2022年 今年の一冊
HONZメンバーが選ぶ今年最高の一冊、今年で12回目を迎えるところとなりました。メンバーそれぞれが好きな本を、好きなタイミングで送ってくるので、毎回順番をどうしようかと頭を悩ませます…。今年は12回目を記念し(?)、基本に立ち返って名字を五十音順に並べてみました。
最大勢力となったのはア行とナ行。ア行が「うんこ→肉→防災アプリ→なめらかな社会→銀河文字」と美しき旋律を奏でれば、ナ行も負けじと「川口浩→介護食→フロイト→金玉→いい子症候群」と華麗にビート刻む。それぞれ一人ずつしかいなかったマ行・ワ行も、来年は仲間集めに勤しむことだろう。
そんなわけで今年も、メンバーそれぞれの「今年最も○○な一冊」を紹介していきます。
アーヤ藍 今年最も「旅にぴったりだった」一冊
今年はコロナ禍以来はじめて海外に飛んだ。久しぶりすぎてパスポートの期限が切れていることに直前まで気づかなかったほど、旅の感覚が鈍っていたし、不安もひとしおだった。実際、飛んでからの一人旅の孤独感もずしんと重かった。そんな時心の友になったのが本書だ。
一見パンダの本のように見えて、「自分以外すべて異文化」をコンセプトにしたエッセイ集だ。著者が海外を旅した時のことや、四川人の義理の両親との話など、「THE・異文化」はもちろんのこと、転校を重ねて感じた地域間の違いや、動植物とのコミュニケーション、未知の体験をしたときの発見など、バラエティに富んだ「異文化」の話が紡がれている。
軽やかながら五感を刺激してくるような著者の文章は以前から大ファンなのだが、本書でも各話の光景が目に浮かび、思わず吹き出して笑ったり、肝を冷やしたり、一緒に旅したような気持ちになった。
そんな本書を読んでいると、久しぶりの異国で感じる不安は吹き飛んでいった。生きることは異文化に出会うことの連続。それならば、目の前の異文化よ、どんとこーい!そんな気持ちになったのだ。
「自分と異なる」ものの壁にぶつかったら、ぜひ本書にパワーをもらってみてほしい。
麻木 久仁子 今年最もテンション上がった一冊
おかげさまで今年還暦を迎えました。強がってもいろいろと衰えも感じる、そんな日常で心を癒すのが「ひとりごはん」です。自分のために自分で作って、ひとりで食べるごはんです。家族のために料理をしていたときは結果が大事でした。つまり「効率良く、十分な質と量のものを、予定の時間に間に合うように作って出す」という、いわば結果重視の料理です。が、ひとりごはんは違います。「好きなときに好きなものを、好きなように料理する」いわばプロセス重視の料理です。出来上がりにはこだわりません。むしろうまくいかなかった時の方が、よし次はどうするかなと、それが次の楽しみになります。いま料理のレシピは「簡単・時短・カサ増し・作り置き」でないと見向きもされません。が、いろいろと肩の荷を下ろしてからの還暦ひとりごはん。時間ならあるし、60歳の胃袋にはそんなに入らないのでカサ増しとか作り置きも必要ない。むしろ手間暇をかけたい。プロセスを楽しみたい。
そんな時に手に取ったのがこのレシピ本『低温調理の「肉の教科書」』です。
例えば輸入牛の厚切り肩ロースは、牛がよく動かすところなので味は濃いのですがその分筋があり堅い。それをどうするか。
ミスタイプじゃないですよ。「24時間」です。まる一昼夜加熱、です。
豚肉なんかも厚切りかブロックか、ロースか肩ロースかバラ肉か、ある程度の歯応えが欲しいかフォークでほぐせるほど柔らかくしたいかなどなど、それぞれに加熱の温度や加熱時間などが詳細に示されています。
と言った具合です。
薬膳では骨つき肉をよく使うのですが、鶏の骨つきもも肉にはこんな記述が。
ああ。もうやりたくなるじゃありませんか。
ことほど左様に、なぜこうするか、その根拠は何かが事細かく書かれており、さながら科学の教科書のようです。実験の手引き、的な。
といって理屈ばかりではなく、「レシピ本」として、とにかく美味しい料理のレシピがぎっしり。バーボンウイスキー風味とか、チミチュリソースとか、ロメスコソースとか。なにそれ作りたい。付け合わせのレシピも豊富です。
というわけで、テンションが上がります。
「いっちょやってみるか!」という気分になります。
今年最も「テンション上がった」一冊です。
東 えりか 今年最も「若者に期待した」一冊
気が付いたらTwitterでフォローしていた「特務機関NERV」という情報サイトの開設から現在までの12年の軌跡を辿った一冊。最近では何か災害が起こると最初に見るサイトで、スマホのアプリも同時に開いている。
「新世紀エヴァンゲリオン」から名を取ったこのサイトは当時20歳の石森大貴という大学生が開設したことを本書で初めて知った。
東日本大震災のあと、Twitterをはじめとしたネット情報によって多くの人命が助かったのは間違いないが、同時ひどいデマも拡散してしまった。その中で信頼に足る情報に辿り着くのはとても難しかったのだ。
そんななか知った「特務機関NERV」は必要な情報を必要なだけ取る目的にとてもあっていた。ここが一個人の思いで作られ、その思いを共有する若者たちによって運営されていることに驚かされる。
どの章も魅力的だが、特に、このサイトで使われる地図などの作画が色覚異常を持つ者でも見やすく作られていることに興味を持った。石森本人が対象者であったためだというが、カラーバリアフリーの有効な活用が詳しく説明されている。
今後目標としているのは、全国のハザードマップのデジタル化だそうだ。毎年大災害が続く日本ではどうしても必要なことだ。さらなる飛躍を期待する。
足立 真穂 今年最も「熱い」一冊
今年もさまざまに本が出て、出版を生業にする私の場合は「出して」も加わって、「読んで読まれて」の一年でありました。個人的に楽しかったのは、3年ぶりの海外への旅、ラオスに出かけてのんびりできたことでしょうか。久しぶり過ぎて、パスポートを持つ手が震えましたが、コロナ禍を経て違う世界に足を運ぶと、また別の景色が見えました。
というわけで、別の景色を見せてくれる一冊として、スマートニュースのCEOの鈴木健さんの『なめらかな社会とその敵』(ちくま学芸文庫)を今年の一冊にあげておきます。実は2013年に刊行された単行本(同名タイトルで勁草書房から)は大いに話題になり、版を重ねていたもの。研究者としても知られる鈴木健さん、漏れ聞こえてくるところによると、文庫化にあたり、数十人体制での査読チームができ、加筆は2万数千字とか。丁寧に手をかけて刊行した後は、トークイベント多数、発売一カ月で重版、年明けにもイベントがあるとか。周りも含めてとにかく熱い!
それもそのはずで、文庫版のまえがきには「本書の内容は2000年ごろに構想され、13年間の研究生活の集積として10年前に出版された。もともと300年後の読者に向けて書かれたものであるから、100年の歴史に耐えられるものと自負している」とあります。9年や10年、もとい100年だって、関係ないのです。
次の時代の景色を見せてくれる一冊。年末年始に大いにふさわしい熱さです。数式も多少入っていますが、著者ご本人も「スルーでよい」とのことなので、ぜひトライ! 考えてみたことのなかった世界をのぞいてみてください。
新井 文月 今年最も「集大成となった」一冊
HONZと同時に芸術家の活動を展開して早10年、今年はついに初作品集が発売されました。各界の著名人より寄稿文をいただき、すでに第一版は完売。こうして形になることができ、感謝申し上げます。
以下紹介文より。
寄稿文:アンドレアス・クラフト(ベルリン芸術大学教授)
久保田 晃弘(多摩美術大学美術学部情報デザイン学科助教/同アートアーカイヴセンター所長)
吉森保(大阪大学栄誉教授。オートファジー研究者)
鎌田 浩毅 今年最も「科学って凄いと思った」一冊
古代ギリシャにアナクシマンドロス(紀元前610年頃~546年)という革命的な哲学者がいた。彼は地球が宇宙に浮かんでいることを世界で最初に考えついたのだが、この根底にある視座は最先端の自然科学まで繋がっている。本書ではそれがどのように現代物理学の豊穣をもたらしたが熱く語られる。
イタリア生まれの著者は「ループ量子重力理論」という物理学の教科書に載る大理論で有名な世界的な研究者だ。物理学はミクロの原子からマクロの宇宙まで記述する基礎科学だが、一般人には結構むずかしい。
そこで著者は既に『すごい物理学講義』(河出文庫)という優れた入門書も書いている。物理の歴史をたどりながら宇宙の起源まで解説した本だが、その前に出した『時間は存在しない』(NHK出版)もベストセラーだ。本当に専門を理解している学者が啓発書を書くとこんなに分かりやすい、という点で「科学の伝道師」を標榜する評者も大いに参考になった。
さて、本書はアウトリーチ(啓発・教育活動)に長けた著者が、ギリシャ時代から現代まで人類が積み上げてきた「科学的思考」の本質を、初学者にも分かりやすく見事に解説した。よって、題名は「科学とは何か」なのである。
驚くべきことにアナクシマンドロスが紀元前6世紀に考えた気象や大地や生物の本質は、後世のニュートン・ダーウィン・アインシュタインらが発見した科学的事実とさほど矛盾がない。
すなわち、実験器具なしに「素手で」思いついた描像が、ルネッサンス以降に科学革命を導いた天才科学者たちが知恵を絞って見いだした「モデル」そのものなのだ。これは古代ギリシャの知性がいかに優れていたかとともに、いったい人類は本当に進化してきたのだろうか?という根源的な問いを我々に突きつけてくる。
現代社会はすべて物理学を基本に動いていると言っても過言ではない。スマホもエアコンも新幹線も、現象を支配する法則は物理の式で表現される(拙著『一生モノの物理学』祥伝社)。ところがそれが読める人は極めて少なく、理解できないまま気にせず便利に使っている。
実は、これから巨大地震が起きてライフラインがすべて止まると、こうした快適な生活は直ちに瓦解する。日本人の約半数に当たる6000万人が被災する南海トラフ巨大地震は2035年±5年に襲ってくる(拙著『知っておきたい地球科学』岩波新書)。そうした危うい社会に暮らしている現実に気づくためにも、電気のなかった古代ギリシャ最大の「知性」に触れることは非常に意義深いと思う。
地震や噴火が頻発する「大地変動の時代」に警鐘を鳴らしてきた評者からも是非一読を勧めたい。理工書を敬遠してきたHONZ読者にも「科学ってけっこう凄いじゃん」と思っていただける好著である。
久保 洋介 今年最も「身震いした」一冊
2022年は「ロシア銀行のSWIFT排除」「ロシア中央銀行の資産凍結」「ロシア産エネルギー商品の輸入禁止」といった欧米による金融・経済制裁やロシアによる対抗措置に翻弄される一年だった。
経済やエネルギーは平時には人々を豊かにするが、戦時下では戦略物資となることをまざまざと感じさせられた。対ロ金融・経済政策を日々ニュースでみながら、ある本を思い出して手に取ってみた。
『日本経済を殲滅せよ』、アメリカの中堅・若手官僚による第二次世界大戦時の対日経済・金融政策の実態に追った一冊だ。12年前の2010年に翻訳版が発行された一冊だが、改めて読んでみて身震いがした。足もとでおこっていた欧米による対ロ経済・金融制裁と、1930年代後半に行われていた対日制裁が瓜二つだったのだ。
相手国の「破産の日」を予想したり、相手国のアキレス腱を研究する「脆弱性の研究」など、今も80年前と似た手法で欧米官僚は経済・金融制裁を練っているのだろう。
中国やイランや北朝鮮といったアメリカに目をつけられた国々は本書を読んでよく研究しているに違いない。激動する国際政治経済状況で改めて読む価値ある一冊だ。
栗下 直也 今年最も「タイトルだけで買った」一冊
少し前まで僕たちには共通前提があったはずだ。「悪そうな奴はだいたいトモダチで、嘘みたいな本当の話はだいたい嘘」と。
ただ、どうだろうか。コロナ禍になっても悪そうな奴はだいたいトモダチな一方、嘘みたいな本当の話が嘘ではなく本当ですとばかりにSNS上でデカい顔をしている。いわゆる「陰謀論」だ。本書はそうした類の話を一度総括した本らしい。「らしい」、と書いたのは実はこの本を読んでいない。
「おい、読まない本を取り上げるのかよ。嘘だろ」と突っ込まれそうだが、嘘ではない。これこそ、嘘みたいな本当の話だ。
考えてみれば、HONZの前身は読んでいない本をおもしろそうに紹介する謎の集まりだった。それも平日の早朝に。部外者から見たら完全に変態の集会だったが本人たちは面白かったのだ。というわけで、2023年は原点を思い出し、積ん読上等で本と酒にまみれたい。
塩田 春香 今年最も「裏切りと期待に満ちた」一冊
沈没船――莫大な財宝と共に、深い海の底に横たわる船体……、などとベタな想像をして私は本書を手に取った。が、見事に裏切られた。もちろんよい意味で。
水中遺跡といえば鎌倉時代の元寇船発見は記憶に新しいが、坂本龍馬が乗っていたいろは丸、榎本武明や土方歳三とゆかりの深い開陽丸、トルコを親日国にしたといわれるエルトゥールル号等々、本書には歴史上有名な船が続々と登場する。
著者の佐々木ランディ氏は、アジアの多くの水中遺跡を調査してきた水中考古学者。声なき水中遺跡から歴史を解き明かそうとする知的探求には、財宝などどうでもよくなるくらい、わくわくさせられた。
ところが、である。たまたま著者とお話する機会があり、「壇ノ浦に沈んだ三種の神器、出てきませんかねえ」と話を振ったら、「漁師の網で引き上げられて、錆びた刀だーと子供がチャンバラごっこしてパキーンと割れて捨てられた、みたいな感じかもしれませんねえ」。
ひええええええ~! 日本は島国でありながら、水中遺跡に対する関心が低く、保全が急務ということだ。海岸線のほぼ半分が埋め立てられている日本では、人知れず貴重な遺跡が消し去られている可能性も高い。残念すぎないか、日本?
ところで、本書は「今後見つかるのではないかと思われる遺跡」の筆頭に南極シャクルトン探検隊の船・エンデュアランス号を挙げている。そして今年、実際にそれは発見された。本書のタイトル通り、まさに「水中は最後のフロンティア」。遺跡の保全を切望しつつ、研究の進展に期待をさせる好著であった。
首藤 淳哉 今年最も「八王子が凄いと思った」一冊
今年ほどユーミンの曲を聴き返した年はなかったかもしれない。デビュー50周年をラジオ業界あげて盛り上げたためだ。本書は日本のポップスシーンを変えた才能がいかにして生まれたかを描いた一冊。「小説ユーミン」とあるが、本書に寄せたコメントでユーミンは、「ルポルタージュに近い」と言っている。彼女がまだ何者でもなかった時代をあざやかに再現した作品だ。
ユーミンの運命を決定づけたのは、八王子の呉服店に生まれたことだったと思う。「桑都」と呼ばれるほど養蚕や機織りが盛んで、生糸の集散地として大いに栄えた八王子は、立川基地にも近く、店では洋裁部がアメリカ人将校夫人のオーダーも請けおい繁盛した。
裕福な生家でユーミンは何不自由なく育った。ピアノ、清元、絵画、映画、歌舞伎といった豊かな文化資本が、のちの「荒井由実」を形成した。時代や場所が違えば、荒井由実は音楽史に登場しなかったかもしれない。
「ひこうき雲」の秘密を本書で初めて知った。名曲の誕生には小学生時代のある体験が関わっていた。考えてみれば、この曲もまた八王子でなければ生まれなかったかもしれない。天才を育て名曲を生み出した街。八王子はつくづく凄いところである。
田中 大輔 今年最も「飲みたくなった」一冊
HONZに入ったときにはまったくお酒が飲めなかった私ですが、近頃はセラーが家にあるくらい、お酒に狂ってます。お酒を飲むようになり、本を読む時間は激減。昨年のこのコーナー以降、一度もレビューを書かずに1年が経過してしまいました。読書量は減りましたが、日本酒やワインに関する本は読んでいます。そんな中で読み終わってすぐに飲みたい! と思った本が『日本ワイナリーの深淵』でした。
ここ数年、日本ワインのブームが続いています。10年で日本のワイナリー数は約190軒(2010年)から410軒(2021年)と倍増しているそうです。それゆえ玉石混交な状態なのですが、数あるワイナリーの中から信頼に足る12のワイナリーを本書では紹介しています。ドメーヌ・タカヒコや、ドメーヌ・オヤマダといった、日本ワインを牽引しているワイナリーの生産者が、底知れない奥深さを秘めるワインづくりを熱く語っている1冊です。
「ワインづくりは、農業としての芸術表現だ」というドメーヌ・オヤマダの小山田幸紀さんをはじめ、各ワイナリーの人となり、ワインづくりへの情熱が見えてきて、本書を読んだことで日本ワイン熱がよりいっそう高まりました。日本ワイン“中興の祖”ブルース・ガットラヴさんは言います「日本にワイン文化ができたというのは、まだ早すぎると思います。いまはその基礎をつくっている段階ですね。(中略)そんな入り口の段階だからこそおもしろいし、刺激的だともいえます」そんな刺激的で楽しい日本ワインの世界に、あなたも足を踏み入れてみてはいかが? ただ日本ワインは沼です。要注意!
刀根 明日香 今年最も「ブラボーなタイトルを持つ」一冊
伝えたいことがあるから書く。純粋な動機に心を打たれた一冊だ。
本書は、朝日新聞記者である著者と、その妻の約20年間を綴ったものだ。妻は29歳、結婚4年目の年に摂食障害と診断される。そこから、アルコール依存や水中毒などあらゆる症状に見舞われ、入退院を繰り返す。著者は、仕事を続けながらも、妻と共に過ごすことを選ぶが、経済的困窮や罵倒や暴力に耐える日々を過ごし、精神的にも参ってしまう。
私の印象に残っているのは、読み終わった時に泣いてしまったこと。それは、日々の”厚み”を感じたからだ。結果どうなったとか、著者がどれほど辛かったとか、そういうのじゃなくて、毎日を一生懸命過ごしてきた著者と奥さんを思うと涙が出た。一緒に彼らの人生を振り返った感じだった。
寄り添ったわけじゃないけれど、赤の他人だけれど、この日々を記録として残さずにはいられない著者の気持ちが分かった。死と隣り合わせ。決して慣れることのない毎日。
最後まで、二人でいてくれたことに、心から敬意を表したい。
そして、こんな前向きでかっこいいタイトルを付けてくれて、最高にありがとう!
内藤 順 今年最も「半信半疑な」一冊
冒険もの、探検ものというジャンルの中で、今年最も光っていた一冊だと思う。そもそもジャンルの存在自体、近年苦しい状況になっている。もはや誰も行ったことのない未知の場所など残っていないに等しいし、ましてや最近のコロナ禍で、旅行すらままならない。
そんな中、この手があったかと思わせてくれたのが、本書『ヤラセと情熱 水曜スペシャル「川口浩探検隊」の真実』である。ある世代以上の人なら誰もが知っている『川口浩探検隊』とその裏側の怪しさ。当時の舞台裏の真実を探検さながらに追いかけ、テレビとは何か、ドキュメントとは何かまでを描き出した快作である。
とはいっても、著者は「やらせ」を断罪するだけといった無粋なスタンスは取らない。どこまでもこの現象をプロレス的に面白がり、登場する人物も、替え歌で番組に正面からツッコんだ嘉門達夫、番組に影響を受けて探検家になった高野秀行から、当時の放送作家やプロデューサーまで、多士済々だ。
さらに出てくる話題も、アフタヌーンショーやらせ事件、徳川埋蔵金、ロス疑惑から旧石器発掘捏造事件まで、いかがわしさ満載のネタばかりなのである。そして著者は、このいかがわしさに対処する最良の方法が半信半疑というスタンスであると説く。
信じるだけでは妄信となり、不信だけでは味気ない。コンプライアンス全盛の世の中において、多くの人が忘れかけているものをまざまざと思い出させてくれる一冊だ。
仲尾 夏樹 今年最も「お世話になった」一冊
料理研究家・介護食アドバイザーのクリコさんが、口腔底がんになった旦那さんのために”おいしい”介護食を作ろうと奮闘するノンフィクション。クリコさんが介護食を作り始めた2012年当時、市販品はおいしくなく、レシピ本もイマイチだったため、自分で一から作り始めたそうです。おいしいものを食べるということは人に生きる希望を与えます。クリコさんの旦那さんに対する愛を綴った本書は涙なしに読めません。
2017年発売の本書を今年の一冊にしたのは、この夏、本当にお世話になったからです。家人が新型コロナウイルスに感染し、数日間喉の痛みで食事もままならない時、こちらのレシピを参考に料理をしていました。鮭のクリームシチューや蟹のポテトクリームグラタンなどは、病人も健康な人もおいしく食べられる、すばらしいレシピです。
本の表紙にある「食べることは生きること」という一文は、食べることが大好きな私にとって本書を手に取るきっかけとなりました。20代半ばの当時、親の介護もまだ先のことだし、自分が介護食を作るイメージがまったく湧かなかったのです。それがこんなにも早く役立つ日が来るとは思いませんでしたが、今年最もお世話になった一冊となりました。
中野 亜海 今年最も「フロイトを身近に感じた」一冊
本書は、フロイト研究の第一人者が、あの世からフロイトを呼び出して一緒にコーヒーを飲みながらインタビューするというものである。フロイトは、みなさんご存じの通り「精神分析の創始者」だ。「え、カウンセリングってその前ってホントになかったんだ、フロイトってすごいものつくったな」と私は大学の心理学の講義で思ったことがあるが、「心の病を治す」道筋を最初に作った人ってどんな人なんだろうか、という疑問に答えてくれる本だと言える。
この時代、医者は一切患者の話を聞かず、心の病なんてお医者さんの領分ではなかった。そんな患者は気味の悪いものとして追い払われていたが、フロイトは歴史上はじめて「患者の話を聞いた」医師だったことに焦点があたる。また、フロイトは白衣もやめ、普通の服を着て診察をはじめたが、それも患者が話やすくするためであったという。「現代では、元警官や、元タクシー運転手の非常にすぐれた臨床家がいます」という言葉に「歴史的快挙だ、それこそがいつも私が望んでいたことだ」と話すフロイトに、現代のケアと当事者の話にもつながる流れを感じた。ユダヤ人のフロイトが、世界大戦前の大混乱のウィーンで、必死に身を立てようとしている話を生い立ちから聞くことも時代が感じられてとても面白い。
仲野 徹 今年最も「キンタマが縮み上がった」一冊
『世界金玉考』、なんとすがすがしいタイトルの本なんだ。キンタマについてさまざまなことを紹介し、考察が加えられていく。まずは、医学的にキンタマとはどういうものであるか。で、つぎは「キンタマ言語学」で、世界各国で睾丸がどういう俗語で呼ばれているかを調査する。インド料理店でいきなり店員にキンタマの図示して尋ねては変態と間違われたりする。って、あたりまえやろ。
他に明治維新とキンタマの関係やら、キンタマを食す話などなど、じつにさまざまな話が紹介されている。そんな中、恐ろしすぎるエピソードは「江戸時代にあった『陰嚢蹴りの刑』」である。
スポーツなどでキンタマを強打するといかに痛いかが解説された後、この話へと進む。囚人たちから忌み嫌われていた岡っ引きが牢屋に放り込まれた時などにおこなわれたという。十日間も板でキンタマをうち続け、その末に殺してしまう。もちろん公的な刑罰ではなく、牢名主が命じたリンチである。
そんな恐ろしい本、いやや、と言うなかれ。文豪たちがいかに美しく睾丸や陰嚢を描写してきたかを知ると、キンタマの皺が伸びる心地がしてくるはず。キンタマリテラシーが飛躍的に向上する一冊、役にたつかといわれたらノーやけど、おもろい!
西野 智紀 今年最も「恐怖した」一冊
本年で三十路になってしまった。いつまでも若いつもり……でいたくはないが、実年齢よりも低い精神年齢とのギャップを感じて、日々反省しきりである。責任ある大人への道は長い。
戯れ言はさておき、そんな幼稚な若者を震え上がらせる一冊が今年発売していた。それが『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』である。ほめられたくない。自分の提案が採用されてほしくない。浮いたらどうしようと常に考える。こういった若者たちを「いい子症候群」と呼称し、豊富なデータを元に分析・解説した本である。軽妙な語り口だが、その指摘は背筋が寒くなるほど鋭く、的を射ている。
たとえば。前述の「周囲から浮きたくない」気持ちは、異様に低い自己肯定感に端を発すると著者は言う。自分に自信がない。自信がないから発言をしない。発言して出る杭だと嗤われるのを激しく恐怖する。よって、早ければ小学生頃から周りと強く同調する「いい子」の演技力を身に着ける。そうして、挙手しない・指示待ち・質問されて固まるだけの若者が醸成されるわけだ。
ゆとり世代、Z世代といった呼び名を使った若者論は数多あるが、正直な感想、本書を読めば十分である。社会に出る前にこういう本を読みたかった。
冬木 糸一 今年最も「自分の生活に影響を与えた」一冊
本を読むと人間は多かれ少なかれ影響を受けるものだ。生活上すぐに役立って実践に移せる知識がたっぷり乗った本もあれば、宇宙論の本のように生活にはほとんど何の影響も出ないような、ただし世界の見方を一変させることで間接的な影響を与える本もある。
今回はそうした数ある選択肢の仲でも、今年僕の生活・行動に最も大きな影響を与えた一冊として、ダニエル・E・リーバーマンの『運動の神話(上・下)』を取り上げたい。毎日毎日健康のため、体重の増加を食い止めるために運動をしていたが、人間にとって運動とは何なのかを歴史から振り返って、現代人が運動をする意味、そしてどの程度実際に運動すればいいのかについて具体的な情報を与えてくれた。
この本を読んでから律儀にここに書かれている「一日に必要な運動量」を守っている。たいへんいい本なので、年末読書のお供として、おすすめしたい。
古幡 瑞穂 今年最も「現実とフィクションの狭間が揺らいだ」一冊
最近、現実とフィクションの境界がわからなくなるような出来事が増えています。一方で、今年は現実に着想を経た小説が豊作な年でした。中でも印象深かったのがこちら。
渡良瀬川の河川敷で若い女性が殺される事件が起こり、その手口から十年前の未解決連続殺人事件との関連性が疑われます。十年前の殺人事件を解決出来なかった刑事、被害者家族、そして当時疑われた人たちはそれぞれの思いを胸に行動を開始し…というお話。
関係者への緻密な取材をしたかのような彼らの視点や独白、警察と被害者との対立。そして、圧倒的なリアリティがあるからこそ「わからないこと」が残ってしまうラスト。分厚さを忘れ一気読みでした。
北関東舞台の連続殺人事件ということではノンフィクション名著『殺人犯はそこにいる』を思い浮かびます。ノンフィクションが顕在化された事件を追うものだとしたら、この小説はまるで”創作された事件を追うノンフィクション”です。だからこそ、読み終わってしばらく経った今になっても、奥田さんの創り上げた登場人物たちの生活がどこかで続いているような気持ちが続いています。ノンフィクション好きにも、いや、ノンフィクション好きにこそオススメしたい1冊です。
堀内 勉 今年最も「目から鱗が落ちた」一冊
本書は、科学哲学というより科学史の入門書である。人類の歴史の中で科学がどのように発展してきたのかが、哲学との関係で整理されているのでとても分かりやすい。一頁めくる毎に目から鱗がポロポロと落ちていった。
世界を説明する物語として生まれた神話や宗教、それをできるだけ論理的に説明しようと模索した自然哲学、その後の中世キリスト教時代の神の支配による停滞を経て、17世紀の科学革命によって独り立ちした「科学」の誕生とそれに呼応する資本主義というメカニズムの駆動以降、人間の問題は我々の関心の埒外に置かれてしまった。
宗教が説得力を失い、哲学が懐疑主義に落ち入り、科学万能の時代が訪れると、科学で説明できない問題は存在しないかのように扱われるようになり、人間性という不確かなものはその対象から外れてしまったからである。しかしながら、ここにもう一度人間に焦点を当てなければ、人類に未来はないと思っている。
原発問題など科学技術に伴うリスクという意味だけでなく、科学が人間を置き去りにしてしまったことに対する強い危機感である。本書はそうした視点に重要な示唆を与えてくれる良書である。
峰尾 健一 今年最も「ページをめくるたびに発見があった」一冊
音楽の演奏やスポーツなどの身体運動における「学習」のあり方を斬新な角度から掘り下げる本書は、広い意味での「技能獲得」のプロセスに興味がある人ならばぜひ読んでいただきたい一冊だ。
ピッチングフォームに本人が自覚していない「ブレ」があるにもかかわらず、桑田真澄が高い制球力を保てるメカニズム。「理想のフォーム」を追い求めて同じ動きを再現しようとすることで、かえって上達を妨げられてしまう理由。むしろ一見遠回りな探索をくり返すことで「土地勘」を養う方が、実は安定した結果につながるとの指摘も興味深い。
あえて先にテクノロジーの力で「できた」状態の世界に体を連れ出し、後から「こういうことか」と意識を追いつかせる学習アプローチには驚かされた。画像処理AIを駆使して体の一部を撮影するだけで全身の動きを計測、「お手本」とのズレをリアルタイムにVRで投影するという新しいコーチングの形まで提示されている。
体の奥底、無意識下に秘められていたポテンシャルが、テクノロジーの介入によって引き出されていく。そんな意外性に満ちた研究の数々を、読みものとしての面白さまで吹き込みつつまとめ上げられるのは伊藤亜紗さんしかいない。
超人的なパフォーマンスを見せる人の内側は一体どうなっているのか、その正体を知りたい人も必読。できなかったことが急にできるようになる瞬間、思考の枠の外側で起こる「飛躍」に関心がある人にはとりわけ刺激的な読書体験になるだろう。
山本 尚毅 今年最も「世界が変わりそうな小さな希望持てた」一冊
3Dプリンターで家が建てられる、そんなニュースが時折見られるようになったが、どれもいまいちな外観であったり、構造が脆そうで、魅力を感じなかった。まだまだ、そんな未来が身近になるのは遠い先かと思っていた矢先、メタ・アーキテクトを読んで、もう手に入れられるのかも、と考えが変わった。
著者は建築と社会を再接続させる、ひとりのつくり手でいること、自分がつくりたいものを作る、そのための環境をつくる…など多面的に建築を考えた結果、大学院で建築ではなく、デジタルファブリケーションを専攻し、その後起業した。社会・産業・経済・流通のすべてが自立分散化し、土着化するなか、建築家はどのように変わっていくのか、という壮大な問いを立てている。これを解いていく。その途中経過が本書である。左右見開きで左は行動、右は言葉、二つはズレながら、徐々に融合していく構成である。読み手にビジュアルの具体のイメージとズレの違和感の双方をもたらし、内容は小難しいのだけれど、読書体験としても飽きさせない。
メタ・アーキテクトのメタには、高次な次元から見つめ直し、代謝を繰り返すことで新しい建築家像を作ろうとする狙いが込められている。「建築家が再び部品をつくる時代」や「建てて終わりの終わり」など、小見出しをパッと見るだけでもワクワクさせられるし、面白い未来が待っていそうだと希望を持ちたくなる。
吉村 博光 今年最も「千葉愛を深めた」一冊
小学生の頃の趣味は「使用済み切符のコレクション」だった。私の父は出張が多い人で、お土産に切符を持ち帰り土産話をしてくれた。鋏や日付が入った切符を見ながら、まだ見ぬ土地のことを想像するのが楽しかった。
翻って私はずっと取次会社の本社勤務。出張の機会は少なかった。しかしようやくチャンスが巡ってきた。新規出版社の営業部長になり全国各地に出張に行くことになったのだ。諦めなければ夢は叶う。次は世界に行きたい。
いやいや自費で行けよ、というツッコミは甘んじて受ける。あなたは正しい。結局今年、訪問した書店数は全国で200軒。47都道府県にほぼ足を運んだ。その中で特に愛を深めたのが千葉県だった。
東京都に住んではいるがゴルフも競馬も足を運ぶのは千葉県。この馴染みある土地の書店に数多く訪問し、この本に出会った。旅行ガイドの出版社から出ているが一般的な観光ガイドではない。
理科、歴史、地理、国語など、分野別におさえておきたい教養がシッカリとまとめられていて読み応え十分だ。本書を読んでおけば、仮にゴルフで大たたきしても「ここがチバニアンか」と大空を見上げれば自分の小ささに気づくというものである。
鰐部 祥平 今年最も「啓発された」一冊
3年目のコロナ禍もまもなく終わろうとしている。この3年の間に経済的な打撃をこうむった人も多いだろう。某自動車メーカーのサプライヤーで働いている私もそんな一人だ。コロナ以前から続いていた半導体不足がコロナ禍の影響でさらに悪化。減産とライン停止が相次ぎ、ここ1年ほどは月に2、3週間ほどしか出勤していない状態が続いている。当然だが収入が大きく減ってしまった。加えてロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー資源の高騰、世界的インフレによる物価高、円安と何重にも経済的打撃が相次いでいる。育ち盛りの子供のいる身としてはこのままではまずい。そんな焦りばかりが募る。
そんなタイミングで手にしたのが本書だ。シリコンバレーのスタートアップでアイコン的存在のナヴァル・ラヴィカントがTwitterに投稿した含蓄のある言葉を作家でもあるエリック・ジョーゲンソンがまとめ上げ一冊の本にしたものだ。当然、体系的に書かれたものではないので散文的な内容になっているのだが、ひとつひとつのメッセージには驚くほどの思想性が含まれ機知に富んだものになっている。ではそのいくつかを紹介しよう。
このような経済的自由を手にするための珠玉の言葉がこれでもかと続く。最後には「とうとう富を手に入れたとき、君が求めていたものが富ではなかったことに気づくだろう」とも結ばれている。当然ながら富を手にしていないどころか、コロナ禍の影響で減収してしまった私のような人間にはナヴァルがたどり着いた境地がどのようなものなのか知るすべはない。しかし、ナヴァルが説く言葉を愚直に実践し、自分の特殊知識を見極めて磨きをかけ、微調整を繰り返し、うまくレバレッチをかけることができれば、彼の目にした世界も見えてくるかもしれない。そんな希望を抱かせてくれる書籍である。
*
それでは皆さん、2023年もHONZをどうぞよろしくお願いいたします。