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内的動機という武器の備え方/習慣のテスト

外的動機だけでは捨て去られる

内的動機。モチベーション。やる気。気力。
それらを高める時、しばしば外的動機ーー例えば、〆切ーーに手をいれることが多い。
上記のように〆切を設定、褒美を用意……あるいは、習慣化。

私は思うわけだ。そもそも興味のないことにそこまでの労力は掛けようと思わない……いや、いくらでも踏み倒してやる、と。
自分の設定した尺度が他者に影響を与えることはない。つまり、達成しようとなかろうと何も変わらないのだ。
達成できたならいい。できなければ?
更に自分を苦しめるのみだ。「自分は物事が続かない」「何もできない」と。

内的動機は、アプローチの手法が違う。
私たちは日常的に歯を磨く。風呂も入るし、SNSも開く。
それらは必ずしも必要なものではなかったハズだ。しかしながら、私たちの生活に無くてはならない「習慣」へと組み込まれていった。
歯を磨かなければ、口の中が気持ち悪くなるだろう。
風呂に入らなければ、体臭が残るだろう。
それらは、快/不快に密接にかかわるものだ。だから理解は容易い。

では、SNSを開く事は一体何であろうか?
それは快/不快の土俵には無く、ただそれが「習慣」となっただけだ。
無論、トレンドを知りたいー話題に乗り遅れたくない、話を聞いて欲しい…情報を浴びたい。
様々な心のうねりが存在するだろう。
しかしながら。
先の行動よりも快/不快に関わらないものなのだ。

トレンドを知ることで、誰かと同じ話題を話せる。
SNSに愚痴をこぼす事で、自分の気持に共感してもらいたい。
情報を浴びることで、何かを得たい。
つまり、内的動機は快/不快に関わらず、自己イメージに影響を与える。

依存という言葉は非常に便利で、そういった物事を一言で片付けることができてしまう。
しかし、そういった依存ほど「内的動機を表している」行動は無い、と私は考えている。
私たちは心の空漠を、何かに依存して埋めようとしている…

*話題違いなので引きました。

さてここからが本題である。

内的動機というものは一体何か?

感情

その1つが、感情だ。
喜怒哀楽の全て。
目標を達成する喜び。
失敗に対する怒り。
上手くいかないという悲しみ。
上手くいくことの楽しさ。

2人の人物を想像してみて欲しい。
自由奔放で、常に楽しそうな人。
塞ぎがちで、常に後ろめたい人。
どちらがより行動的であるかは、前者であると誰もが言うだろう。
しかし、感情の機微は成長するものだ
重要なのは、それらの感情に気づけるかどうかであり
現状を責める凶器として用いるべきではない。
むしろ、行動する度に「今はどう感じているの?」と心に問いかけることで
感情の強度が増していく

心理的な安全

もう1つが、心理的な安全だ。
それらの成功失敗が自身に危害を加えることがない、ということだ。
その失敗を他者から責め立てられることがない、とも言える。
これは自己省察の分野であるため個人によって違いが生じるが、
私の場合「FPSのゲームで相手に撃ち負ける」事から
「私は失敗した」→「失敗した過去の出来事へと意識を転移」
→「トラウマのフラッシュバック(過剰に責め立てられた記憶)」
といった思考経路を”無意識のうちに”辿ることが多い。

そのような状況では、失敗=危険に怯えるばかりで萎縮してしまう、
しかしながら、危険に立ち向かうための武器を持っていない人も少なくないだろう。
そこで、ここから「内的動機という武器の備え方」について書いていく。

内的動機の為の外的動機

さて、物事を大きく見繕って3通りに分ける。
A.(自分が)できること =習慣
B.新しいこと       =挑戦
C.苦手なこと       =矯正

この中で尤も「内的動機」に良い影響を与えるのは、"習慣"である
また習慣は強力な「外的動機」でもある。
習慣は達成されるべきという思考がここで有利に働く。
成功者の多くはルーティンを持ち、予定を立て、それを遂行する。
それらは習慣であり、習慣こそが全てと言っても過言ではない。

できることをするー習慣というテストをする

もしあなたが、毎日テストで90点以上を叩き出していたらどうだろう?
勉強に自信がつくかもしれない。あるいは、100点を逃したことを惜しむかもしれない。
どちらにせよ、そのテストには「90点以上の自分」を保証する性質がある
そして重要なのは、習慣は「テストを自分で設定できる」ということだ。

習慣とは、「自分の品質保証をする武器」である

もし「毎朝起きたらベッドをきれいにする」という習慣を立てたなら、達成することによって
「清潔感に配慮し気品を保つ」性質が生まれる。
夕方に腕立て5回する習慣は、力を付ける事を保証する。
朝食後に読書をする習慣。
机の上を片付ける習慣。
水を合計1.5L飲む習慣。

習慣は、そんな具合の細やかなテストだ。
高得点を取れば、自分という人間にブランドを付与していく
そして、自分に基礎ができる。
失敗すら「いや私は毎日ベッドきれいにできるし」と、いなすことができる。
そして毎回90点以上の自分ならきっと、新しい事に挑戦しても大丈夫と思えるのだ。
新しいことすら90点を取れるようになる未来を容易に描けるようになる
習慣とは、それほどまでに強大なのだ。

強大故に、力の使い方を間違えると身を滅ぼすこととなる。
テストで赤点を取り続けてしまえば、テストを嫌になってしまうだろう。
そして習慣を1つ1つ減らしていき、疲労困憊してしまう。
習慣は達成できるものでなければならない。より易しいものであっていい。

簡単に書くと、「とても小さなできることを継続してやれ」ということだ。
また、挑戦の前に習慣を実行することで準備体操の役割を果たしてくれる
より一層、挑戦することへの安心感と集中力が増すのだ。
私たちが内的動機…モチベーションと呼んでいるものは、どれだけ自分の中に90点があるかに過ぎないのだ。

7:2:1の法則

当然だが自分のできることだけしていても成長は少ない。
そこで7:2:1の法則を用いるわけだ。

7 : 2 : 1 = 習慣 : 挑戦 : 矯正

さて、人々は「挑戦することが成長への近道だ」と口を酸っぱくして言うが
その割合は気をつけなければならないものだ。

挑戦とは、知らないテストを受けるということだ
知らない知識、技法、加減……そういった流動的な物と即興で対峙する。
「90点以上取れる保証がなく、赤点かもしれない」といった危険を孕んだものだ。
それを行動の5割7割に組み込めば一体どうなるか…
自分のできることよりできない事に焦点が向けられるだろう。

人は乗り越える時、しばしば責任を背負う事がある
向上しなければならないという強迫観念であるとか、
失敗に対する底知れない恐怖であるとか。
挑戦には、ストレスが伴う
乗り越えられれば喜びが待っているだろう。
しかし乗り越えられる保証はない。
挑戦が失敗し続けたならば、「あなたは落伍者である」と
烙印を押されてしまうーー

そういった時にセーフティネットとして機能するのが習慣だ
「でも私には他にできることがある」という安心感は、失敗に対する心の拠り所となり、挑戦を後押ししてくれる
だからこそ、習慣の割合は大きくなければならない、というわけだ。

同じように、苦手なことを矯正することにも大きなストレスが生じる。
「赤点のテストを90点へと引き上げる」事であり、気力も時間も使うだろう。
そんなもんは1割でいい、というわけだ。

あとがき

今回は、内的動機についての理解とともに習慣に対する新たな言い換え表現が生まれたことが嬉しい。
我ながら習慣をテストと言い換えたのは良い表現だ。
ただ筆者は作曲家であり、作曲家としての習慣は未だ模索中であるので
ここで挙げたものは専ら記事制作や日常の些末(ゲームとか)を通して得た経験である。
作曲で自分が90点以上できることって、ハードル高いなぁと思いつつ。
楽器の演奏とかも始めてみようかなぁと思ったり。終


作曲や効果音制作でなんとか身ですのでサポートをいただけると嬉しいです!