ちいさな幸福論
娘が持っている ”ちいかわ” のメモ帳に、こんな言葉が印刷されていた。
どんなにちっぽけでも何か心躍る体験を得られたとき、こんな日がずっと続くといいなと思うことは確かにある。大切な人と愛おしい時間を過ごせたときには、こんな日がずっと続くといいよね、と互いに言い合いたくなる。
でも、身も蓋もないことを言えば、そんな願いが叶うことはない。永遠なんて、この世には存在しない。すべてのものごとは常に移ろっていくからだ。
それに、こんな日は二度と来てほしくない、こんな日常から一刻も早く抜け出したいと思うことだってある。慌ただしい生活の中、ただただ見送っていくだけの日々もあって、私の場合、たぶん、そっちの方が割合は多い。
でも、だからこそ、いつまでも続いたらいいなと思える「こんな日」を一日でも過ごせたら、それはとても幸せなことだと思う。そして、誰かとその幸せを分かち合えることは、もっと幸せに違いない。
その幸せを得るためには、何か特別な体験を求めてあくせくしても仕方ないのだろう。それよりも、日々の小さな出来事の中に、毎日でも味わいたい幸せや、誰かと分かち合いたい幸せを見つけるようにする方が早道なのかもしれない。
ちょっと大きな話をする。
ウクライナの人たちも、ほんの1年半前までは、いつまでも続いてほしい「日常」があったに違いない。ロシアの侵攻さえなければ、家族、恋人、友人たちの間で、ささやかな幸せが日々重ねられていたことだろう。
恐怖と不安、哀しみのなかで辛い日々を過ごしている人たちが、1日でも早く、また「こんな日がずっと続くといいよね」と言い合えるようになることを願わずにいられない。