生きてるつもり
相変わらず浮き沈みが激しい。
体は突然脱力したり、ほうほう眠り込んだりする。
喉はイガイガで頭はぼんやりしてて、手足は冷たいのに背中は暑い。
自分をだいじょうぶにするのは、いつも容易でない。
18になって、嘘をつくことが少しだけ増えた。
美容室のひととか、初めて会った、今後会うか分からないひととかに。
「お幾つなんですか?」
「18です」
「えー見えない、大人っぽいですね!」
「そんなそんな」
「今は大学行ってるんですか?就職?」
「…就職です」
「へー、何系の仕事されてるんですか?」
「あー、映像系、です」
「えーすごーい。お忙しいんですか?」
「そんなでもないです」
「へー」
私は自分の夢に向かって働いている社会人になっている。
ちなみに実際は実家住み親のスネかじり引きこもり・社会の要請拒絶型である。
最近は色んな嵐が眠る間になくなってほしい、そのまま眠り続けたいと思うあまり気付いたら16時間寝ていた。
生きている感覚が希薄である。
17歳の頃と少し変わった。
「学校行かないのも選択肢だよね」「行かない選択をするってすごいよ」のポリコレ的対応から、なんとなく、社会的責任を果たさない放蕩野郎、に変わる気がしたのだ。
自分がそういうことを思ってるのかもしれないし、あのひとの顔にも目にも、とても「いや、今高三の代ですが学校行ってなくて、進学も就職も考えてないんです」と言えないような雰囲気を感じとったのかもしれない。
立て続けに2回嘘をついたので少し自分が嫌になった。
嵌りたいとは思わない。規範に。
生きれるような場所を探したいとか、あるいはともに居られるひとを探したいとかは思う。
だけど頭はこくこく眠って、洗濯ものを畳むだけでものすごく疲れたりする。
父は死にたいらしいし、私は口答えをする穀潰しらしいし、母とおとうとに、できれば父に健やかでいてほしいけど、考えても少しがんばっても、振り出しに戻り続ける迷路にいるような感じだった。
私は父の人生も母の人生も知らない。
知った気になって労ることもできない。
同情も共感も感謝も謝罪も入っていかない。
今、みんなちょっと、或いはだいぶ、人生離脱したいってことしか、いつも分からない。
居場所も公園も公共施設も少ないこの国では、雨の日の4歳児は手に余る。
モールをハシゴしたりして、おもちゃ売り場に置かれる見本で遊ぶ。
たぶんそこで風邪がうつった。
イガイガイガイガ。
いつも問題と思えるものはひとりで来てはくれない。
色んなものと重なって、だんだん肺が狭くなっていくみたいに、すこしずつ追い詰められる。
足のつかない海で溺れそうな不安や焦りを、どこか感じ続ける。
楽になりたくて興味があるようでないSNSをみて、えっちな何かを見る。
その時は少し離れる。
夢から醒めるときは、いつも最悪の気分。
明日は変わるだろうか。
夢でも現実でもないところに行けるだろうか。
意識があることに絶望しないだろうか。
寝ようが起きようが、同じ空は勝手にうつろって、気付いたら9月。
生きてるつもりもないからか、まるで時間が3段飛ばしで登る階段みたいに後ろに消えていく。
夜がもう少し明るければな。