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ゆるいブログ 個人的な2024/11/03静岡大柴燈護摩供の出来事など

このnoteは、2024/11/03の阿含宗静岡大柴燈護摩法要を表向きな視点ではなく、よりディープな供養な視点から、及びボクの身の上に起きた事などをゆるいブログな感じで書き連ねたものです。

今回の静岡の大柴燈護摩供だいさいとうごまくの法要地は「久能山」でしたので、どうしても「徳川」ブランドに引きずられて「徳川家の供養だ!」みたいな事を多くの会員信徒さんが言ってました。

しかしながら会場は駿河ですから「徳川」に上書き消去されてしまった「今川」にも目を向けて供養をする必要があります。

阿含宗の法要で御縁ができた静岡のとある神社さんに、今回の法要での御神事を打診したところ、「自分たちは今川系なので徳川系の場所で御神事はできない」という理由で依頼が頓挫したという話を聞きました。今でも先祖代々静岡に住む人達の一部には「今川」の存在が確かにあるのだ。

阿含宗では以前から、大きな法要で業の深い対象を供養しようとすると、その悪業・怨念によって法要を失敗させようとする不思議な力がはたらいて、ご供養をする会員信徒の身の上に色々な事件事故が発生することがあるから、よく気をつけるようにという指導がされます。しかしながら、どんなに気をつけても事件事故が起きてしまうことがあります。

例えば今回は「今川」の供養の推進をしている人が、いつも安全運転で数十年間交通事故を起こしたことがないのに突然交通事故を起こしてしまい、さらにその上、仕事で出張が決まり法要に参加することすらできなくなってしまった。ボクは今回、この人に現地で会うことを楽しみにしていたので、不在の理由を聞いて本当に驚きました。
また別の人であるが「今川」の供養をしていた人が、セクハラ加害者として捏造事件をでっちあげられてしまったというのもある。

ボクも「今川」については、今回、かなり気合を入れて供養をしていて、そしてひどい目に遭いました。

「今川」を含む静岡地域のかなり重い供養のテーマについて束になるくらいの供養護摩木を書く。そして、それを何日もかけて頑張って御供養の念を護摩木に込めに込めて、その供養護摩木の束を持参して、法要の前々日に現地入り。
すると、それまで全く元気だったのに、現地入りした日の夕刻から頭痛が始まった。

翌日(法要前日)には約38度の発熱でダウン。目を開けているのがツラい。前日の準備作業やリハーサルは完全に戦力対象外。

法要当日の朝になっても不調は変わらず、立ち上がれば軽いめまい、という状況。とてもではないが法要に修行者として参加できそうな気がしない。

それでも現地まで来たのだから後悔するような供養はできないと考え、フラフラな症状でも、気合を入れて、
ホテルの部屋から静岡の夜景を実際に見ながら、この地域全域の供養なのだ、と念を込め
法要会場近くの静岡の海の景色を心の中に思い出して、ここを供養して大地震の大難を小難に、小難を無難にするのだ、と念を込め
そして護摩木に書いてきたこの人たちを供養するのだ、と念を込め
本気の気持ちを込めて供養護摩木の束に更に念を積み増しする。
現地に来て3日間、法要当日の朝も含めてがんばったつもりです。

法要当日、会場にたどり着いて、頭がフラフラな状態で供養護摩木の束を提出。

そして体調不良がケロリと治る・・・

さっきまでの体調不良は何だったのか?というくらいの激変。
その後は元気に法要に参加して、元気に帰宅しました。
ネタではなく、本当に、こういうことが起きた。

ひどい目に遭ったけど、自分の今の能力の立ち位置、それに基づいてやれること、近年ずっとやってきたことに大きな誤りが無いこと等を改めて自覚する機会にもなって、貴重な体験でした。

私的に色々あって、しばらく東京の道場とは距離を置くことが多くなりそうなので、今後は行ったことがない他地区の阿含宗の法要の現地に行って、現地で祈るということをやってみてもいいのかなと今後の事を思いました。


「護摩木を提出したら、体調不良が治っちゃったんだよ~」
と言うと、
・「ご苦労さまでした」とねぎらってくれる人
・「だから修行順調の護摩木を書かないとダメなんだよ!」等々のアドバイスしてくれる人
周りの反応が、きれいに、この2種類に分かれて面白い。
この別れ方を面白いと思える人(もしくは、ため息を付く人)は前者の側にいる人です。

ボクがガチな供養をしていることを知っている人や、大きな法要での供養では色々なことが起きることを理解している人は前者の反応を示す。
「霊的な影響を受けてしまったのね、本当にご苦労さまでした」
という理解をしているから。

護摩木に自分のお願い事ばかり書いている人や、実際のところ教義教学を理解できていない人は後者の反応をする。
対象がボクでなければ前者の判断ができるけど、対象者がボクなので絶対に認めないという人も後者の反応をする。そういう人のことは、どーでもいいです。

その反応によって、その人の修行の進み具合、理解度というのが、明確に見えてしまうという点で面白かったです。

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