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縁起と四諦:リスクマネジメント視点で仏教を説明します⑤
このnoteの対象読者は、何らかのプロジェクトマネジメント、システムの設計開発、リスクマネジメントや防災に関する業務に従事していて、因果関係と相関関係の違いを理解しているビジネスパーソンやエンジニアです。
このnoteの要旨は
様々な家庭の問題を引き起こす原因であるカルマを消滅させるための具体的な方法を、阿含宗という教団の方法で述べているところにあります。
「縁起と四諦:リスクマネジメント視点で仏教を説明する」というテーマで書き進めてきたnoteのシリーズでは、一貫して、
人生のトラブルは仏教で言うところのカルマが起因となって発生しているものであり、このカルマを消滅させる、あるいはカルマの発動を封じ込めることが必要であり、その行為は、人生におけるリスクマネジメント、人生の防災である
と主張してきました。
ならば具体的にどうすれば良いのか?
手段の説明の前に
お金持ちの人と庶民とではアプローチを変える必要がある
という厳しい現実を直視する必要があります。
このnoteでは「庶民」向けの具体的な手段の説明をします。
※お金持ち向けは第4回のnoteに書きました。
また、シリーズの第1回目から説明している理屈を理解している想定です。
基本的な部分をまとめます。
①自分たちの意志とは無関係に、自分が物理的に存在しない場所で、家族が事故って死ぬことは、自分にとって仏教的な「一切皆苦」に該当する
(その辺で仏教を語る自称仏教者は、この認識が無さそう)
②この不幸な出来事は、自分自身のカルマ、家族のカルマ、事件事故に関わる人々がそれぞれ持つカルマの存在が原因であり、なぜかその日その時その場所で、それぞれのカルマ紐づく人々同士の「縁」が結ばれ、事件事故が発生する
(その辺で仏教を語る自称仏教者は、それっぽい理屈を述べるけれども、それを現実世界に落とし込んで理解する能力が無い上に、①の認識をしていないから、この世の不幸を仏教理論で語ることができない)
③不幸の原因がカルマとわかっているので、カルマを消滅させるか、カルマによって生じる不幸な縁の発生を封じ込むことができれば、不幸な人生の強制イベントの発生は防ぐことができるはずである。
換言すれば、これは人生レベルのリスクマネジメント、人生の防災である。
(その辺で仏教を語る自称仏教者には、すでに理解不能な領域に到達)
では、人間の目で見ることができない隠しパラメータ値であるカルマに、庶民は具体的にどのような手段で対峙していくのか?
今回は、阿含経典をベースとした理論理屈ではなく、
阿含宗という教団で実際に行っている具体的な手段に振り切った説明です。
仏教は宗教なので、宗教的な視点、観点、手段は必須です。
家族の分も解脱供養を申し込む
カルマ(霊障)の消滅をさせるためには、阿含宗の解脱供養というのを申し込んでください。
これが結論です。
阿含宗の解脱供養というのは、魂に突き刺さったカルマ(霊障)を除去する特別な供養です。このnoteでは詳細説明を省きますが、要は自力で行うことは絶対に不可能な特別な宗教的な手段です。
まずは第4回目の内容に目を通してください。
庶民のカルマ(霊障)除去の進め方
第4回目を読んでいただいた前提で話を進めます。
庶民がやるべきこともお金持ちの人と同様に、家族の分も含めて解脱供養という特別な供養を進めていくことです。
但し、お金持ちの人ならニコニコ現金一括払いでできることであるが、我々庶民は10年以上の年月をかけて行うことになります。
庶民には財運という徳が無い以上、もう、これは仕方がない。
ところでカルマを消滅させるという人生のリスクマネジメントに10年以上の時を費やして大丈夫なのであろうか?
これが、何とかなるのである。
阿含経典の縁起論の原理原則
カルマ・悪因悪業があって、それに紐づく「縁」が発生して、悲惨な結果になる
これに対して
カルマ・悪因悪業があるけれども、神仏の介入によって異なる「縁」を生じさせて、違う結果を得る
神仏の加護によって「縁」を変える。
これが本当に重要なポイントで、神仏の加護という人知を超えた不思議なチカラで「運命の出会い」を強制的に変更してもらうのである。
平たく言えば「運を良くする」ということで、スピ系的な表現をすれば引き寄せの法則がナンタラという説明になると思われる。
その「運を良くする」根拠に神仏の存在がある。
そうして神仏の加護によって「縁」を変えてもらって時間稼ぎをしている間に、カルマ(霊障)を消滅させる努力をすることになる。
神仏の加護を得て「縁」を変えて最悪の結果にならないようにしてもらう。
これを実際に人生経験として体験すると、往々にして、致命傷を負わない程度のギリギリの状態を維持して持ちこたえることが多く、とてもツライ。
「もう勘弁してくれ」と思うけれども、状況をよく観察してみると、本当の最悪の事態には陥っておらず、ギリギリどうにかなっているから「どうやら守られているらしい」とわかる。
わかるんだけれども、ツライ。
そのツライ状況の中で家族全体を見渡して、解脱供養という手段を誰に対して、どのタイミングで行うのかを見極めていくことになる。
・問題が大きくなる前に、早急に手を打う必要がある
・まだ大丈夫そうだが、そろそろヤバそうなので先手を打とう
という感じで、失敗が許されない自分と家族の人生のリスクマネジメント判断を続けていくことになるのである。
自分と家族の解脱供養が5体以上に進んでくれば、家族全体の最もヤバいカルマ(霊障)が除去されて、気づけば家族全体の運気が変わったことがわかってくるだろう。自分と家族の状況が安定稼働に入ったと確信できたならば、家族や親族を優先していた解脱供養の順番を自分優先に切り替えることができるようになる。
そうなって初めて自分のカルマ解脱を中心に据えることができるのである。
カルマを消滅させるための流れのまとめ
家庭環境に問題が発生するのは、家族全員がそれ相応のカルマを持っているからである
この家族の子供として生まれた自分は、この家族に生まれるだけのカルマを持っているのである
家族がヤバいカルマを抱えているうちは、自分もその影響を逃れることができない
そして家族起因の事件事故が自分の意志と無関係に発生し、強制的に巻き込まれる
だから、まず最初に家族のヤバいカルマの対処をしなければならない
それを成し遂げて初めて、自分のカルマ解脱を見据えることができる
冷徹に、論理的に順序立てて考えれば、カルマを断つ順序は、このようになるのである。
自分を後回しにして家族のカルマ(霊障)対応を優先するというのは、慈悲とか利他という話ではなく、差し迫った現実問題として先に家族のカルマを何とかしなければならないだけであって、それが結果的に第三者から見れば慈悲や利他と言われる行為になっているだけなのだ。
カルマを除去するフローについて、こんな風に考えたことは無かったかもしれないが、言われてみれば納得できるという人も多いだろう。(感情的に認めたくない!という気持ちがあったとしても)
そして、庶民がカルマ(霊障)を除去するためには、どうしても10年以上の年月が必要になるため、その間は、神仏の加護によってカルマの働きを封じ込めて、「縁」を変えてもらい、人生上のリスクが取り返しがつかない状態で顕現することを防ぐのである。
このトータルの流れを、ボクは人生のリスクマネジメント、人生の防災と呼んでいる。リスクマネジメントそのものでしょう?
また、神仏の加護によってカルマの働きを封じ込めて「縁」を変えてもらうためには、本当に人間のカルマを消滅させ、縁を変える絶大な力をもつ神仏との縁を結び、神仏に「この者を助けなければならない」と思ってもらえるような自分自身になるように、自分も頑張らなければならない。
ところで、その辺で仏教を語る自称仏教者たちの中には、ロジカルな思考をする人間にとっては全く意味不明な仏教ポエムに酔いしれて仏教を理解している気になっている人が大多数なのが現状である。
論理的に思考ができて、ボクのこのnoteを読みこなして新しい知見を得た人が、今、その辺にあまた存在する仏教ポエムを読めば、仏教ポエムにはカルマの消滅につながる根拠が無いし、人生のリスクマネジメント、人生の防災という観点からは、全く何の役に立たないことがすぐに理解できるであろう。
ボクがこれまでに書いてきたnoteの内容と、その辺の仏教ポエム等と比較して、ボクの主張のほうが理にかなっていると思えたならば、あなたやあなたの家族が不幸な人生に陥る前に、不幸な事件事故に遭遇する前に勇気を出して阿含宗の道場に来て、解脱供養を申し込んでいただきたい、と、切に願っています。
過去のnote
数字を見て考えることができる人向け
霊障=世代間連鎖のトラウマ
霊障云々の話は、こちらでがっつり書いています
「家庭環境を改善したあとに涅槃云々」の話
たとえば、これ
まずは、これに回答してみてください
カルマとか霊障とか、馬鹿げているという人
もちろんいると思います。
ならば、ここで紹介している事例について、明確に、具体的に、実績を以て解決手段を答えられるよう、頑張ってください。