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1の次は2か4か、それが問題だ ーチェロのウェルナー教則本をめぐってー

 音楽学会の全国大会の発表で面白かったものをもう一つ。タイトルは「日本のチェロ教育におけるウェルナー教本の定番化について――ハインリヒ・ウェルクマイスターとウェルナー教本――」で、発表者は松田健氏だ。発表の内容を以下に要約する。

 日本では、チェロのレッスンで「ウェルナー教則本」が使われることが多いが、これがいつ、誰によってもたらされ、どのようにして定着していったかはよく分からない。調べていくと、ドイツ出身のチェリストで、1921年に東京音楽学校のチェロ教師として赴任したハインリヒ・ウェルクマイスターが、導入に関わった可能性が浮上してきた。しかし、まだ謎が多く、今後も引き続き調査研究が必要である。

ハインリヒ・ウェルクマイスター(1883-1936)

 松田氏は東京藝大の古い資料などを参照し、ウェルクマイスターがウェルナー導入を進めた証拠を探しておられるが、まだ確証はとれないらしい。それでも、ウェルクマイスターと日本との関わりについて、様々な資料から読みとれることを示唆されていて、発表を興味深く伺った。

 今回の発表で一つ驚いたのは、ウェルナー教則本を使っているのは、ほぼ日本だけだということだ。

 私は間違っていた。ウェルナーは世界共通のものだと思い込んでいた。飲み会の最初の注文が「とりあえずビール」なのと同じく、チェロ学習は「とりあえずウェルナー」なのだと。大学に入ってオーケストラに入団し、初心者としてチェロを始めたときも、やはりウェルナーから入った。ほどなくして先生に就いてチェロを習い始めたが、しばらくはウェルナーを見て頂いた。しかし、実際は、欧米でウェルナーの名前を出しても、ピアノのバイエルなどと同様にWho?となるようである。

 どうしてこんなガラパゴス的な教育がなされるようになったのか、その理由や経緯は松田氏の今後の研究で明らかになるはずだが、それとは別に、導入から100年を経た今、ウェルナー教則本の功罪も客観的に評価すべきだろう。

 聞いた話では、日本のチェリストが海外で先生に就くと、まずボウイングを最初から直されるらしい。ほぼリセットである。これはウェルナー教則本が、どちらかと言えば左手の練習に重きを置いていて、右手の練習が若干弱いことに起因すると言えるかもしれない。しかし、日本のチェロ界の重鎮からは、まさしく左手の練習にはウェルナーは役に立ったという意見があるらしい。当たり前のことだが、何事にも良し悪しがあるということだろうか。

 あくまで私の場合だが、大学からチェロを始めたアマチュア奏者(現在は開店休業中)で、ウェルナー以外の教則本をよく知らないという立場で言えば、ウェルナー教則本から始めたメリットはあったと思っている。ことに左手のポジション練習がやりやすかったことは大きい。

 ウェルナー教則本のポジション練習には、他にない独特の進め方がある。即ち、第1ポジションを一通りさらった後は、第4ポジションを練習するのだ。この第4ポジションは、ネックを握る親指が胴体にくっつく場所で、慣れていないと左手の形が崩れがちになる難しいところだ。他の教則本では、第1ポジションが終われば第2ポジションへ進み、やがて第4ポジションに到達する。恐らく、その方が合理的かつ自然なんだろう。

 しかし、第1ポジションに続けて第4ポジションが弾けるようになると、音域がぐっと広がり、弾ける曲もぐっと増える。一番高いA線では、第1ポジションの最高音D(レ)から、E(ミ)-F(ファ)-G(ソ)までカバーできるのだ。第2ポジションに上がったとて、せいぜい最高音が半音上がるだけで、達成感がない。私自身、大学オケで最初に弾いた曲はブラームスの交響曲第4番だったが、ウェルナーのおかげで、まだ何も分からない初心者でも、手っ取り早く楽曲の音域をカバーできるようになったと感じている。

 ただ、第1ポジションしか弾いたことがなく左手の「型」も固まっていない状態で、第1と第4ポジションへの間4度の音程を上下にスライドさせるのはかなり難しい。その点、素直に第2ポジションに進んで、徐々に音域を広げていく方が、長い目で見れば良いのかもしれない。

 しかし、第1ポジションの次は、第2ポジションか、第4ポジションか。どちらが良いかは、唯一の解がある訳ではないだろう。身もふたもない言い方をしてしまえば、それは教師と学習者による。ものすごくありきたりな着地点だが、「有無を言わせずウェルナー一択」みたいな現状は見直し、チェロ学習者がどこを目指すのかや、それぞれの得手不得手、性格などその人の個性に合った、様々な教則本の選択肢があれば良いのだと思う。

 ウェルナー教則本を使って良かった点が、もう一つある。チェロ二重奏の練習曲がいくつもあったことだ。もちろん、それらは聴くより弾く方が断然愉しい曲で、聴くと無味乾燥でつまらなく感じられるだろうが、それでも練習は楽しかった。恐れ多くも先生に伴奏をつけて頂いたり、夜な夜な部室で他の人と合奏して遊んだり、そんなことをしていくうちに「合わせる」ことの愉しさを身に沁みて感じることができたからだ。その横では、ヴァイオリン弾きたちが、セヴチックやカイザーの几帳面に整った教則本と、苦虫を潰したような顔で格闘しているのが常だったので、どことなく申し訳ない気もした。

 例えば、こういう曲だ。YouTubeに上がっている動画で、プロの小林奈那子さんが多重録音で弾いたものだ。

 いや、なつかしい。こんなにうまくは弾けなかったけれど、いろいろな人とデュオを楽しんだ思い出が蘇ってくる。ただ、聴くだけだと、死ぬほどつまらない曲ではある。やっぱり。

 日本は今、世界のマーケットで勝負できる優秀なチェロ奏者の輩出国である。一体、どこで何があったのかと不思議になるくらい、次から次へと素晴らしい若手が出てきて、コンクールで優勝したり、海外のアンサンブルで重要な役割を果たしたりしている。日本は今や「チェロ王国」なんじゃないかとさえ思う。松田氏は、今回の調査のために名だたる国内のチェリストにアンケートをおこなったそうだが、結果、やはりウェルナーから入った名手が多かったらしい。ならば、日本こそはウェルナー教則本の良さをちゃんと活かしているんじゃないかと思う。しかし、前述のように海外へ出て行けば最初にボウイングを直されるという話を聞くと、ウェルナーより良い選択肢があるような気もしてくる。

 これを機に、松田氏が座長となって、このチェロ名手たちが一堂に会するシンポジウムを開催して、チェロ教育の今後を語り合うなんていう場があれば面白いのではないかと思う。そんな中から、今、音楽ライターの飯田有抄さんがピアノのブルグミュラーの魅力を素敵に発信しておられるのと同じように、「ウェルナー、いいよね」みたいなムーブメントが始まるかもしれない。それはそれで面白そうである。どうだろうか。

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