ワクワクするだけじゃなくなった未来。
バック・トゥー・ザ・フューチャーが大好きである。
初めて観たのはいつだったか。おそらく物心がつく前だったかもしれない。いやいや、さすがにぼくが物心つくまえの映画ではないだろうに。と思って調べてみたら、ぼくの生まれた年の1年前、1985年にできた作品だと聞いて目が丸くなった。
金曜ロードショーなどでも何度も放送されていたし、両親がたまにレンタルビデオ屋で借りてきてくれて、パート3まで一気に観たりもした。まあ、だいたいパート2の序盤あたりで寝落ちしてしまうんだけれど。
特に好きなのは、その寝落ちしてしまうパート2の話。30年後の主人公・マーフィーの息子が、大きなトラブルを起こしてしまうとわかり、事前に防ぐため、タイムマシンの開発者・ドクと一緒に、30年後の世界へタイムスリップする。
その世界が、当時のぼく達からすると「ありえない未来」の光景だった。空飛ぶ自動車、自動で靴紐が結ばれるスニーカー、犬を散歩する小型浮遊機。これはつまりドローンだよね。
あの頃のボクはこの「ありえない未来」に尋常じゃなくワクワクした。
観たあとに自分のあたまの中でも想像してみるのだが、空飛ぶ自動車に乗っているのも、シュッと勝手に結ばれるスニーカーを履いているのも、犬を散歩させるドローンのような機械を操っているのも、すべて対象はボク自身であった。
気がついたら上記に挙げたありえない未来も、まもなく「ありえる未来」になってきているが、それもそのはずバック・トゥー・ザ・フューチャーのあの未来は2015年の話。
では次の30年後はどうだろうか?
バック・トゥー・ザ・フューチャーの未来は、すでにありえる未来となったわけで、これからはまた「新しいありえない未来」がやってくるわけだけど、ワクワクだけの感情ではなくなってきている。
それはなぜか?
子どもたちの将来を考えるようになったからだ。
ぼく個人の子どもはまだいないのだけど、ぼくの親しい人たちにもいっぱい子どもができた。ベナン共和国で共に頑張っているパートナーの子ども4人とも、すこし前までずっと一緒に住んだりもした。
これまでは自分以外の、ましてや世代の違う人たちの未来はどうでもよかった。自分が生きている間だけ楽しければいい、なんて思っていた。
でも、いまは未来を想像すると、自分よりも先に子どもたちが出てくるようになった。こうなってくると、次の世代の子どもたちのためにも、いい世界を創るのが大人の仕事なんじゃないか、とか思っちゃう。
ぼくにはタイムマシンは創れないけど、100年後の未来を変えるための歯車くらいにはなれるんじゃないだろうか。
そう思えてるってことは、まだ子どもの心も残っているのかもしれない。
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