2021年 今年の一冊
HONZメンバーが選ぶ今年最高の一冊、今年で11回目を迎えるところとなりました。「この記事を読まないと、年を越せない!」といった声はまったく聞こえてきませんが、今年も勝手に開催させていただきます。
さすがにこれだけ長くやっていると、原稿を作成する際にメンバーのフルネームを何も見なくても正確に打てるようになっており、我ながらビックリしております。
ちなみにこのコーナー「今年最も○○な一冊」というお題で、レビュアーそれぞれにタイトルをつけてもらうのですが、身内の認知度が低いのか、「今年一番○○な本」などと覚え違いタイトルで送ってくるメンバーが多発しています。
また、ありがちなのが原稿は送られてきたものの書名が書かれていないケース。刀根明日香、今年の一冊はこの本で合っているか?
そんなわけで、今年はタイトルを間違えたレビュアーによる「今年最も○○な一冊」から紹介していきます。
アーヤ藍 今年最も「自然界に対するニンゲンの向き合い方を考えさせられた」一冊
昨年、拠点を東京から南の某島に移した。そこで身近になった生き物の一つがウミガメだ。だから本書の甘酸っぱいタイトルと可愛い表紙に、惹かれずにはいられなかった。だが、そんな愛らしい見た目から抱いていた期待は、いい意味で裏切られた。
もちろんタイトルのような、ウミガメの生態に関する「へぇ〜!」なポイントもたくさん盛り込まれているが、より焦点が当てられているのは、「ニンゲンによるウミガメ保護活動」の実態だからだ。
卵の移植や子ガメの放流、卵の盗掘防止パトロールといった保護活動が、ほとんど効果をあげていない…どころか、逆効果になっている実態や、結論ありきの「調査」「研究」が引き起こす問題、保護団体間の軋轢など、ウミガメを45年間見つめてきた著者が、世界各地で直面してきた問題について取り上げられている。
「ウミガメを保護しようという考え自体がニンゲンの傲慢で、ニンゲンがなるべく関わらないことこそが保全に繋がるんだ」と著者は本書のなかで強く訴えているが、この視点は、ウミガメにかぎらず、環境保全全般に通じるものなのではないかと思う。
近年、環境問題への社会的な関心が高まっているが、そうした”波”が起きているなかだからこそ、自然界と向き合う姿勢について考えさせてくれる本書をお薦めしたい。
仲野 徹 今年最も「親孝行になった」一冊
同居している89歳になる母親、やや認知症気味になってきているが、本好きなのでけっこう読む。なので、面白そうな本があれば、お勧めすることにしている。といっても、気に入られる率は5割といったところだろうか。そんな母親だが、今年、いちばん興味を示したのがこの本だ。
第二次世界大戦末期の昭和20年3月14日深夜、大阪は大空襲に襲われた。火の海から逃れるために地下鉄の駅に殺到する市民。すでに営業時間外で駅に入ることすらできなかったはずだ。しかし、電車が走り、それによって命拾いをしたと語る人が何人もあらわれた。
はたしてそのようなことが本当にあったのか、それとも都市伝説にすぎないのか?いくつもの証言をジグソーパズルのように組み上げて「救援電車」の真実が明かされる。
そのころ12歳、大空襲を直接経験した訳ではないが、やはり興味があるのだろう。この本を読んだ母親はえらく興奮して大喜び。本を買い足して、近所のおばちゃんたちに勧めまくっていた。数年前に、徹には親孝行をしてもらったことがないなどという不埒な発言を受けてから、積極的な孝行はできるだけしないように努めているのだが、意外なところでしてしまいましたわ。
古幡 瑞穂 今年最も「満ち足りた気持ちになった」一冊
50歳前に妻を亡くし、息子をも事故で失した郡方。寂しさを抱え、静かに生きることばかりをのぞむものの、藩の政変に巻き込まれてゆく…という物語。神山藩という地方の小藩が舞台なので派手な事件が起こるわけではありません。ただ、だからこそより、人生の後半をどう生きるのか、人としての矜持にどう向かうのかといった問いかけが読み手に強く届いてきます。特に同年代の会社員には響くところも多いでしょう。
良い小説を読むと、人物の表情や周囲の景色などが自然と目に浮かぶもの。この作品は情景はもとより、音まで想像できるようでした。静謐で、どこか熱く読み手に訴えてくる作品は今年もっとも満ち足りた読書時間を与えてくれました。年明けには早くも2作目が登場する予定とのこと。ここからの著者の活躍も楽しみです。
鎌田 浩毅 今年最も「地味だが感動的な地球史の」一冊
地球のN極とS極は過去に何回も入れ替わってきたが、その最後の記録が千葉県にある。今から77万年前に磁場が逆転していたことを示す地層で、世界の地質学者の会議である国際地質科学連合が「チバニアン」と呼ぶことを昨年1月に最終承認した。ラテン語表記に従った学術用語で「千葉時代」という意味である。
本書は新たな地質年代「チバニアン」が生まれるまでのドキュメントで、子供向けに書かれた入門書だが、科学の本質を分かりやすく解説したノンフィクションでもある。著者は承認に至るまで尽力した地質学者の茨城大学教授で提案チームの代表を務めた。
地球の歴史は46億年に及ぶが、生物の繁殖と絶滅をもとに大きく時代分けされている。学校で習った「古生代」は生物の95%が大規模な火山活動等で絶滅したことで終了し、「中生代」は恐竜が宇宙から飛んできた1個の隕石衝突で滅びた時代である。
各時代はさらに細分され、代表的な露出する地名で呼ぶ決まりになっている。そして生物の大量絶滅や環境激変などの節目ごとに117の時期に分けられた。たとえば、三葉虫が海中を泳いでいた「カンブリア紀」や、恐竜が陸上を闊歩していた「ジュラ紀」のように、17世紀に近代地質学が誕生したヨーロッパの地名を付けたものが多い。一方、これらの地質時代の中で、まだ命名されていない時代が10ほどあった。
ちなみに、現代は地質時代で分けると「新生代」終盤の第四紀に当たる。258万年前から始まる第四紀は、地球表面を広く氷河が覆った「氷期」と、それが溶けて温暖になる「間氷期」が交互に現れている(鎌田浩毅『地球の歴史』(中公新書)。第四紀の最後の時期に当たり、命名されていなかった地質年代(77万4000年前~12万9000年前)が、チバニアンに決定したのである。
この時期は「ホモ・サピエンス」が生まれた約20万年前を含み、ネアンデルタール人やマンモスのいた時代でもあることから世間の関心も高い。さらに地学的に77万年前は地球上で地磁気の逆転が最後に起こり、気候変動などを知る上でも非常に重要な境界である。
命名を決める最終選考で重視されたのが、逆転の証拠がどれくらい本物かであった。千葉県市原市の地層に含まれる磁気を持つ鉱物は、逆転の事実を明瞭に記録していた。さらに花粉や化石など逆転時期を示す状況証拠が複数の方法で提示され、最終決定の決め手となった。
チバニアンのように科学の世界で日本名が正式に採用されたのは、2016年11月に 原子番号113の元素が「ニホニウム」として国際承認されて以来である。また、地球史の一時代を日本列島の地名が飾るのも初めてで、我が国の地質学が世界的な水準にある快挙ともなった。
今後は教科書や研究論文でチバニアンが国際的な標準層として使われることになる。チバニアン決定のニュース以降、国内外から研究者のみならず多くの一般市民が遠路はるばる地層を見学しにやってきた。
本書はこれから地学を学ぼうとする小中学生にも理解できるように、ポイントが簡潔に解説されている。地質学はきわめて地味な学問だが、若い人たちが注目し我々を継ぐ研究者が続出することを期待したい。「今年最も地味だが感動的な」地球史の物語を、ぜひ楽しんでいただきたい。
刀根 明日香 今年最も「賢くなった」一冊
本書を手に取ったのは、SDGsに興味を持つきっかけを探していた時だ。仕事で必要なこともあり、面白い本を読んでのめり込みたかった。本書は期待を大きく超えて、私の思考の核となり、今年一年いろんな視点で世の中を見させてくれた感謝の一冊である。
本書は、東京工業大学の「未来の人類研究センター」のメンバー5名が日々「利他」について議論して出来た結晶だ。みんな専門分野も背景もバラバラで、「利他」という概念に向けて一人ひとりが旅をするような構成になっている。私も同じように、本書を楽しみながら、自分なりに旅をしてみた。「利他」はどんな人でも受け入れてくれるような器が大きい概念だった。
「利他」はみんなでシェアできる。広くも深くも自由自在に探検することができる。自分の経験を基に考えることができる。その過程は全て大事で、行き着く先は誰も予想できない。すごく楽しい。「利他」についていろんな人と話を交わしてみたい。
伊藤亜紗さんが”思考の「種」”と表現しているが、きっと誰もが読んでいる間にふと大切なことに思い当たる。それが本質と呼ばれるものだと思う。本書の力を借りて、考えるのを楽しもう。
東 えりか 今年最も「癒された」一冊
うんざりするほどコロナ禍は長引き、先が見えない日々のなかで、実母(92歳)は大腿骨を骨折し、姑(89歳)は癌で大手術が成功したのに他の病気が見つかって呆気なく亡くなり、幼子を抱えた姪は中東の紛争地域で帰国困難者になり、私は読む本読む本が気が滅入る話ばかり…、という欝々していたときにこの本を発見。
小学校の高学年から大学くらいまで、少女漫画に惑溺していた。クラス内でまわってくるから「少女フレンド」も「マーガレット」も「りぼん」も「なかよし」も読んでいたし、日本史も世界史も人間関係も性の悩みもみんな少女漫画から学んだ。
ページをめくるごとに懐かしい漫画家の名前を叫び、ストーリーを思い返す。同時に学生時代の苦い思い出も甦り、いまならもっと上手に対処できたはず、と取り返しのつかぬことに悶々としたりして。
今では電子配信されている作品は多いけど、読めない作品はひときわ恋しい。萩尾望都『一度きりの大泉の話』(河出書房新社)が衝撃的であっただけに、何も知らずに幸せに漫画に浸りきっていた少女時代が懐かしく、仕事が行き詰ると知らずに手に取って眺めてため息をついている。
首藤 淳哉 今年最も「ご無沙汰だった」一冊
今年はとうとうスーツを着なかった。唯一着たのは喪服だけ。それ以外はすべて全身ユニクロで過ごした。スーツを着た時のあの背筋の伸びる感じとはとんとご無沙汰だ。
本書は、メンズファッションウォッチャーの著者が、身近な出版関係の男性たちの「残念な服」をなんとかしようと奮闘する爆笑エッセイである。有益なアドバイスも多く中高年男性は必読だ。なにしろ登場するモデルの変わりようが凄い。高野秀行氏(ノンフィクション作家)のスーツ姿なんてまるで別人。怪しい密売人(Before)とウォール街の金融マン(After)くらい違う。
自分もたまにはスーツできめて見違えるような別人になってみたいものだけど、もうそんな機会はないかもなぁ……とあきらめかけたある日、写真交換アプリで遊んでいた家族がなにやら騒いでいた。スリムな息子の顔と父親の顔を入れ替えたら誰かに似ているというのだ。やがて妻が興奮して叫んだ。「大森南朋じゃん!」
え?俺、大森南朋似なの?やせたら大森南朋なの?なんと!文字どおり別人に変身できるじゃないか。それも大森南朋だぜ!?
そんなわけで、来年は大森南朋になります。やせておしゃれを楽しみます。皆さんもよいお年を!
成毛 眞 今年最も「万能だった」一枚
https://www.ikeuchi.org/c/bed/gr27/140large-double-ket
HONZをやっているといろんな出版関係者と付き合いができる。その中の元Amazonな一人に、いまは名門タオルメーカーで活躍している人がいる。
1年ほど前からタオルのあれこれについてチャットしていたのだが、ボクはサイズ225X225で30番手双糸のタオルケットが欲しいんだよね、と話していた。そんなタオルケットは世の中に存在していなかったのだ。
なんと驚いたことに、半年ほど前のこと、225X225の40番手双糸のタオルケットを試作したので使ってみるかとのこと。いやあ嬉しい。それ以来毎日使っている。
もうね、めちゃくちゃいいよ。巨大なのでどんな使いかたでもできる。夏場はタオルにくるまれてぬくぬく寝ることも。肌寒いときには布団の上にたっぷりと重ねてポカポカなことも。本気で寒いときにはベッドをまるごとくるんで暖かいシーツ代わりとして使うこともできる。タオルはそもそもさらさらもこもこ。暖かくて涼しい。ほんとタオルという素材は知られざるとんでもない寝具だ。タオルそのものは軽いのだが、その大きさをうまく使うと重みも作り出せるのだ。
ついにそれが一般で発売されたという。次は225X225の30番手双糸が欲しい。
続いて、正確なタイトルで送ってきたメンバーによる一冊を紹介していきます。
堀内 勉 今年最も「寂しかった」一冊
誰もが知っていて、誰もが口にしてこなかったのが、「日本は貧乏だ」という不都合な真実である。もはや日本経済は成長しないし、給料は上がらない、デフレでモノもサービスも安いので、「安いから」という理由で海外から観光客が訪れる。
日本はとにかく何でも安い。多くの日本人は誤解しているかも知れないが、東京のマンションなどはグローバルに見れば激安である。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』から40年、我々は知らない間に世界の先進国中で最貧国になってしまった。
小さい頃よく迷子になった。なにかに夢中になっていると、あっという間に母親とはぐれてしまい、気がついたら一人取り残されていたということがよくある。そんな寂しさを社会全体で味わっているのが今の日本だろう。
内向きのコストカット競争ばかり繰り返していたら、知らぬ間にグローバル競争から取り残されてしまった。人件費もコストカットの対象で、給料は一向に増えず、子供にグローバル水準の教育を受けさせることもできないから、人材の国際競争力がなくなってしまった。
そんな中で、我々中高年にできることは、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」だ。政治家もそうだが、ビジネスパーソンも、少しでも若い人たちが活躍できるよう、恋々とポストにしがみつくことなく、一刻も早く後進に道を譲るべきなのだと思う。
鈴木 洋仁 今年最も「お得な」一冊
お得な一冊です。
読んだ本、読んでいない本、知らなかった本・・・いろんな本とともに、あなたの、わたしの人生を振りかえるお供に最適です。
日本で出版される本の数は、どれくらい増えたのか? 売り上げは、この四半世紀で、どんな変化があったのか? いつ、どんな本が出ていたのか? わかりやすいグラフ・年表とともに、25年間の出版業界をわかった気になれます。
まとめたのは、長田年伸、川名潤、水戸部功、という、日本の装丁を支える3人です。2010年の『これからの「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル著、鬼澤忍訳、早川書房)以降、「水戸部的なデザイン」が、ものすごく増えました。
個人的には、今年出してもらった『「三代目」スタディーズ』(青土社)の装丁を水戸部さんにお願いしたように、大の水戸部ファンなのですが、なぜ編集者たちは、これほどまでに「水戸部的なデザイン」を求めていたのでしょうか?
モノとしての本は、いつまでつづくのか? 出版業界の未来は? といった高尚な議論にもつながりますし、眺めているだけでも楽しい。
文化としてのブックデザインは、世界に誇れる、そう、思いなおさせてくれます。
田中 大輔 今年最も「ライフスタイルに取り入れようと思った」一冊
2021年はお酒とともにあった。そのせいか飲酒量と反比例するように読書量が減ってしまった。とにかく今年は積読が増えた1年だった。それゆえレビューもあまり書けていない。申し訳ない。これではいけない。そんなときにであったのが『飲まない生き方 ソバーキュリアス』だ。
ソバーキュリアスは、自分の意思で、あえてお酒を飲まないことを選択するライフスタイルのことだ。コロナの影響で、今年はフジロックをはじめ、様々な場面でアルコール提供が禁止された。そこで意外とお酒がなくても人生楽しめる!ということに気がついた人も多いのではないだろうか。
お酒をやめるとどうなるのか? お金が貯まる。使える時間が増える。睡眠の質があがる。メリットしかない。失うものはただ一つ二日酔いだけ。確かに! ソバーキュリアスは人生を豊かにしてくれる気はする。一番ハマっている趣味が日本酒なので、いまはお酒のない生活は考えられない。なので、間をとって来年からは、週1~2日はソバーキュリアスデーとして、飲まない日を設けて本を読もうと思う。休肝日じゃなくてソバーキュリアス。言葉の響きもなんだかいい感じ。
吉村 博光 今年最も「存在の有限性を感じた」一冊
昨年に続いて今年もコロナに苦しめられた年だった。コロナ禍によって数年前倒しで業界課題が表面化した、という話を各所で耳にしてきた。でも私がこの『山小屋クライシス』を読んで得たのは「これまでが特殊だった」という視点である。高度経済成長期の特殊な環境下でルールが作られた業界は、このままではもはや存在すら許されなくなるのではないか。
本書は、一般的な山小屋の諸問題を列挙し、日米英の国立公園の歴史的な経緯にも触れている。主たる舞台は北アルプスだ。登山ブームで首都圏や名阪から登山客が押し寄せ、お金を落とした地域である。その時代にルールが作られ、「登山道の整備」などの重い公益的な役割を担いながら、民営の山小屋は経営を続けてきた。今は登山客が減り人員や物流の確保に困難をきたしている。
ヘリによる山小屋への物資輸送が滞った問題は、ニュースにもなった。その経緯は本書にも詳しい。ドクターヘリなど社会的な要請が高いほうに人も期待も流れる。結果、わずかな機体の故障が致命傷になった。山小屋を守ろうとする人々の思いが、紙の本を守ろうとする人々の思いと重なった。当たり前だったものが存在し続けるかどうか、今はその瀬戸際だ。
新井 文月 今年最も「本物に触れた」一冊
芸術家として国際的に活動する李禹煥(リ・ウファン)によるエッセイだ。
著者は韓国で生まれ、活動拠点を日本へ移し、1970年代からは「もの派」の中心として活動してきた。世界中のビエンナーレに出展し、アンディ・ウォーホルやヨーゼフ・ボイスなどアート史に痕跡を残す作家達との交流を経て、ヴェルサイユ宮殿の彫刻プロジェクトも手がける現役アーティストである。
2020年に森美術館で開催された『STARS展』でも記憶に新しい。巨大なキャンバスにグラデーションがかった1本の線だけの作品。巨大な天然石がひび割れたガラスの上に乗りるインスタレーションなどが彼の作品である。実際にそれらの作品と対峙してみると、驚きと静寂、緊張と安心など相反する感情が込み上げてくる。
エッセイはデッサンなど美術に関する事例もあれば、旅先での感想や、コロナ禍の状況など身近なテーマだ。 ただ、その根本は二項対立構造を論じているように思える。名作というのは、この両義性のはざまで起こる何かの存在が魅力的なのかもしれない。著者の作品に魅入ってしまうのも、それを体現しているからだろう。偉大な作品の想像力の出処は、自己を越えてもっと深く大きい。著者は内なる情熱を言語化できる能力に長けているため、本物の芸術そのままを体感できる。
栗下 直也 今年最も「脚本家・三谷幸喜氏に感謝した」一冊
2012年に発刊された『頼朝の武士団』(洋泉社)は歴史好きの間では奇書で知られる。源頼朝の人心掌握の手練手管を鮮やかに描いているのだが、奇書扱いされるのは、文献の超訳にある。
「ガラガラ声のクセに。このハゲ」、「クソ親父! オレたちを騙して、ダチを殺させたな!」のようにチンピラ丸出しのセリフが並ぶ。好みは分かれるだろうが、御家人たちを暴力団員に例えることで、鎌倉幕府が義理と人情で成立していた一面を浮かび上がらせている。
私はたまに読み返していたのだが、過去の引っ越しの際に行方不明に。中古で買い求めたら新書なのに8000-9000円で推移しており、下がっても5000円程度。とても手が出ないと嘆いていたところ11月に復刊された。
版元の朝日新聞出版、よくやったという感じだが、この復刊は副題に「鎌倉殿」と加わっていることからもわかるように、来年の大河ドラマが『鎌倉殿の13人』である影響が色濃い。と、いうことは脚本担当の三谷幸喜氏、よくやったとなるのだろうとか思ったが、さかのぼればNHKよくやったなのか。
さすが、皆様のNHK。ありがとうございます。とりあえず、受信料は払っている。
鰐部 祥平 今年最も「国際情勢の厳しさを感じた」一冊
国際情勢は厳しさを増している。中国の戦狼外交は近年、周辺諸国に緊張をもたらし、ロシアは、この年末にウクライナ国境付近に軍を集結。年明けにも軍事作戦を行うのではとの憶測をよんでいる。ここ数年で顕著になりつつある、国際的な緊張関係をわかりやすく分析した著作が本書『戦場としての世界』だ。
著者H・R・マクマスターは米陸軍士官学校を卒業後34年間陸軍に勤務し中将で退官。2017年から2018年にかけて、国家安全保障担当大統領補佐官として国際情勢の変化に対応してきた経歴の持ち主だ。
著者はなぜ現在のような厳しい国際情勢が生まれたのかを、アメリカの「戦略的ナルシシズム」に起因すると分析。これに変わるものとして戦略的エンパシー(共感力)を提唱し、ライバルや競争相手の利益が何であるかを識別するだけではなく、彼らを駆り立て、制約している感情や野心、イデオロギーについて徹底的に検討していく。それは二千年前の孫子が唱えた「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という戦略思想の復権でもある。
このような戦略的アプローチにより著者は、ロシア、中国、イラン、中東などの国や地域が自由主義陣営に行っているテロ、SNSを駆使した選挙妨害と社会の分極化、電気や水道といったインフラ施設へのハッキング攻撃等の「ハイブリット戦争」の実態を暴いていくのである。またこの分析により私たちの社会がこのようなハイブリット攻撃にいかに惰弱であるかを示していくのだ。
中野 亜海 今年最も「作家やばいを感じた」一冊
本人の死後日記が出版されるーー。「田辺聖子 一八歳の日の記録」が出版されたが、私だったら日記が公表されたら死後だろうとなんだろうとつらい。と思いながら読み始めたけど、参りました! 日記が商業レベルってどういうことなのか。
田辺聖子は、自分の日記をよく自伝的小説の資料として使っていたそうだ。巻末の解説で、梯久美子さんが、小説と日記を比べてくれていたが、ほぼそのままの文章だった。登場人物の会話、語彙力、そして圧倒的に読みやすい語り口などなど、田辺聖子はすでに18歳のときに発揮されていたのだ。
なんでこんなにすごい文章なのか、という謎はすぐ解けた。田辺聖子自身が、日記を作家になるための訓練の場とみなして書いていたからだ。「勉強と日記は同じくらい大切だからちゃんもやらないと」という目標設定が何度も出てくる。そうか、日記って作家になるための訓練だったのか……!
田辺聖子は、「こんな女子高生いるのか」というくらい自分と他人の間の線をスパッと引いて、冷徹な眼差しで世の中を見ている。でも、ひとりよがりにならない暖かい知性もある。「学校の作文には重要性を認めていない」とか「従姉妹は親切でいい子だけど考え方に筋がないから多分生活が曲がるだろう」とか、こんなに「他人」という対象物を捉えて鮮やかに描き出せる能力はすごい。多感な時期に物が見えすぎるのは辛かったろうとも思うが、本人はなかなか楽しそうに人生を謳歌してるのもかっこいい。
驚いたのは、田辺聖子が本当は国文学者になりたかったことだ。彼女は後に日本の古典を題材に大量の本を書くが、それも10代の時に決めていたことと関連する。
この日記の10年後に彼女は作家としてデビューし、22年後に芥川賞を取って大ブレイクする。しかし何年後だろうと、ここには、将来の大作家、田辺聖子の全てが詰まっている。18歳からすでに大作家だった田辺聖子のさもありなん日記、天才を読みたい人におすすめです。
麻木 久仁子 今年最も「妙な元気が湧いた」一冊
で?オミクロン株はどうなるんですかね。来年コロナはどうなるんだろう。こんな状態が2年も続くとは思いもせず、少々へたばっている。コロナで打撃を受けた業界はたくさんあると思うが、芸能界も然りで、なにしろ「集まっちゃいかん」というのだから、人を集めてナンボの業界はたまったものではないのだ。そんなこんなでいろいろとゲンナリすることが多い昨今、よりによって愛犬にも旅立たれ、近頃我ながら元気がなかった。そんなときに元気をくれたのがこの本である。
内容は仲野徹先生もHONZでレビューしておられるので詳しくはそちらをご覧いただくとして。とにかく中世の人々の逞しさがすごい。日本の歴史の中に、こんな時代があったのである。往時はとにかく何もかもが自己責任、究極の自力救済社会だ。どんなトラブルも「公正公平な第三者機関による救済」というものが存在しない世の中なのだから、やられたら自力でやり返す。なんならやられる前にやる。お上が押し付けてくるルールより、俺様のルール、村の掟のほうが上。それで初めて生き延びられる、そんな社会なのだ。
そこで生きる人々のパワーは凄まじい。罵詈雑言ひとつ浴びせかけるにもボキャブラリー豊か。昨今のネットの暴言などまるで独創性がないなと思わせる。当時は山や川、海、耕作地などの自然から直接生きる糧を得ているので、そうした利権にまつわる村と村の戦いも壮絶だ。あまたの戦死者を出すような戦いを何十年も繰り返していたり。「男女間のもつれ」への対処法もすごい。仲間を募って大勢で襲撃とか。絶対許せないやつへの呪いの掛け方とか。まさにアナーキーでハードボイルドなのだ。
読んでいるうちに、なんだか妙な元気が湧いてきた。来年が良い年になるのかどうなのか知らないが。コロナはおさまっても、日本社会はまだまだ痛み続けるような嫌な予感もする中で。中世人の生き様を見て、「よっしゃ、もうなんでもどんとこい!」と、なんだか威勢が良くなってしまった。
カラ元気かもしれませんが。格差が広がり、経済的にもシュリンクし続け、フェアネスが軽んじられることにどんどんと慣らされていく今日この頃。生きていくには中世人メンタルが必要な時代になっちゃうのかもねと。そんなわけで「疲れてるな」って思っている人に特におすすめです。
"塩田 VS 内藤 今年の対決の行方は?
仲尾 夏樹 今年最も「横浜を歩きたくなった」一冊
地元・横浜へ戻ってきて半年になる。子どもの頃にはわからなかった、横浜の良さに気づいて日々楽しい。その良さの一つに、歴史を感じさせる数々の建築がある。
『横浜の名建築をめぐる旅』は、横浜生まれで西洋建築の専門家である菅野裕子と、小説家の恩田陸が、建築の楽しみ方を教えてくれる本だ。例えば、赤レンガ倉庫の解説はこう始まる。
「海岸通りから横浜税関の角を北東に曲がると、急に視界が開け、海に一歩近づいた雰囲気になる。赤レンガ倉庫は、その先の、町の突端のような場所に建っている」
まるでその場に立ち、建物の持つ空気感が伝わってくるようだ。写真も多く、眺めているだけでもおもしろい。
本書を片手に山手のえの木てい※1でお茶した後は、港のみえる丘公園や山下公園を歩き、馬車道の瀬里奈※2で食事をされるのはいかがだろうか。
※1 1927年に建築された洋館でスイーツや軽食が楽しめる
※2 横浜市認定歴史的建造物第1号にも選ばれた、損保ジャパン横浜馬車道ビルに入るステーキドーム
冬木 糸一 今年最も「多くの人に関係しているであろう」一冊
本当は別の本を挙げようと思っていたのだがこの企画の原稿締切の前日に刊行された『mRNAワクチンの衝撃』がめちゃくちゃおもしろかったのでこちらを挙げたい。政府によると12月14日時点で新型コロナウイルスワクチン接種回数は1億98000万回、2回の接種を完了した人は77%と数字が出ているが、本書ではそうしたワクチンの中でも、ビオンテック&ファイザー社によるmRNAワクチンがどのように開発、そして治験とその承認が進められたのかを、そのはじまりから克明に記録している。
mRNAワクチンはまだ新しい技術であり、これほどの速度で世界中で用いられるようになるには難所がいくつもある。だが、開発元のビオンテックはまだ中国で感染者が報じられた直後にすでにこのワクチンの開発に向かって動き出していた。その時彼らの頭の中にはどのような戦略とシミュレーションがあったのか──。mRNAワクチンの仕組みについてもきちんと記されているので、もうすでに接種した人も、これから接種する人にも読んでもらいたい一冊である。
峰尾 健一 今年最も「未来に向かう指針をくれた」一冊
未来予測が通用しない時代に役立つのは、常に前例のない脅威にさらされてきた人たちの話だ。
音楽産業は「炭鉱のカナリア」だと著者は言う。他の業界に先立って技術革新の荒波にもまれてきた歴史を持つからだ。放送の登場も、ネットの登場も、まずは音楽産業に大打撃を与えた。そこから時間差で、他のコンテンツ産業にも破壊の波が押し寄せるのだ。
レコードからサブスクまで。テクノロジーの進化が100年以上にわたって音楽業界に及ぼしてきた影響を、膨大な文献の裏づけによって描き出すのが本書だ。浮かび上がってくるのは、過去何度か起きた大不況には共通項があること。そして技術の進展こそが、産業を根本から変えてきたことである。
いつも真っ先に脅威に直面してきたからこそ、そこには「未来を連れてくる」人たちも現れた。「次の正解」を導きだした人々の奮闘の軌跡から、先の見えない世界での未来への向き合い方が見えてくる。
(広い意味で)コンテンツに関わる人には刺さる話が多いだろう。音楽産業だけの話ではないことは、読めばすぐにわかるはずだ。業界問わず「これまで」と「これから」の狭間でもがくすべての人に届いてほしい一冊。
西野 智紀 今年最も「重かった」一冊
今年は原稿を書く時間どころか本を読む暇さえほとんど取れない年だった。各方面に迷惑をかけてしまったので、来年は意地でも改善に向けて動こうと思う。
さて、なんとかレビューにしようとしていたものの機会を逸してしまった一冊が本書『刑務所の精神科医』である。少年院や刑務所の矯正施設で精神科医として20年以上働いてきた著者がその経験を綴ったエッセイだが、淡々とした筆致ながらなんとも重く、どこかもの悲しくて、読後も余韻が残り続けている。
受刑者や非行少年少女には精神を病んだ者が少なくない。統合失調症、鬱病、薬物乱用、ADHD、発達障害。患者の話を詳しく聞いていくと、虐待や孤立といった過酷な生育環境が浮かび上がる。本書の読みどころはこうした臨床エピソードの数々だ。
性虐待から逃れるように繁華街へ出入りし、少年院に送致されてきた双極性障害の少女。社会にも家族にも弁護士にも見放され、錯乱しながら拘置所を糞尿まみれにし続ける中年男性……。彼らがその後どうなったかは書かれない。受刑者たちの犯した罪が精神疾患だからとすべて免責されるわけではないが、それでも運命や不運、人生のありようについて思いを馳せずにはいられない。
久保 洋介 今年最も「最狭(さいきょう)な」一冊
人口減少し高齢化する今後の日本では、売上規模が大きい割に利益率の低い大企業1社よりも、ニッチマーケットで利益率高く長期に稼げる会社を1000社単位で増やしていくべきだろう。今後、見習うべきはアメリカや中国などの経済大国ではなく、フェラーリを筆頭にニッチビジネスで成功するイタリアかもしれない。
本書では、「小さなマーケットで競合のいない独占状態をつくる」という著名起業家ピーター・ティールが推奨するビジネスモデルを地でいく日本のモノづくり職人たちが紹介されている。スプーンを専門につくるスプーン作家、手術トレーニング機器をつくるロボット開発者、競技用自転車をハンドメイドでつくるフレームビルダーなど、ウルトラニッチな職人たちだ。小さいながらもニッチな市場を独占する日本のモノづくりの見本だ。
職人たちを紹介するのは、稀な人を発掘することを生業とする「稀人ハンター」の川内イオと、一橋ビジネススクール教授の楠木建。これまたニッチなライターと経営学者が、変わったビジネスに挑戦する10人のモノづくり職人の胸熱ものがたりを紡ぎだす。
年末年始、ウルトラニッチ物語で胸熱の体験をお楽しみあれ。
山本 尚毅 今年最も「熱に絆された」一冊
大学入学後、一年時の成績が悪く、わけもわからず専攻した、いや残りものだったのが、農業経済学。卒業してから、早15年以上が経過したが、いまだに学問の輪郭を掴みきれない。他人に説明するのはもっと厄介だ。本書はそんな個人的なもやもやを鮮やかに解消してくれた。というか、そもそも、もやもやした学問だったのだ。
“農業経済学とは、農学という理系の海のなかの孤島である。農学という理系の海のなかの孤島である。農業経済学という社会科学の枠内で、政治や経営学、歴史などを学ぶ。三圃制も、村社会も、農作物貿易も、トラクターも、バイオエタノールも、農業法人も、有機野菜もすべてこの分野の射程に入ってくる。幅広く、またとらえがたい学問である。”
この一文を見つけただけでも、読んだ甲斐があった。しかし、ページをめくる手は止まらない。文学作品を読んでいるかのような波瀾万丈な展開と著者の本質を追求する熱に絆されていく。タイトルは冷静極まりないのだが、文章からはどうしてもこれを書きたかったのだとという情熱が伝わってくる。
主たる内容はというと、複数人の農学の研究者(主に農業経済学)たちが陥った農学のパラドックスを明らかにしていくものだ。経済原理と結びつけば、培養肉にまで行き着くような農と食を極限まで効率化し省略する道筋であり、農本主義に代表されるような農の原理に絡みとられれば、国家権力と手を結び、戦争を肯定してしまう。
そして、「農学栄えて農業亡ぶ」という副題からもわかるように、学問の存在意義にまで農学を事例にして考えさせる。そして、著者が自分自身を抉るように内省を展開し、学問はどこからきて、これからどこにいくのだろうかと足元を揺るがすような問いを投げかけていく。一見、専門書に見えるのだが、その射程は広い。そして、著者熱量と責任感をぜひ浴びて欲しい。
足立 真穂 今年最も「時空がゆがんだ」一冊
自ら能を書き、好んだ豊臣秀吉。
その秀吉が、自ら関白となった祝賀の演能で舞った際に不覚にも居眠りをしたという九世。
そのご先祖の逸話を、淡々と紹介する末裔の二十六世。
え、九世を救ったのはあの家康公!?
能楽の流派の一つであり、最大流儀である観世流。観世宗家とは、その家元を継ぐ家系のことだ。あの世阿弥の末裔、というとわかりやすいかもしれない。つまり、「うちではこんな風にやってきまして」という自らの家系の各時代の主の経験を、能が生まれてからこれまでの大まかに700年の歴史と交差させつつ、身近に教えてくれるのが本書だ。変わるものと変わらないものを、特別な曲やしきたり、家宝から稽古時の様子までをも含め写真満載で伝えており、わかりやすい。造本や装幀が美しいのも、嬉しい。
変わらないようでいて、むしろ変わることでここまで生き残ってきたのが能楽だとわかるのも、読んでいて面白いところだ。歴史の一部として見逃せないエピソードも多い。
結果、現状の苦労など小さいものになるほど、読んでいるうちに時空がうまいことゆがんでくる。たまにはそんな一冊、どうだろう。
冒頭は、第一章「正月」から。正月は元日の「謡初(うたいぞめ)」から。
実際に謡うかどうかはさておき、来年は明るく始めたいものです。
どうぞみなさま、良いお年をお迎えください。
塩田 春香 今年最も「うっかり泣いてしまって自分でもびっくりした」一冊
書店でふと目に留まった本書。「小説? それとも実話??」
気になって買って帰り、なんとなく読み始めた。実話だった。1949年から20年にわたり交わされた、ニューヨークの女性脚本家とロンドンの古書店に勤める男性との往復書簡。「おてんば娘と慇懃な執事」のような調子で、本を介した二人の文通は続く。
当初はほしい古書の問い合わせとそれに対する事務的な返事だったのが、いつしか書店の他の人たちも巻き込んで、あたたかな信頼が築かれていく。インターネットなどなかった時代、お互いの顔も知らない者同士のやりとりには手紙が海を渡る間を待つ豊かな時が流れ、現代では決して手に入らないおおらかさがある。広く深い知識をもつ古書店員が、何年もかけて顧客のために本を探す姿にも心打たれる。
「ふーん」というくらいの感じで読んでいたつもりだったのに、あるページで不意に滂沱の涙がこみあげてきて、自分でもびっくりしてしまった。いつの間にか私も「二人を見守る書店の同僚」のような気持ちになってしまっていたようだ。
このつながりがこれほど深く長く続いたのは、きっと、二人をつなぐものが本だったから。私がこの二人を好きになってしまったのも、二人が心から本を愛しているから。この記事を書くために読み返して、また泣いている。
まったく。これだから本ってやつは、油断ならない。
内藤 順 今年最も「ウンチクに溢れた」一冊
例年通り塩田春香とのウンコ合戦になるかと思い、夏くらいから本書を温めながら待ち構えていたのだが、今年はどうやらボクの不戦勝のようである。とりあえずウンコだけに、順番は一番ケツにしておく。
本書は、フールと呼ばれる琉球のトイレについてまとめた一冊である。フールとは通称・豚便所のことで、豚小屋と便所が一体になった建造物のことを指す。
人糞を餌として豚に与え、豚はそれを食べて大きくなり、美味しい肉となって人びとの口に入る。人馬一体ならぬ、人豚一体という究極のゼロ・エミッション・システムが少なくとも14世紀には存在し、1960年代まで活躍していたのだ。
今ではすっかりなくなってしまったフールだが、近年では文化財的として保護される動きもあるという。この他にも本書ではアジア各国のフール事情から世界のトイレ事情まで幅広く紹介されており、まさにウンチクに溢れた一冊と言えるだろう。
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それでは皆さん、2022年もHONZをどうぞよろしくお願いいたします。