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こんばんは
内観研究所、林モニカです。

朝、国際女性デイということに気付き、何か書きたいなと思ったのですが、そんな日に限ってイレギュラーなことが重なり、重なり、、
昼も夜もキッチンで立ったまま、何かをつまんで時間に追われて夜になってしまいました。

国際女性デイは、あと50分終わってしまいます。

今日一日、もやもやしていた事を書かせてね。

朝インスタライブで話したら「私もそう思う」とコメントいただき勇気をもらったんですが…

「ミモザをもらう人がいるらしい国際なんちゃら女性の日らしい」という認識しか私にはなく。

どこか人ごと。

立派な肩書きで仕事をして、男性と変わらぬ実績をあげている女性がインスタやTVや雑誌の記事で美しい笑顔と共にミモザをアップする…

啓蒙活動としては認知度が高くなって成功しているのかもしれませんが、どこか人ごと。

それは「普通の私と立派な女性」の間に流れる溝なのかもしれません。

また、母は「イタリアでは男性が女性にミモザを贈るんですって」と言っていた。

おや?日本ては女性の地位向上・男と女の垣根がなくなりますように!…とコメントが添えられてたり、
世界の貧困にあえぐ女性、女の子が救われる社会となりますように…と添えられていたり。

男性が女性に感謝を捧げる日ではないようだ。

分からなくなってきたから調べるね。

「国際女性デー」の起源は、1904年3月8日にニューヨークで行われた、婦人参政権デモにまでさかのぼります。いまでは考えられませんが、当時、女性には政治に参加する権利がなく、選挙に立候補することも、選挙に投票することもできませんでした。そのデモを通じて、女性たちは当然の権利として、「女性参政権」を求めたのです。
それから半世紀以上が経った、1975年3月8日に国連で提唱。1977年の国連総会で議決され、3月8日は「国際女性デー(International Women's Day)」に制定されました(出典:内閣府 男女共同参画局)。以来、毎年3月8日は、すばらしい役割を担ってきた女性たちによってもたらされた「勇気」と「決断」を称える日となりました。
イタリアではこの日に、母親や妻、友人、会社の同僚など、周囲の女性に感謝を込めて、愛や幸福の象徴であるミモザを贈る習慣があり、「国際女性デー」は別名、「ミモザの日」と呼ばれています。そのため、黄色いミモザの花は「国際女性デー」のシンボルになっています

https://sdgs.kodansha.co.jp/news/topics/45074/


ちなみに日本で女性の参政権が認められたのは1945年(昭和20年)11月、第二次世界大戦が終わった年ですね。

なんとなく…日本人男子が決めたことなのか?
疑問に感じてしまう。

もし、もしも戦争に負けていなかったら、1945年に女性参政権を勝ち取ることができたのだろうか。

アメリカは日本より25年も前に認めていたんですね。
何でもアメリカがやることに追従するのが良いとは思いませんが。
*(追記/アメリカが女性参政権を認めたのは1920年でした。但し白人女性のみ。人種の別なく選挙権が与えられたのは1965年です。加筆修正させていただきました)

ちなみにイギリスは1918年、第一次世界大戦末期に大戦への女性の貢献が認められ…という名目だそうです。

が、戦争で男子が減ったからでは?

と、穿った見方をしてしまう。


また裁判官や政治家など女性が少ない職業が多くありますが、もう「女性だからだめ」とは言われていない。
大学もいける試験も受けられる。
けど…?
男性主体で考えられているシステムに女性が入ることは非常な負担がかかる。

じゃあ子育て支援を、保育園を、シッターを、、


女性の幸せ
男性の幸せ
個人の幸せ


を主体にする仕事のシステムが必要。
「無理すれば出来る人」「立派な女性」だけが上にいきミモザをもらい啓蒙活動をする…


家で野菜を洗い、床を拭き洗濯をして。
子供のお弁当のおかずに頭を悩ませる。
歯医者の予約に耳鼻科の予約、飲ませる薬に頭を悩ませる。

そんな人にかけることばは
「偉いね」
「優しいね」
「頑張りすぎないで」
「完璧主義なんじゃない?」
「うまく人に頼らないと」

まず「立派だね」と言ってみてはどうだろう。
普通の女性に。


参政権をもつ、それに垣根はないはずなのに
ステイタス、職種、数字、肩書き、、、

あの人の一言は重いけど私は軽い。

そう諦めている女性が減りますように。
ミモザをいただいたことも渡したことも
ありませんが、

頑張る全ての女性とわたしに捧げます。

#国際女性デー

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