナーの交響曲における宗教的表現の含意(岡本雄大)
ほかにも、ワーグナーの「神々の黄昏」の筆写総譜研究、メシアンの「アッシジの聖フランチェスコ」の創作過程研究、ノーノの「イントレランツァ1960」に見るシェーンベルクの投影などについての発表も印象に残っている。そして、私が聞く必要のあった山口氏のシューベルトの発表は、そこで紹介された言葉が胸に刺さり、溢れる感情を抑えるのに必死だった。学会の発表を聞いて涙ぐむ中年のおじさんという図式は、我ながら気味が悪いのだが。
今回聞いた発表は、クラシック音楽に関心のない人々にとっては、正直どうでもいい内容かもしれない。リゲティがシューベルトについて何を言っていようが、ブルックナーの交響曲第5番の終楽章のコラールに宗教的あるいは政治的含意があろうが、「神々の黄昏」の筆写総譜から新たな事実が発見されようが、世の中の大勢にはほとんど影響しない。しかし、それでも芸術には、時間をかけて調査し、突き詰めて考え、深く探求する価値がある。いやそれ以上に、そうするのがたまらなく楽しい。研究成果を共有し、議論することで、さらにその内容を深めることもできる。自分の研究内容を熱っぽく語り、時に愉し気に、時に厳しく発表内容について議論する学会員の方々の姿を見ていると、人が生涯をかけて没頭し、知を結集して探求するに値する音楽(ジャンルは問わない)がこの世に存在すること、そして、その音楽について論じることのできる平和と自由に感謝せずにいられなかった。一愛好家のナイーブな感想かもしれないけれども。