未来を想像してこなかった私の、キャリアブレイクという選択
正直、30歳で無職になっている自分は想像していなかったな。
いや、思い返せば、どんな未来も想像していなかったかもしれない。
・未来を想像していなかった
幼稚園の発表会、先生が子供たちに将来の夢をインタビューするコーナーがあった。
「警察官になりたい」「ケーキ屋さんになりたい」なんて、元気よく発表する子供たち。
「仮面ライダーになりたい」「ウルトラマンになりたい」みたいな非現実的なものまで、自由な発想で答えていく。子供たちが大きな声で発表するたび、保護者や先生から拍手が送られる。
私の番、私は正直に「まだ決まってない。わからない。」と答えた。みんなどう反応したらいいかわからずに、拍手もまばらな会場。そのままインタビューは次の子へ…。
後になって聞いたが、翌年からそのコーナーはなくなったらしい。
「答えられない子がいたら可哀想だから」だそうだ。なんじゃそりゃ。
なりたいものがない子供は可哀想か?
・成り行きで選んだ選択肢
幼い私は、自分が何かになるなんてことは考えられなかったが、そのままのマインドで体は大きくなる一方だ。
高校進学は家が一番近いところを選んだ。
大学進学も得意科目で受かりそうな学部を選んだ。
就職も大学の専攻分野に関する企業を選んだ。
「やりたい」じゃなくて「できる」から選ぶ選択肢。
それでも国立大学を出て上場企業に就職したんだから、まあまあ上等な人生だろうと満足していた。
働きながら、このままのペースでいつか結婚して子供もできて…とぼんやり想像していた私は、本当は何も想像していなかったに等しい。
・無職になっていた
幼稚園の発表会では、さすがに語れない未来だろう。
30歳になった今、自ら望んで会社を辞めた。次の就職先も決めずに。
会社の待遇に不満があったわけではないし、人間関係も悪くなかった。
ただ、ずっとぼんやり生きてきた私は、そのぼんやりから生まれたモヤモヤを抱えたまま、また未来に存在するモヤモヤを想像し、抱えきれなくなって一度立ち止まることにした。
「キャリアブレイク」という言葉には、仕事を辞めた後で出会った。
自分で辞めると決めておきながら、「無職になっちった…」と内心ビビっていた私だが、言葉という枠組みがあることで、私が初めて自発的に決めたキャリアが、「キャリアブレイク」という選択であることを受け入れることができた。
考え方ひとつで、会社を辞めてみることを肯定的にとらえることができるようになった。
モヤモヤしたまま惰性で歩き続けるより、止まって道を確認することがベストな選択肢だ。地図を読みながら歩けるような器用な人間じゃないんだ。まだどこに進めばいいかわかっていないけど。
・想像していなかったことで開かれた未来
30歳になって、無職になって、今が人生で一番可能性が開かれている気がする。自分の人生が始まったように感じる。
それは、どこかで「〇〇になる」と決めていたら得られなかった自由かもしれない。
今はまだ成功も失敗もしていない。なんなら挑戦すらしていない状態だ。
巷では成功した人の声は溢れているが、まだどっちに転ぶかわからない人の声はなかなか聞こえてこない。だからこの状態のnoteを残す。
いつか納得のいく未来に進めたら、可哀想なあの子に、「お前は可哀想なんかじゃない」って言ってやろう。