『映画を早送りで観る人たち』是か非かではなく、もはや不可逆
YouTubeやNetflixで映画やドラマを1.5倍速で視聴するユーザーが急増しているという。それもそのはず、今やYouTubeにもNetflixにも倍速視聴機能や10秒スキップ機能が標準搭載されている時代だ。
しかし倍速視聴という行為だけを見れば表面化している些細な現象に過ぎないが、プラットフォーマー、コンテンツの作り手、社会、そしてユーザーを取り巻く様々な意識の変化がつながりあい、水面下ではうねりのような大きな変化が進行していた。
本書はかつて「『映画を早送りで観る人たち』の出現が示す、恐ろしい未来」という記事を書いた著者が、その反響の大きさに驚き、あらためて倍速視聴という現象が現代社会の「何」を表していて、創作行為のどんな本質を浮き彫りにするのか、あらゆる角度から描き出した一冊である。
このような変化を促進した要因にはいくつかあるが、外的なものとしてはプラットフォーマーの定額制動画配信という形式があげられる。定額でありながら、映像は無制限であることによる供給過多。このアンバランスさが、お金と時間の価値を入れ替えてしまったわけである。
またコンテンツ制作者側による「過剰な分かりやすさ」への変化も、外的要因の一つと言えるだろう。とにかく最近のコンテンツには、セリフですべてを説明する作品が多い。
この背景にあるのが、SNSの普及である。以前とは異なり、低リテラシーユーザーの意見も可視化されるようになったことが、制作サイドへ大きなプレッシャーをかけているという。とにかく丁寧に作らなければならないという意識が、倍速視聴を加速させる要因になっているのは皮肉というよりほかはないだろう。
しかし一番大きいのは、ユーザー自身の意識の変化である。コンテンツ視聴の多くを占めるZ世代、彼らは個性的でなければならないという呪縛が強くオタクへの憧れがある一方で、圧倒的な時間の欠乏とも戦っている。時間的コスパが良い状態で何らかのエキスパートになりたいという切実なニーズの解決策として浮上したのが、倍速視聴という機能であったというわけだ。
このように「倍速視聴の増加」の裏側には、作品鑑賞からコンテンツ消費へ、観るものから知るものへという大きな変化があったのだ。それならば、これからの創作行為は、どのようになっていくべきなのだろうか?
大きなキーワードとなるのが、「分かる人は分かるなりに、分からない人は分からないなりに」というものだ。これを本書は、広大な仮想世界を自由に動き回る「オープンワールドゲーム」のようなものと説明している。
要は、単独の作品としては分かりやすく誰でも楽しめるものにしておきながら、精密に構築されたプロットラインや込み入った謎・設定などを裏側に忍び込ませておくというものだ。
この他にも本書では、快適さだけを求めるユーザーに蔓延するネタバレ消費や、評論を取り巻く現状など、コンテンツの受け手にとっても、送り手にとっても興味深い内容が、次から次へと繰り広げられていく。
もちろん、当たり前のように倍速視聴をしていた人にとっては、自分のコンテンツへの向き合い方を客観視するような面白さがあるだろう。さらに倍速視聴に反対する人の意見にも耳を傾けることで、時代がどこからどこへ向かっているのかという変化の幅が見えてくる。
人生100年時代、のみならず全てが1.5倍速のスピードで進んでいく世界へ。より長く、より速くーーこれは是か非かではなく、もはや不可逆な変化なのだ。