株式会社ネクシィーズで過ごした4年間のまとめ
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アフリカ系男子のナイケル(内藤獅友)です。
現在ぼくは、アフリカ歴6年目、会社とNPO経営をして3年目でありますが、その前は日本で会社員を4年間やっておりました。
漫画喫茶でバイトをすれば「バイトのくせに店の経営に口出しするな」と言われたり、日雇いバイトをしてみたら3時間で喧嘩をしてしまってクビになるという、社会不適合者なぼくですが、そんな自分が4年間も勤め続けることができた会社が株式会社ネクシィーズという会社です。
株式会社ネクシィーズグループは、東京都渋谷区に本社を置き、LED照明レンタル・電子雑誌制作・着物着付け教室などを行う会社を傘下に持つ事業持株会社。 東京証券取引所市場一部に株式を上場している。社長の近藤太香巳は、2004年に37歳という若さで東証一部上場企業の最年少創業社長になった。
出典:ウィキペディア
近年では、「2018年のアジアの売上10億ドル以下の優良企業リスト200社」にも選出されるなど、他業種で活躍している企業です。
社会人として最初の舞台というのは、その後の仕事のやり方や、人生の考え方にも大きく影響を及ぼすかと思いますが、ぼくが今、アフリカにいるのも、会社やNPOを経営しているのも、「不可能」と言われることに挑戦し続けているのも、ネクシィーズで過ごしたことが大きく影響していると思っています。
そんなネクシィーズで働いた4年間を赤裸々にまとめてみましたので、よろしければご覧いただければと思います。
目次
第1章:株式会社ネクシィーズ・近藤太香巳社長との出会い
▶︎ネクシィーズと出会うまで
▶︎社会人になったら人生終わり
▶︎社会人の概念をぶっ壊された
第2章:新卒もあてられる朝礼制度
▶︎朝礼で話すべき内容
▶︎ネクシィーズ・鬼十五訓
第3章:誰もがヒーローになることができるN1グランプリ
▶︎N1グランプリの特徴とは
第4章:ぼくが3年で係長になれた理由
▶︎超凡人も戦略で出世ができる
▶︎ランチェスター戦略
▶︎ブルーオーシャン戦略
▶︎キーパーソン戦略
第5章:ネクシィーズだからこそ学べたこととは
▶︎高速PDCA
▶︎流動的組織マネジメント
▶︎創業メンバーの話
▶︎佐々木龍という上司
第6章:それでもぼくはネクシィーズを辞めた
▶︎ビジョンと事業に情熱を持てなかった
▶︎社長や創業メンバーと対等に仕事がしたかった
最終章:最大の恩返しとは何か
第1章
株式会社ネクシィーズ・近藤太香巳社長との出会い
ネクシィーズという名前よりも、創業者であり社長である、近藤太香巳という名前の方が、もしかしたら聞いたことがある方が多いかもしれない。
そのくらい近藤社長はカリスマ的存在で、現在も起業家の憧れの人であり続けているのだ。
もちろんぼくもその一人で、最初の出会いはネクシィーズというよりは近藤太香巳というひとりの人間に魅せられて、入社をすることとなる。
その前に、この会社と出会う前の話をすこししておこうと思う。
▶︎ネクシィーズと出会うまで
ぼくは小学校のころから「Rock」が大好きな人間だった。キッカケは小学校時代に受けた「いじめ」である。その学校ではほとんどいなかった転校生とだったこと、本来はその組織に受け入れてもらうまで良い子でいるべきなのに、最初から自己主張全開で接していたことなどが原因でいじめられたのではないか、と思っている。
どれほどのいじめだったかというと、毎日のように下駄箱に泥が入っていたり、休み時間は全員にボコボコにされるようなものだった。それが原因で、人に対して本心をいわない八方美人な性格になる。とくに「組織」に対しては、つよい嫌悪感すら覚えるようになる。
集団組織はマジョリティであれば一体感として力を発揮するが、マイノリティに対しては、徹底的に潰すくらいの脅威になる。人間という生き方は、こうした集団組織やマジョリティと共存しなければいけない社会だが、そうした疑問や怒りを無視せずに、世の中に主張し続けるという「Rock」な世界は、そんなぼくにピッタリな思想であった。
▶︎社会人になったら人生終わり
父が中学校のときに死んでから、組織や社会に対する嫌悪感と同時に、死ぬ1秒前まで自分らしく生きるにはどうしたらいいのか、ということも考えはじめた。大学生になったころ、「社会人」という言葉を知る。学生を終えると、みんな社会人というものになるのだということを知る。そして、そのイメージの大半は、スーツを着て電車で通勤する「サラリーマン」という存在だと知る。
ではそのサラリーマンとは一体どんなものなのかと、20歳になって居酒屋に出入りできるようになったぼくは、友達と飲みに行っても、隣にサラリーマンが座っていると、「この前ナンパした女の子がさ〜」と、どうでもいい友達の話は右から左に受けながし、サラリーマンたちの会話に耳を立てていた。
何度かサラリーマンたちの会話を聞きつづけていたのだが、ぼくは絶望を感じることとなる。
たいていのサラリーマンは、会社の不平不満を語り、「あの頃は良かった」と、社会人になる以前の話で盛り上がっているのである。
そして、それを解決するために話し合うというわけでもなく、アルコールの力で別の話にもっていき、「あーあ、明日もがんばるか〜」と嫌々ながらにサラリーマンスイッチを入れ直しているのだ。
「社会人になったら人生終わりだ」
そんな想いがぼくの中で湧きおこり、怒りよりや絶望よりは危機感に近い感情で、小学校からの憧れでもあったRockバンドで食っていく決意をする。
しかし、バンドというものも、結局は数人で集まって行う「小さな組織」なのである。小学校時代から組織を全否定する思考になってしまっていた自分が、バンドで上手くやっていけるわけがなく、結局中途半端な状態で、プロの道は諦めることとなってしまった。
気がつけば就活をしなければならない時期になり、「ああ、嫌だ。このままではぼくの大嫌いな社会人にならないといけない」と焦るも、バンド以外でやってみたいこともなく、当時付き合っていた彼女とはマスオさん状態で実家に居候させてもらっていたので、「結婚」という二文字も自然と意識するようになっていた。
今のぼくだったら「就活なんてしないで世界に旅に出る」とかしていたかもしれないが、当時のぼくは中途半端に尖って中途半端に流される「半端人間」だったので、結局気がつけばリクルートスーツを着て、新卒採用企業の合同説明会に足を運んでいた。
「社会人になったら人生終わりだ」
こんな想いを秘めて参加していたので、説明会にいる社会人の人たちの話を聞いても、「どうせこの人たちも会社を出たら不平不満だらけで、過去の栄光にすがっているのだろう」と蔑んだ目でみていた。
この時代の新卒採用は、ディスカッションや集団面接など、採用過程でも組織をつかった方法をとる企業が多く、要するに「組織に適応が出来、その上で優秀な動きができる人」が求められている傾向だった。ぼくのもっとも苦手な分野である。この手の採用方法をとる会社にはだいたい落とされた。
最初の方はRock魂で、社会人という避けられない未来に迫りつつも、「自分らしくやろう」と抗っていたのだが、やはり何度も不採用を食らうと、徐々に自分を押し殺してでも受かろうか、という気持ちにすらなっていた。半端人間らしい思考である。
特に興味のある分野もなかったので、業種も定まらず、なんとなくいいなと思った企業の説明会参加ボタンをポチッと押して、参加して、「やっぱ違うな」と思いながら選考に進んでは落とされて、という日々が続いていた中、おなじように何気なく選んだ「株式会社ネクシィーズ」の説明会に参加した。
▶︎社会人の概念をぶっ壊された
会場は200人近い参加者でほぼ満席状態。最初に若い女性の司会ではじまり、簡単な企業の沿革を話してくれたが、「この会社に入ったらあんな大人な女性と毎日会えるのかぁ」と年上好きなぼくの女性癖がくすぐられるだけで、全然話が入ってきていなかった。
「ああ、ここもまたしっくりこないんだろうなぁ。」
いつもどおり、最後まで眠気と戦いながら話を聞いて、「社会人って嫌だな」と思いながら、駅前のセブンイレブンで缶コーヒーを買って、それを飲みながらゆっくりと帰宅する。そんな本日の未来が思い描けたとき、「それでは代表の近藤が参ります!」と司会の女性が紹介を告げた。
現れたのはキラキラ、いやギラギラしたオーラをまとった近藤太香巳社長であった。真っ赤なネクタイを締めて、遠くからでもわかる眼光の鋭さは、社会人とは真逆にあるはずの「Rock」をも感じさせた。
普通、説明会で話されることは「会社の創業話」「会社のビジネスモデル」「会社の未来予想図」などであるが、近藤社長の話は、会社の話というよりは、彼自身の生き様がメインで語られた。
高校を中退後、車を買うも一瞬で事故って廃車にし、220万円の借金をかかえる。周りからも落ちこぼれと揶揄され、仕事の面接では尊敬する人を「トムソーヤです!」と言って困らせ、なんとか受かった会社では、飛び込み営業で罵声を浴びせられながらも、毎日笑顔で飛び込み続け、全国のトップ営業マンになった。などなど漫画の世界か?って思うような生き様を、芸人顔負けの引き寄せられる話術とボディランゲージで語りあげていた。
ようやく中盤から会社の話となる。19歳で50万円を片手にネクシィーズ(当時は日本電機通信)を創業し、NTTの固定電話回線を分割購入できるモデルを発案し大成功するも、とある男性に騙されて全てを失ってしまう。そこから再起を計り、携帯電話や衛星放送の新しい販売モデルで成功し、インターネットADSL時代には、現ソフトバンクの孫正義さんから認められ、Yahoo!BBの販売代理店として提携をし、日本一の販売実績も獲得。当時史上最年少記録で東証一部にも上場した。
ここまでを聞き終わるころ、ぼくは完全に近藤社長の虜になっていた。
社会人なんて糞食らえで、Rock好きなぼくに一体なにが響いたのか?
それは、社会人である「今」を本当に楽しんで生きているように映ったからだろう。近藤社長が生き様トークを終えると、「皆さんと一緒に働けることを心から楽しみにしています」という一言を残して、颯爽とステージ裏に去っていった。
ぼくの顔は、口が開いたまま涙が流れているというとても滑稽な表情になっていた。
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