
終わりを意識するところから始めてみる
新年明けましておめでとうございます。今年も毎週投稿継続していきたいと思います。
今年はきちんと過ごすぞ!と考えていたのですが、、、本日やっと初詣を済ませてきました。
今年は節目の年なので・・・
個人としては今年は節目の年齢になります。
一通り人生歩んできたので、残りは自由に生きていきたいと思っています。
大好きな仕事は会社員ではないので、終わりは自分で決めることができます。ここ数年やってみて自分から終わりますと言わない限り、なんとか続くのだろうなと思っています。
それはそれでありがたいことですが、ダラダラと続けていたらお客様にも迷惑がかかりますので、提供できるもののゴールは決めておきたいと思っています。
10年前を思い出してみると・・・
節目なので10年前を振り返ると、まだ会社員でしたし所属していた会社もある意味節目の年でした。
管理職だったわけではないのですが、会社の外的な環境整備や新しい人材の育成をどうしていくかなど・・・今思うと現場の先頭で走り回っていたように思います。
まあよくがんばっていたのではないかな。
10年前に今の姿を想像はできませんでした。それくらい目の前のことに必死でしたし、その時々で正しいと思う道を進んできたので後悔はしていません。
ただ、これまでの10年とこれから先の10年はちょっと意味が違うと感じています。
青山学院の強さから学ぶこと
話は逸れますが、箱根駅伝はまたしても青山学院の優勝で終わりましたね。全部見ていたわけではないのですが、青学、強っ!・・・と思いました。
青学の強さはまさにチームビルディングそのもので、
人材力×組織力×関係力
の3つがきちんと回っている事例だと思います。
ただ今回気になったのはそこではありません。
寮母の美穂さんのコメントがネット記事にあがっていました。
ここまで成功していると、まだまだ続くのだと思っていましたが
・世代交代を見据えて準備している
・いつまでもできるわけではない
という言葉です。
これを意識しているんだと思い、頭が下がりました。
11年で8回優勝しているとなると、あきらかに原監督の手腕と言えると思いますが、裏を返せば、原監督でないと優勝できない・・・では青山学院にとっては意味がないことなんだと思います。
青山学院の強みを活かした勝ち方を、次の世代も実現できるように世代交代を考えて準備しているということに強さを感じました。
これは組織開発も同じです。
どんな組織でも強力なリーダーが存在することは、組織の成長のために不可欠ですが、リーダーはそんな都合よく登場しません。
まずはリーダーをやらせてみるというところからスタートです。
時間をかけて計画的に次のリーダーを育成する必要があります。
最近は多様性の時代、個の時代と言われて、自分のやりたいことを重要視する傾向があります。
それはそれで否定はしません。(自分もそうしているので)
しかし、組織は個人のために存在しているわけではなく、組織の明確なミッション、ビジョン、バリューのもとに存在しています。
個人の価値観の実現のためにあるわけではないと思っています。
(個人の力を示したいのなら、個人で仕事をすれば良いのです)
だからこそリーダー(管理職)の育成は、どの組織でも最重要課題になっていくと思います。
それができた組織が、継続していく力があるのだと思います。
監督の監督という存在
今回の記事が気になって、過去の記事も少し読んでみました。
原監督は以前は人の意見や話に耳を傾けるような人ではなかったそうです。
人の話を聴くことは意味がないとまで言っていたようです。
そんな中、美穂さんが
「監督は自分のプライドを実現するために監督をするのではない。
監督は主役である選手を強くするために存在する」というようなことを、原監督に厳しく投げかけていたということでした。
今では原監督も、いろいろ学んでいます。とか、「僕(監督)の監督は奥さんです」とコメントされているのだとか。
相手の成長を信じて投げかけられたこの言葉は重い・・・というか、カッコいい!と思ってしまいました。
自分もクライアントの成長を信じて、言葉を投げかけられるような存在になりたいと思いました。
節目と書きかましたが、これからの10年は最後の10年になると思っています。日々を必死にやることも大事ですが、10年後の終わりを意識して過ごしていきたいと思いました。