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悪夢の端

こわい。

明日は撮影で、撮影と言っても無償で集まって撮るだけだから、友だちとあそぶに近いはずなんだけど、ちょっとしたら吐きそうな感覚になる。
こわい。
失敗するかもしれない。
何も上手くいかないかも。
みんながっかりするかも。
状況がめちゃくちゃで、全然撮れなかったらどうしよう。
どうしよう。
失望の表情がお腹の上を舐めていくみたいだ。

こういうのは悪夢みたいなもので、細部が脆いことが多い。
具体的になにができずに何に陥るかというよりも、追い込まれた状況になった逼迫感だけ想像してしまう。

明日は初対面の人がいるし、撮影形式としても今までの少人数ではなく大人数になる。
そうは言っても6人程度で、そんな大変でもないはずだし、いざ始めてみたらもうやるしかなくなってやれることがほとんどだとどこがで分かっているのに、怖くて逃げ出したくなる。

一日の中で、恐怖と緩和を繰り返してして、つまり悪夢を見ているかなんかぼーっとしてるかなんだけど、恐怖を感じている時は的外れなことをして(例えばカメラバックの用意はせずに使うか分からない小道具をロウソク溶かして作り始めたり)、ぼーっとしてる時は、明日の朝家を出るのになんの準備もしないで動画を見ていたりする。
昔は準備をしていたと思う。
前日に全てが整うことが快感だった気がする。
今は前日の深夜に焦ってる。

行動に疲れるというより、行動の前の恐怖にいちばん疲れている気がする。
こういうのは幼い頃は感じていなかったと思う。
なんとなく。
多分、学校に行かなくなった13歳頃からの、自分が制御できなくなる恐怖を引きずってるんだろうけど、感覚へのアクセスの仕方がわからない。
トラウマならば類似した状況で違う結末や結論を出すことで回復に近づくのだろうけど、一番自分が恐れているものはそう簡単に思い出せたりしなくて、自分の肉体では無いはずの物体がもうくっついてしまっているようなどうしようもなさがある。

記憶が薄いのも関係していると思う。
私は結構忘れっぽい。
映画を見たらエンドロールの時点で内容を忘れてたり、見ていて感じたことを忘れていたりする。
人に話したり書いたりすることで、落ちていく砂を拾うように一部だけ記憶を保存する。
反芻することで自分の出来事として定着させる。

今までに何度も撮影をしてきて、今よりも技術が拙くどうしようもなかった時でも"大失敗"なんてなかったのに(あったとしても覚えていないのに)、胸の中心が疼くような感覚が収まらない。
最悪を忘れるかわりに、大丈夫も覚えられない。
何度も繰り返している。



予定がないと家から出られない。
責任感じることはしんどい。
だか責任を感じなければ家の外に出られない。
こういう事実に気づく時、実は何も解決していないんだと突きつけられるような気がする。
家から徒歩五分のスーパーに行くこともできない。
人との約束があり、それに付随した恐怖があって、それで寝ずに準備して外に出ている。
グラグラだ。
なんでこんなにグラグラなのか。準備ができないのか。
建設的な対応ができないのか。
ちょっとしたことに過剰に恐怖を感じて自意識が暴走してしまうのか。
妄言の世界に入って抜けれる方法に規則性がなく(あるいは規則性を見出そうとしていないのかもしれない)、何が効くのかわからない。
とりあえず闇雲にやってみる。
うあ。
うう。

やってもやらなくても来るのだ、決めて、やれ。
やーってくれ。
うう。らら。ほほ。
わん!!!!

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