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居てくれてありがとう

起きた。
起き上がって、動く。
今日は出かける日。

朝起きて、映画を見ながらストレッチをする。
これをしないと体がゴリゴリになって動かなくなるし、ストレートネックが悪化する。
私は姿勢が悪い。
「夜明けのすべて」の、音楽に落ち着く。

電車に乗る。
今日はどきどきする。
いつもはできるだけ女の子に見えないような、服を着ている。
できるだけなにとも判断されたくない。
今日は大きな襟に花と蔦の刺繍が入ったシャツを着て、チェックの膝丈のワンピースに、白いマリオというのがいちばん分かりやすい帽子をかぶっている。
いつもの自分とちがう。
今日は撮影。
私には、めちゃくちゃ判断されたくない時とか、めちゃくちゃかっこいいスーツに憧れる時とか、アニメーションの世界から出てきたようなふわふわな服に憧れる時とか、色々ある。
だけどこれは私が尋ねて、相手が選んだ服で、私だったら多分この格好で外に出ることはなかった。

私の髪は短く、毛先にかけてゆるやかにブルーグレーのカラーを入れている。
どうしてもチェックのワンピースなど似合う状態ではなく(本来はどんな服でも着ていいはずだが)、迷ってマリオの帽子を選んだ。
母いわく「帽子があることで"分かっててやってます"感が出る、まだしんどくない」そうだ。
帽子がない格好は"しんどい"と評されたが、それは私がこのような格好をすることに対して否定的と言うより、日頃からいかにもジェンダーレスな服を選ぶ私が唐突にワンピースを着ていること、またそれが微妙に馴染んでいないことに対する"しんどい"であることは、わかっている。
ので、辛くはない。
いや嘘。しんどい。
ごめんなさい、これから撮ってくれるかもしれない人。
多分撮りづらい。
そもそも暗いアーケード街と花柄の襟が反発しすぎている。
街中でウエディングドレスみたいなギャップは、おしゃれなひとが絶妙なところを縫うように作っているからかっこいいのであって、よく分かってない私がやると微妙なところで反発しあっている、"なにを目指してるのか分からない"状態になる。
不安しかない。

袴田巌さんに無罪判決が出た。
50年は、あまりにも、あまりにも、長すぎる。
どうしても取り返しがつかない。
象徴でもなんでもなく、袴田さんの人生は取り返しのつかないかたちで踏み躙られた。
それは私にも、起こりうる。

私は耳や目に入る、入管職員の非人道的な暴行の様子や、政治家の様々な失言に暴言に汚職や、警察官の取り調べ時の暴行や人権侵害、買われるミサイルやおかしな法案が閣議決定されるのを、みた。
だから、信頼が著しくない。
私が生まれた時からなかった。
この国は最悪なんだと、歳を重ねるごとに思ってきた。
それだけではない、だけど"それ"が大きすぎる。
それでも、国という単位ではなにがなんだかわからない。
そこには全て人がいるから。

眠い。
ねむい。
ねむい。
今日は家に帰ったら、お風呂に入れるといいな。
あと、部屋を片付けたり。
「夜明けのすべて」の続きもみたいし、「アルプスの少女ハイジ」の続きも見たい、「わたしに会いたい」も読みたい。

謝っても、謝っても、消えないけど、また声をかける。
でも相手はもう嫌かもしれない。
でも声をかける。
つながりが途絶えることが寂しいから。
声を出すのをまだ諦めてはならない。
わたしのなかのもの、あなたのなかのもの、まだなにも知らない。
それだけの可能性を、あなたがあなたである喜びを、信じるために。



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