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電車こわい

無関心はこわい。
車内は無関心の塊のように思う。

4、5歳くらいの子が何かが当たったのか
「いだい゙ーーーー!!!!!」
と言っている。
お母さんらしきひとが
「っこら!!しー、しー!!怒らないで!!」
と言っている。
だれも彼らを見ない。
わたしも見ない。
なんだかめちゃくちゃ微笑みたくなったけど、見たらガンつけてるようにみえないか不安で見れない。
ただ誰も、彼らの存在を認めていないように、互いの存在を無くすように、手のひらの機械に釘付けになっている。
聴きながら、私も機械を見ている。

前に電車で盗撮をされたことがあった。
私はなにかの帰りだったのか疲れ果てて吊革に捕まって眠っており、目の前の人が私を撮っていることに気づいたのは、その人の隣に座っていた人だった。
隣に座っていた人はその人に詰め寄り盗撮の事実を認めさせ、次の駅で降りる段取りを共有し、わたしの手を握ってくれた。
めちゃくちゃちゃんと私を守ってくれた。
まわりの人は石像みたいになんの反応もなかった。
私が私を撮っていた人の前から退けるように、隣に座っていた人が前に立っていた人に声をかけた時も、その人は目を合わさず、イアホンをつけたまま黙って横にずれただけだった。
誰も人でないように見えた。

なにか切羽詰って不安に思ってるひとがいたら、うずうずする。
気まづそうに肩身を狭くしているひとがいたら、あなたはいていいと声をかけたくなる。
恐ろしくて、どう転ぶか分からなくて、いつも何も言えない。
それがいつも不甲斐ない。申し訳ない。
自分で自分が恐ろしくなるような世界を作っていることに、怖くなる。
なんでこんなに車内は怖いんだろう。 


京都でバスに乗った時、着物を着た高齢の人が乗り込んできて、その直後にバスが動き出したことでよろけて倒れそうになった。
私は心臓が下にグッて下がるような緊張を覚えて、咄嗟に足を前に出し、その人の手を掴んだ。
その人は俯いたまま少し頷き、手を離して後ろの席に歩いていった。
私はその時、何かを破れた気がした。
手の感触がとても特別なものに思えた。

超えたい。
私がしたいことをしたい。
赤ちゃんが泣いているのはあなたのせいではないと知らない人の目を見たい。
どうしても超えたい。
越えられないことが死ぬほど悔しい。


叔母さんと母と弟と、大阪の王将でご飯を食べたことがあった。
弟は食事中に昼寝を始めて、私たちは話しながらゆっくりご飯を食べた。
ご飯食べながら、長居している私たちのことをお店の人がよく思っていないのではないか、と不安になってくる。
弟は座布団に横になり、もしかしたらよだれが垂れているかもしれない。
子供のよだれを嫌うお店の人は多い。
少しバクバクする気持ちのまま食事を終え、帰宅するために弟を起こすと、中途半端なところで眠りから引き剥がされたことに怒り狂って泣き出した。
心臓が縮む。
やばい、と思う。

「あー、寝たかったよねぇ。起こされて嫌だねぇ。」

無表情でテキパキと仕事をしていたおばちゃんが、泣き叫ぶ弟に話しかけた。
弟がもごもごしながらおばちゃんを睨む。
おばちゃんは腰に手を当てながら軽く頷く。
私はそれが、めちゃくちゃうれしかった。
ここに来てよかったと思った。


「あー起きちゃったんだね、かわいそうに」
「あーあー、ベビーカー降りたいんだね〜」
目の前に立つ人が話している。
おばちゃんは強い。
赤ちゃんが泣いている。
私も泣きそうになった。

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