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この気持ちたち

「パパの人生は失敗だ」
呟くように聞こえた。
私の存在が失敗の2文字で塗りたくられたような、はっきりしない、ものすごい速さと的確さで腹を殴られたような鈍い感覚だった。


えろいことはすごい。
私はずっとえろいことに頼ってきた。
人権蹂躙の根源にも近い"えろ"に。
頼るのが惨めで醜悪に感じていた時期はすぎて、ただただいたたまれないだけ。
でもすごいのはすごいのだ。
どんな言葉で片付けられようと、受け入れたくないことも受け入れたいことも全て濁流で押し流す。
どんな真面目に話してても「ぐっ」て、性的な興奮は全然別の神経を刺激して、別の場所に連れていく。
どんなに惨めでもどうしてもないとやっていけない。
そういうこと。

失敗。
わたしは、私の家族をみてきた。
全部は知らない。
だけど感じたくないところを感じ続けてお互い生きている。
なんと答えればいい、死にたいに、失敗に。
「そっか、辛いね」?
「失敗になるような生き方をしてごめんね」?「いつもがんばってくれてありがとう」?
無理だ。
むりだ。
やめてくれ。
本当にもうやめてくれ。
何も喋らないでくれ。
人生を、あなたの人生を、あなたに深く関わる人間の人生を、つまり川の水の冷たさとか、一緒に食べた朝ごはんとか、美味しかったタコスとか、褒めてくれた歌声とか、一緒に観た映画とか、家に帰ってきてハグをした時の布の触り心地とか、寒い日にソファで寝てしまう時の温度とか、小さい頃の声とか、今日を、私が私である理由を、あなたがあなたでいてくれたからある今を、失敗か最悪で回収され続けるのが一体どんな気持ちかわかるか。
居なくなっても変わらないと言われた時の母の気持ちが、毎日死にたいと言われた時の私の気持ちが、最悪だと言われた時の弟の気持ちが。
どこにもいかないこの気持ちたち。
苦しんでるあなたにはひどい仕打ちだろうか。
分かり合えるまでは時間がかかるのだろうか。
私がしてきてもらったことに比べたら軽いものだろうか。
仕方がないのだろうか。
死にたい背中をみて私も、この世界は死にたいんだと思ったよ。
希望の無い背中をみてわたしは、この世界に希望は無いのだと思ったよ。
引き剥がせない。
愛してるとかそういう、そういうなんか言葉で言えるようなやつじゃなくて。
皮膚が溶けてくっつきあっているような、どろどろな感じで、あまりにも近すぎてあまりにも依存的すぎて、どうにもできない。
どうにもできないことなのか?
かかる時間って何年?
オナニーしてたら終わる?

もうなんか、何かを感じてるとかじゃない。
眠いなって言うか、鈍器で殴られたあとのゴーンゴーンって感じで、なんの、やる気も、起こらなくなる。
おかしい、さっきまで、ここで、これをしようと思ってたのに。
今日も"えろい"だろうか。
また夜な夜な"えろい"だろうか。
あまりにも醜悪で自分のことながら見てられない。
慣れろ。
慣れたろ。

みんな必死で辛いのに、わたしだけが約束破っていいわけはない。
誰か体をもらってくれないかな。
遊びすぎてごめんね。

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