縁起と四諦:リスクマネジメント視点で仏教を説明する①
このnoteの対象読者は、何らかのプロジェクトマネジメント、システムの設計開発、リスクマネジメントや防災に関する業務に従事していて、因果関係と相関関係の違いを理解しているビジネスパーソンやエンジニアです。
そして、このnoteの目的は、これらの人たちに向けて、厳しい人生の状況は仏教で変えることができるということを、可能な限り現代のビジネス用語で説明することです。
このnoteはシリーズ物の第1回目で、
・阿含経典からの基本的な仏教観点での考え方
というテーマです。
阿含経典に伝わるお釈迦様の教えの根幹部分をビジネス用語を用いて説明します、という内容です。
ちなみに阿含経って何?という人は、こちらに目を通してざっくり状況把握していただけると幸いです。
縁起と四諦
お釈迦様自身が説いたコアな教えに
・縁起論
・四諦
という二種類の教えがあります。
縁起論というのは、この世の法則の説明ですが、ビジネス用語で例えるならば企業理念、プロジェクト憲章に該当する根本指針、根本理念です。
そして四諦は、縁起論に基づいた、問題解決(一切皆苦)は可能であるという説明です。
ビジネス用語で説明すると、お釈迦様から我々に対して企業理念の実践により人生の問題は解決できますよという「プレゼン」に該当します。
定番の縁起論の説明は
というものです。
抽象化されすぎていますので、これだけでは意味不明ですので、具体例を当てはめて考える必要があります。
四諦は苦集滅道という流れの説明で
問題解決ができます!という「プレゼン」そのものです。
これらを現実に落とし込んで考えてみましょう。
縁起と四諦をわかりやすく言えば、こんな感じです。
ちなみに仏教学者を含むその辺で仏教を語る自称仏教者の多くは、
・縁起と四諦すら知らない(たぶん大乗仏教しか知らない)
・縁起と四諦が一体であるということを理解できていない
・理論を現実世界に落とし込んで考えることができていない
という特徴が目立ちます。
もし将来、縁起とか四諦という単語が書かれた文章を読む機会があれば、このnoteの内容を思い出してほしいです。
仏教の実践は人生の防災・リスクマネジメント
仏教の実践は人生の防災、人生のリスクマネジメントの要素があります。
むしろ、こちらこそが主題です。
縁起という根本理念は、このように説明されています。
ということは「Aが有るからBが発生するのであれば、Bが発生する前にAの対処をしておきなさい」という意味にもなります。
このポイントを理解できていない人が、あまりにも多い。
これを上記の炎上プロジェクトの事例に落とし込んで例えてみると、
となります。
そもそも問題が発生しないように、先んじて手を打っておくというビジネス上の予防策、防災、リスクマネジメントは常識です。
ところが実際の現場では
・Xさんがトラブルメーカーであるとは知らなかった
・Xさんの配属を決めたのは他者であって自分の制御外である
・チームにはXさんの方が先にいた
というように、自分の意志とは関係なく、すでに炎上要因を潜在的に持っているプロジェクトにアサインされることも多々あるわけですから、事前の予防やリスクマネジメントも無いだろう!という意見もその通りです。
そこで、もう少し奥に「なぜ?」の思考を進めます。
これを縁起と四諦で説明すると、
【縁起論】
・Aが有るからBが発生する
↓
・Aに該当する何かがあるから、炎上必至のプロジェクトに自分がアサインされて苦しむ
【四諦】
・苦:炎上必至のプロジェクトにいる自分の未来は苦難に満ちている
・集:それはAに該当する何かがあるはずだ
・滅:だからAを消滅させたい
・道:そのための具体的な何かはどこにある?
ここでのAは「自分の意志とは関係なくトラブルに巻き込まれる体質」と言っても良いでしょう。
あの案件はヤバい!と、わかっているのだけど、自分の意志とは関係なく自分が巻き込まれてしまうという事象。
これは自分の意志ではないのだから「気をつけます」とか「頑張ります」で回避・解決できない。
この自分の意志とは関係なく発生してしまう人生レベルの問題は、果たして未然に防ぐことができるのか?
「できます」というのが四諦というプレゼンの主張です。
ここまでは仏教の理論の世界です。
ここから先、問題回避が可能となる理由の説明と実践手段については、理論の世界を超えた先にある、神仏が存在する宗教の世界の話になります。
自分の意志では絶対に制御できない外的要因を、神仏の助力を得て変えてしまうという手法の世界に入るからです。
つまり仏教における理論と宗教的実践の境界線がここにあって、学者が語ることを許されているのは、理論の部分までです。
ここから先は、ボクのような語り手の世界になります。
この部分は次回以降のnoteで説明します。
つづく