島田教授による創価学会教学要綱解説を読んだ感想など
宗教学者の島田さんが『創価学会教学要綱』という創価学会の教学まとめについての解説というか、たぶん創価学会の会員さん向けに指摘した内容だと思うのですが、それを読んで感じたことを数点ほど。
ボクは創価学会の教義教学は知らないし、興味もないのだけど、教祖、開祖、それに類いする人物が故人となり、続く偉大な後継指導者がいない場合の教団の行く末というのは関心ごとのひとつです。
この島田さんの解説、観点を、創価学会の会員信徒さんが「その通り、正解である」と認識しているかをボクは知らない。
もしNoと言えないならば、それは、教団に属して信心、勤行、修行を重ねても、創価学会のやり方では因縁解脱(創価学会での用語は知らない)できないと宣言しているのと同様になってしまう。
それはどういうことかというと、島田さんの「三先生に匹敵する人物が現れることを予め封じてしまっている」という指摘が正しいならば、創価学会の方法で、どんなに信心、勤行、修行を頑張っても、その成果として三先生に匹敵する人物に自分がなることはできないことを意味する。
だとすると今後は、次代を担う新しい宗教指導者が教団内部から現れることは無くなってしまう。
本当だろうか?
創価学会にも頭が良い人はたくさんいるはずだから、信心、勤行、修行の成果は得られないと宣言するに等しい、自らの首を絞めるような内容を教団の教義教学の要綱として制定するのだろうか?
要綱を読んでもいないし、読むつもりも無い自分は、本当かなぁ?
と思うだけで、これについて考えることは終わります。
「宗教団体が政治活動をする意義はいっさい語られていない」
というのは、
要綱に書くと外部から色々言われるから書かないだけなのか?
当初から創価学会が希求していた理想は実現したから、政治活動はもう不要なので要綱から削除したのか?
池田さんが「やる」と言ったから反対できなかっただけで、実は皆、政治活動はしたくなくて、これを機にやっとやめることができるなのか?
会員信徒の少子高齢化により物理的に政治活動まで手が回らないという事情があるのか?
実際には実にリアルで生々しい現実問題が理由かもしれなくて、マスコミ受けしそうな「言論出版妨害事件」みたいな事柄を考えている内部の人は、どれだけいるんかな?と思う。
思う、思うばかりで、ごめんなさいという内容ですが・・・
ちなみに宗教団体が政治活動することの是非については、気が向いたら他のnoteで書くかもしれません。今回は言及しません。
最後に
「かつて折伏に邁進した古くからの会員」の気持ちなんて、どーでもよくて、そんな彼らの強引な活動による悪評を背負って尻拭いをさせられている創価学会の現役世代の気持ちも考えてあげないといかんのでは?と思う。
上世代の気持ちなんてどーでもいいと思うのは、ボクが団塊バブル世代が生き残るために犠牲になった第二次ベビーブーム世代兼就職氷河期世代だからでもあるけれど・・・
ちなみに、自分が属する阿含宗も会員信徒の少子高齢化は深刻だが、最大のボリュームゾーンである団塊バブル世代の人たちは、あまり気にしていないみたいで、自分たちの修行に邁進している。
団塊バブル世代の人たちは、とにかく物理的な物品、ハコモノが大好き。
すでに既存の教団施設ですら人が不足しているのに、さらに新しい教団施設が欲しくて頑張ってる。その後の運用とか施設の維持メンテナンスをどうするつもりなのかは知らないけど、とにかく、すごく頑張ってる。
将来、余剰施設の後片付けをするのは現在の若者世代の役割なのだが、そのときに施設を片付ける体力が、その時の教団にあるだろうか?
なんてことをボクは思っているので、阿含宗より遥かに規模の大きいハコモノをたくさん作ってしまった創価学会の今後の動向は、人ごとではなくて興味関心がある問題でもあります。