それぞれの元旦
昨日までの連載「自分の本心と向き合うまで」いかがでしたか?
そういえば以前「料理していると色々なことを考えるから嫌」と話してくれた内観ゼミの方もいらっしゃいました。
「自分の思考を整える」と、長距離移動でスマホがなくても、夜寝る時に深酒しなくても、料理やお風呂を手早く済ませようと焦らなくてもよくなるのかもしれない。
思考が自分を傷めつけるものじゃなくなるから。
それって、ひとつひとつの瞬間を味わえるようになるために大切なことなんじゃないかな。
誰もが最初は怖いから、内観気が重いなって感じてるけど自分を向き合わなきゃなって思っている人は読んでみて下さいな。
「新年の抱負」
絵理子さんが、広島の実家からインスタグラムに投稿してくれました。
ここ、大事!親を許してない人は内観をしようとしないんだけど、それは仲直りを拒んでいるから。
けれどもね、目的はそこじゃなくていい。
自由族は冷静なので「他人の理解がすすむ」けれど自分の感情に鈍感(男性に多い)
求めれ族は自分の感情に敏感なので「自己理解がすすむ」けれど他人の身になってみるというのが苦手(女性に多い)
エンパシー(求められ族)シンパシー(自由族)という属性で考えて見ても腑に落ちる部分が多いです。
「内観は世界平和」まさしくですね。
私の抱負
内観noteも、そんなテーマで書いています。
だからこそ事実と本音を書くようにしています。
しばらくお付き合いください。
2日の今日は奈良は晴天でした。
絵理子さんは筑前煮を作っていたみたい。
こんにゃくネジるの偉い!
うちは息子は昨晩から頭が痛いといっていて、夫は能登地震対応で富山、石川、兵庫の社員の安否確認に忙しくしていました。
会社員って繋がってるんだな、と思いました。
会社員から社会人生活をスタートした人が、会社を辞めたら孤独になるかもしれない、と不安になるのは繋がりが無くなると思うからなのかと想像しました。
夫は災害対策のために出社したのですが、シートや水など何を支店に送るか会議するそうです。
有り難いことですよね。
かといってフリーランスでも繋がりを作ることは出来ると思う、というか会社の組織的な動きを辞めることで生まれる自発的なものもありそうだけど…
結婚してから、しばらくは社会的には自分は存在していないような気持ちになることが多かったことも思い出しました。
年収、勤め先、勤続年数、、、など、書類を書くときや、ふとしたアンケートの場面でも自分は社会的には大人ではない、一人前と見なされない存在なのかと感じていました。「主婦」の欄はあるけれど、それは誰かの付属品であるとみなされているような、、、
今はそんな感覚は薄れています。
なぜでしょうね、年数なのか実績なのか捉え方なのか。
地震のあと対応する夫を眺めながら、そんな事を考えたり夫の実家は能登半島ですので電話をしたり。(家族皆無事でした)
ニュースからも目が離せずにいました。津波がくるとは思えない海の映像に各TV局のアナウンサーの話す言葉が非常事態なんだと思わされました。いちじ、私も金沢に住んでいたので知っている景色が映ると胸が痛みました。
8番ラーメンとか、志賀町の干し柿、富山氷見のうどん、能登水族館、七尾市のお祭り。
いつになく首相も大変だなと思いました。
元旦に急な呼び出しで会社に行く人、旅館や飲酒店の方々。災害があると「命があるだけで感謝しなければ。文句をいってはいけない」という空気感に包まれるような気がするけど、まだ子供が幼い人は夫が呼び出されることで心細くなります。
命の危険がなく、家があっても影響は広範囲に及んでいる。
大きなことって保険とか支援でカバーされるんだろうけど、小さなことって自分の中に積もっていく。
大事にしていたもの、代わりの効かないもの、楽しみにしていたこと。
そういう小さなことに手を伸ばす仕事をしていたい、と思う。必然性がないと組織では判断されるかもしれないけど、個人の人生においては無くてはならないもの。
そこに気が付けるというのが門野内絵理子さんと私の共通点なんだと思うのです。
「過去の未完了が生まれてしまう瞬間」
自分はいいんだと我慢してしまうとき、心が狭いと自分を責めてしまうとき。
誰も悪くないから責めるところがないのだけど、理不尽だと涙するとき。
どんな気持ちもあなたのものだから。
話したくなったらお待ちしていますね。
内観60分セッションはこちらから
格好つけてしまったような聞いたがしますが、実際の私はすることもなく気力もちょっと削がれて孤独のグルメ大晦日スペシャルをみたり、セーターを編んだりしています。
息子の風邪との共存生活なので、無理せずに粛々と過ごしたいと思います。
地味に咳を聞くのもストレスよね(看病する人の愚痴)